玻璃の天 北村薫

疲れたー!合宿前も部活部活で、合宿翌日からも毎日何かしらあったので、流石に疲れました!

明日には、とりあえずバイトのほうが一区切りついて時間が出来るので、明日まで、気力で乗り切ってきます!明日は朝早くから一日だけど!!

そうそう、最近、バイト前にテンションを上げたくて「星空のディスタンス」や岩崎宏美さんの30周年ライブのCDを聞くんですけど、本当に歌が上手くて、歌詞も曲も良くて、聞いてて楽しいです。最近の歌も好きですけど、数十年前の曲も本当に魅力的だったり、面白かったりする曲が多いですよね。私は、気に入った曲ばかり何度も聞いてしまうほうなので、もっと色々な曲を聴くことに挑戦していきたいなー、って思います。
よっぽど余裕があるときじゃないと、初めて聞く曲を聴こう、っていう気になれないんですよねー、そこら辺が難しいところです。

読んだけど感想を書けていない、っていう本がたまってきちゃったので、今日は本の感想を書きます。

玻璃の天

玻璃の天

コメントで、以前感想を書いた「街の灯」には続編がある、ということを教えていただいたので、早速読みました!ありがとうございました!

玻璃の天、題名からもう、美しいですよね。全体的にも、一作目よりも更に、切なさと美しさ、不穏さを増しているように感じて、もう完全に北村さんのファンになりました。文章も構成も、どれも良い。

今作では、ベッキーさんの生い立ちも少し、明らかになり、国家というもの、自由というもの、大義というもの、そして格差というものについても、ハッとするようなやりとりが多く、手元に置きたい、と思える作品になっていました。

私は、宗教学に興味があって、それもあって今の大学に来たようなところがあるので、「神っていうのは、限りなく無力で、哀れなんだろうな。だからこそ、その悲しみを知る目で、人を見つめる。そういう目で見つめられるから、人は救いを感じられるんじゃないかな」っていう箇所が印象的でした。人は神のようなもの、それはご先祖でも、自然でも、愛する人でも、強い自分自身でも、呼び方は何でも良いんですが、に、救いというものを求めるときに、何を必要とするのかなあ、って考えます。

何が救いで、何が愛で、神と呼ばれるものは何なのか。実際、神様っていう存在に救われて真っ直ぐ生きておられる人は多いし、死に関わる仕事をされる方や、数学者、科学者に宗教を持ってる人って意外と多いんですよね。あまりに大きなものや整ったものを見たときに、人は何かを感じる。それを神とか宗教とか呼んで、それを救いに至るものとしてる、ように今のところ見えるんですが、やっぱりこの辺は奥深いし、面白いです。私自身、救いというものを、もう全身全霊で求めたときがありましたが、あの時、私は実際の所、具体的には、一体何を求めてたんだろうなあ、ってたまに思い返します。結局、何かに救われた、という実感はなくここまで来て、だからこそ、余計、救いって何だ、って考えるのかもしれません。

高校一年のときの数学の先生が「私たちは、神の前で、神と共に、神なしに生きる」っていう言葉を紹介してくださったことがあって、あの頃はよく分からなかったんですが、最近、あの先生がおっしゃりたかったことが分かるような気がするときがあります。その先生も、神っていうのは別に、宗教的な神のことだけを指すんじゃないと思う、っておっしゃってたので、余計に。先生、お元気かなあ。凄く好きな女性でした。

話が逸れすぎました!
他に印象的だったのは、与謝野晶子の有名な詩の解釈でした。あの弟さんは、あの詩によってどういう立場に置かれたか。確かに、何かを主張すること、表現することには、常にリスクが伴うんだよな、って感じました。

話としては、第三話、題にもなった「玻璃の天」が凄く良かったです。私は、建築物のミステリが大好きなので、そういう意味でも好きでしたし、古典、というか和歌との絡めかたが、無理がなく、そして、美しくて、とても好きでした。和歌が絡められた作品は何作か読んだことがありますが、ここまで切なく、切実な色を持って訴えかけてくるものは読んだことがありませんでした。和歌がただのアイテムになっていなかったし、全てを絡めとるように、建築も和歌も、古典も、全てがきちんと意味を持って調和していて、作品としても、哀しくて、それぞれの人の心情が迫ってきて、良かったです。

次作も、もう図書館から借りてきているので、明日以降、読めるのが楽しみです。


以下は、拍手のお返事になります。



美弥さんへ

昇級試験、なんとか合格出来て安心しました。
ありがとうございます!

ココロ見」、凄く興味深かったです。実はちょっと構えながら見始めたんですが(笑)、始まって数分で、しみじみと「綺麗になられたなあ」っていう感覚になることが出来ました。
それから、剛さんは、とにかく自分の中に、自分なりに、人の言葉を取り込もうとされるタイプの方だな、ってことも、見てて感じました。

美弥さんのおっしゃるように、光一さんは、潔く、迷いの少ないタイプの方に見えますよね。お二人とも、硝子は硝子でも、キラキラと輝くのは変わらないまま、防弾ガラス並みの強度を身に付けて、より自由になっていかれるのかなあ、ってこれからが、私も楽しみです(笑)

剛さんは、基本的にファンの要望に応えてくださる方ですが、それと同時に、ファンの要望に応えすぎないでいてくださる方でもあるように思います。
表現が難しいんですが、例えば、ずっと可愛い系でいようと思えばいれるだろうに、そして、おそらく、それを望むファンが多いことは分かってるだろうに、好きにしちゃうとか(笑)あと、音楽的なこと、活動全般にしても、奈良を大事にすることや、いわゆる一般受けするような、アイドルらしいことはあまりなさらないことも、ある意味では、ファンの要望をそこまで重視してないのかな、って感じます。そして、私は、そういうタイプの、ファンも勿論大事だけど、それ以前に自分のやりたいことを大事に出来るタイプの人が好きなので、剛さんのそういう所が良いな、って思ってます。

そして、美弥さんがコメントしてくださった感じの冷たさ、というかつれなさというか、は、私も、結構感じます(笑)一緒に踊る、ってことに関しては、剛さんは割と、自分たちの年齢やら何やらを客観的に見ることが出来るタイプの方なので、本気で女の子のアイドルのをやるのは流石にキツい、やだ、って思われたのかなあ、って思いました。でも、キンキさんは基本的に、仕事となれば何でも出来るタイプですもんね。やっぱり、美弥さんのおっしゃるように、自分が関わらないところで決められたのが、引っかかられたのかもしれませんね。

剛さんの感受性の豊かさは、何というか、ずっと年下の私でも、目を細めて眺めていたくなるようなときがあります。柱を触ってらっしゃるとこは、まさにそんな感覚になりました。剛さんは、宮大工さんがおっしゃるまんまのタイプの方なんだなあ、って私も暖かい気持ちになりました。素敵なことを教えてくださって、ありがとうございます!

光一さんの、違いを楽しめる姿勢は本当に、素敵だな、大きい人だなあ、っていつも思います。光一さんの、そういう意味での強さは、自分というものが強烈にあるからこそだろうと思うので、そこも含めて、光一さんはかっこいいなー!って感じます。

剛さんと光一さんは、何だかんだ、境遇も環境も、超えてきたものも、共通するものがあるんだろうなあ、だからこそ、光一さんは剛さんのことを受け入れられる、っていう面もあるんだろうなあ、って私も思います。そして、『Music of Life』ってそんな経緯があったんですね!!凄く好きな曲なんですが、全然知らなかったので、教えていただけて凄く嬉しいです!ありがとうございます!そうかあ、あれはそういう、勢いのある作り方をされた曲なんですねー、凄い。それで、ああいうエネルギーがあるんだなあ、って思いました!

お返事、長くなっちゃってすみません!
コメント、ありがとうございました!凄く嬉しかったです!