Topaz Love

Topaz LoveはSONGSで初めて聴いた時にも書いたのですが、やはりもう一度、CD音源を聴いての感想を書いておきたいと思います!

前奏、CD音源で落ち着いて聴くと、華やかでありながら、やはりどこか切ない感じもありますね。
歌前の数秒は、今から物語が始まる、という感じがして好きです。
童話で言うところの「昔々あるところに」みたいな役割の音に聴こえるというか。

そして、そこからのお二人の歌声が、どこか寂しげで、哀しさも含まれているようで、つくづく、キンキさんの歌声は特殊だなあ、と感じます。

「そっと黙る」「寂しい世界」という歌詞だから、力強くは歌われていないし、まさに「そっと」物語の中に入っていく感じの歌声。

これは繰り返しになってしまいますが、夜空を「弾く」という表現が凄く好きです。
もともと花火が大好きなので「咲く」よりももっと、花火の刹那さが出ている気がして、剛さんの感覚の鋭さを改めて感じました。

「聴こえなくなった続きへ耳を澄ます」というのも、御病気のことを考えなくても、花火の打ち終わりって、最後は大体、連続して大きなものが上がって盛大に終わるからか、余韻があるというか、本当に、その続きへ耳を澄ますような感覚があるんですよね。

それを感じたことが何度もあるからこそ、剛さんが御病気のことを強引に持ってきたのではなく、それこそそっと、歌の世界と重ねられてるんだな、って思えてグッときます。

歌の始まりとしても、最初にまず花火が上がって消えるって、恋をする女の子の気持ちと、恋の行方を暗示してるようでもある。
それが、イベントで話題になったからこその花火なんですよね。
全てが絡み合っているのが凄いな、と感じます。

剛さんは、少なくともあの時、花火のような大きな音は絶対に聴いてはならない状態だったんだよな、という切なさもあって。

御一人ずつで歌われて、そこから御二人で歌われる。
寂しい世界を一人で歌って、そこから「高鳴る胸」という動きと音がある歌詞をお二人で歌う、その歌割も、歌詞にも曲にも合っているな、と改めて感じます。

それから、SONGSの感想を書いた時にはそんなに触れなかったのですが、やはり「どうか待っていて」は直球すぎるくらいに直球で、剛さんの強さが出ているな、と感じます。

ここまで御病気のことを織り込んだ歌詞になっていて、「どうか待っていて」あるいは「そこで待っていて」とサビ前にいれること。
これは、剛さんが御自分に言い聞かせる意味でも書かれた歌詞なのかな、とぼんやり考えます。

待っていて、と言うことには、自分が必ずそこに行くから、という意図が含まれているように思うんですよね。
自分が、自分の力で行く、という剛さんの強いお気持ちも織り込まれているように感じます。
実際、あの短期間で冬のコンサートを行うのは、並々ならぬ努力と無理と、強いお気持ちが無いと実現しなかっただろうなと思うと。

そして、そこで待っているのは、勿論、ファンや関係者やスタッフさんも含めてでしょうが、やはり光一さんなんだろうな、と素直に感じるのが、キンキさんのキンキさんたる所以だな、としみじみ思います。

本当の意味で剛さんと同じ場所に、対等の立場で立つことが出来るのは光一さんしかいないし、そして光一さんは多分、剛さんが「待っていて」とおっしゃったら、いつまででも待ってらっしゃいそうな感じがする。

それから、「大好きよ」と多分「泣き見惚れてる」も、イベントの時から形を変えなかったんだなあ、って、興味深いです。
泣き見惚れてる、は光一さんが歌われたのがそう聞き取れるってだけで、実際どうか確信が持てないんですけど、とりあえず映像を見る限りではそう聴こえる気がします。

泣き見惚れてる、大好きよ。
凄くストレートで、剛さん、この箇所は残されたんだなあ、って胸に来ます。

泣きながら見惚れる、という、どちらも強い感情が組み合わさった言葉が剛さんらしい。
そして多分、離れたところにいなければいけなかったからこそ出てきた言葉でもあったのかな、と思います。
ある程度の距離がないと、見惚れる、という言葉は出てこない気がする。

そして、大好きよ、をサビ終わりに持ってくるストレートさ。
あまり手を入れすぎず、不細工なままのほうが、っておっしゃってたのが、ここに出ているのかな、と感じます。

光一さんがストレートな歌詞がお好きだっていうのも、もしかしたらあるのかもしれないですね。

それから、ネオンが綺麗、という箇所を残してあるのも、ファンへの気遣いなんだろうな、剛さんらしいな、とあたたかい気持ちになります。
明るい通り、とか、そちらの意味と掛けられるのも良かったのかもしれないですね。

そして、この曲、サビが本当にキラキラしてるなあ、って改めて思います。
宝石とネオン、鉱物と人工物。
自分の「内」にある恋心は、人の手が入らない宝石の輝き。
あなたを目掛けて輝く「外」のネオンは、人が作った輝き。
ここにも対比があるのかな、って感じました。
そして、どちらもキラキラしているから、余計、涙に滲んだ輝きが、見惚れる状態の温度を更に上げる様子まで思い浮かぶような気持ちになる。

それから、二番冒頭は、光一さんの歌い方にハッとしました。
剛さんの歌声のほうが落ち着いていて、光一さんの歌声のほうが、痛切な悲鳴のように聴こえる。

一番は御一人ずつ歌ったのに、二番はお二人で歌うことにされた、というだけでもう、キンキさんの一蓮托生感覚の強さが感じられるように思うのですが、ここで光一さん上ハモでこの歌い方、というのが、キンキさんとしても衝撃だったんだな、と伝わってくるようでした。

水の中に潜る、という歌詞に合わせて、音も少なく、ゆらゆらとした水のような音になっていて、アレンジが丁寧に歌詞に合わせてあるんだな、とも感じます。

そして、SONGS感想はほとんど歌の世界に寄った感想になったので、今回はキンキさん寄り、剛さん寄りの感想になっているのですが、「探し求めてた物語り」は、ステージにお二人で立つ、ということでもあったのかな、って不意に感じました。音源を聴いていて。

イベントに行くことが出来なかった剛さんは、ステージに立つことが出来る未来の物語を探し求めるようなお気持ちがあったのかもな、って。インタビュー記事を読むと、なんとなくそんな気持ちにもなって。

そして、二番サビですね。
これ、SONGSでは、二番サビだけを省略して大サビに向かっていってたんですねー。
なるほど、繰り返しなのかー、と思っていたら、音源は違う歌詞だったので、驚きました(笑)

「希望が滲んだ宝石。」希望が滲む、ってまた凄い表現だなあ、って思います。
滲むって、それこそ涙が滲む、とかそういう連想をするので、ここで言う希望には、もしかしたら涙の気配があるのかな、と思ってみたりもしつつ。

滲む、ということは、希望は淡くて、儚いものでもあるのかもしれない。

と思ったら、続くのは「火の虹打つ宝石よ」。
下手したら歌詞の中でも一、二を争うくらいの強さと派手さのある表現が続く。

虹打つ、はこういう形で残されたんですね。私、「虹打つ」愛のネオン、という表現がとっても好きだったので、嬉しいです。

虹打つ。これ、私は波打つのニュアンスなのかと思っていたのですが、火の虹打つ宝石よ、という文脈で聴くと、脈打つ、に近いのかもしれないな、って思います。

どうなのかなあ、そもそも、切る箇所はここで合っているのか、という気もします(笑)

私の中では、火のように熱い、そして虹のように七色に輝き脈打つ恋心、という感じに聴いてるんですが、どうなのかな。
火と虹と打つ、そして宝石、と凄く強くて派手な物が集められてて、印象的な箇所で、とっても好きです。

そして、「誰か愛するネオンは綺麗」。
これはストレートに、光一さんへのファンの皆さんのペンライト、という意味にとれますが、歌の世界としては、やはり人が沢山いる明るい通りを連想しますね。

誰か、というのがまた、歌の世界が広がって良い。
誰かが、誰かを。
自分の想い人が、自分ではない誰かを、なのかもしれないし、自分ではない誰かが自分の想い人を、という意味かもしれない。
もしくは、自分の気持ちを客観的に見てのことかも。

それとも、恋をするこの女の子には、誰かが誰かを愛することが沢山ある明るい通り自体が綺麗に見えたのかもしれない。

その全てに泣き見惚れてる、と取ることも出来る。
良い歌詞だな、としみじみと思います。

そして、やはり大サビへの流れ込み方と、大サビで一気に切なさを増すところが凄く良い。
歌詞をこんな風に書き分けられると、音に合わせてあるから当然と言えば当然なのですが、光一さんのほうが言葉数が少なくて、剛さんは倍くらいあると目で見て分かって、興味深いです。

肯定的で意志が強い、真っすぐな歌詞を歌う光一さん。
迷ったり悩んだり痛みを感じたりする歌詞を歌う剛さん。

そう、この大サビ、やっぱり面白いよなと思うのですが、剛さんが歌うのも、光一さんが歌うのも、全て相手に対して歌ってると考えることも出来るんですよね、多分。やろうとすれば。

嘘ついて恋していいの?は、あなたが、(あたしと結ばれることをどこかで怖がり、自分の気持ちに)嘘をついて、あたしとは違う誰かと恋をしていることを責めるようにも聞くことが出来る。
そして、その恋を、あたしと結ばれるという約束された現実を避けた「夢」であるとみなしているから、夢から覚めないあなたが痛い。

そして、光一さんが歌うパートは、そんな相手を許すようにも聴こえる。
誰を好きになってもいい、は、私じゃない誰かを好きになってもいい。
例え、夢を見続けることをあなたが選んだとしても、私はいちどきりのあなたを好きでいたい。

こうなると、自分と相手は根っこで想い合っている、それは分かっている前提の話になると思うので、辿り着きそう、というのも、結ばれることに辿り着く、とすんなり繋がるような気もします。

ただ、そうなると、この曲、かなり激しい曲になるんですよね。
それも剛さんらしいような気もするのですが(笑)、その場合だと、「そこで待っていて」とは言わないかな、とも思うし。

曲全体を通したひたむきさと、自分はあなたに向かって動いているのに、あなたはまだ夢の中で微睡んでる、その差が切ない、という感じからして、根っこはまだ片想いか、もしくは相手には強い自覚が無さそうだし、やっぱり自問自答かな。

単純に、剛さんの歌声がどこか内省的、ということもあって、この女の子の葛藤に聴こえる、というのが強いような気もします。

あと、直前に「サイレント」が入ってるのが大きい。しかも、「泣き見惚れては」からの「サイレント」は、一人だ、という感じがするんですよね。
この女の子が、荒れ狂うような恋心に不意に訪れた静寂の中、自分の中に入って、自問自答する感じ。
その流れが音でも歌詞でも作られてるから、ああ、この子の葛藤なんだ、って思う。

うん、やっぱり自問自答かなあ、私の中では。
剛さんの歌詞は、どこか余白が作られているというか、限定されていない箇所がある場合が多い気がして、それが良いんだろうな、って感じます。
相手の人に関して「愛のひと」としか言及されていないことも、凄く大きくとってあるから、余白があって窮屈じゃない。

CD音源を聴くと、曲、歌詞、アレンジ、どれもキラキラしていて、切なくもあって、キンキさんが20周年にああいう状況で作られたのがこの曲って凄いな、としみじみと感じます。

一緒に歌う為にこんな曲を作るって、お互いに対して凄く綺麗なイメージを持ってないと無理なんじゃないかな、と思うので。

それから、曲はほとんど完成した状態でしたが、剛さんの歌詞が、イメージから仮の物が作られて、そこから更に完成させられる過程を少し見せていただけたようで、とても興味深かったです。

あれがこうなって完成品がこうなるのか、という驚きがありましたし、完成度が高い歌詞をまさに「作り上げて」らっしゃるんだな、職人技みたいだな!と唸りました。

あらゆる意味で特別な曲だな、と感じます。
これからも愛される曲になりますように。