女ぎらい ニッポンのミソジニー 上野千鶴子

女ぎらい――ニッポンのミソジニー

女ぎらい――ニッポンのミソジニー

2、3日前に読み終わってたんですけど、何度も読み返したので、感想を書くまでに時間がかかりました。学問に救われる、っていうことが本当にあるんですね。ありがたい。

私は、ジェンダー論に対しての嫌悪感が強くて、決して手を出すまい、と思ってたんですけど、年を重ねるにつれてどうしてもジェンダーについて考えなきゃいけなくなってきて、追い込まれてこの本を手に取りました。そして、最初に読んだジェンダー論がこれで、本当に良かったと思います。

私が、自分が女性であること、女性として生きていかなければならないことを受け入れられない、というか納得できてない、って気がついたのは中学生のときです。その時は、年を重ねれば自然に受け入れられるだろう、と考えてたのに、20歳を目前にした今でも、この「自分が女性であることに対する受け入れ難さ」は変わらず、むしろ強くなってきている。これは流石に色々とまずいし、考えないと、と思っていたときに図書館でこの本に出会って、「女ぎらい」というタイトルで、上野さんっていう私ですらお名前を聞いた事がある有名な先生が書かれた本だということで、最初に読むならこれしかないだろう、と思って選びました。

ミソジニーっていうのは「女嫌い」「女性嫌悪」って訳される英語で、わかりやすく言えば男性にとっては「女性蔑視」、女性にとっては「自己嫌悪」ってことになります。この社会に生きていて、ミソジニーと無縁である人間はいない。

ミソジニー、という言葉の意味を知った時に、自分がフェミニスト嫌いだったのは、自分自身がミソジニーだったからか、と思いました。ミソジニーだからこそ、やみくもに女性を守ろうとしている(ように思えた)フェミニストが嫌いだったんだろう、と。

ここで書いておきたいのは、私が「男性になりたい」とは欠片も思わなかったことと、自分の周りの女性達に対して嫌悪感を持っていたわけではなかったことです。好きなアーティストも女性が多かったし、好きな作家は皆女性でした。あくまで、自分自身が女性であることが嫌だっただけ。だからこそ、自分がミソジニーだ、っていうことになかなか気がつかなかった。

内容全部に、「ああ、そうそうそう!」って頷いて、首が痛くなる感じだったんですけど、何よりも「私、これだ!」って思ったのは、「今の女は女の顔をした息子でもある」っていうくだりです。そう、本当に、私は自分が息子、しかも長男の役割をしていくんだ、と思ってたし、自分は男の子の立場だと思ってた。今でも割とそう考えてる。一人娘で、教育にも習い事にもお金をかけてもらったから、っていうのも理由の一つだけど、嫁に出されるだけの無力な娘ではなく、頼りがいのある息子になりたかったんだと思う。

そして、女に生まれたんだから母親に同化して育たなきゃいけなかったのに、「女だというだけで損をするし、女であることは屈辱的なことだ。」って思うことが多かったもんだから、父親に同化しようとしたんだと思う。でも、どんなに頑張っても自分は女だから、男のように生きることはできない。特に、年を重ねていくと女性として扱われることが多くなるから、違和感も大きくなる。

女性であることは、私にとっては、本当に割りに合わないことだ、っていう感覚が強いんです。自分で選んだわけではないのに、なんでこんな目に合わなきゃいけないんだ、って思うことが多かったし、女は社会的にも、肉体的にも非力なほうである、っていう自分の力じゃ変えられない事実が辛かった。そして、自分が女であることを憎んでいるもんだから、私を友達としてではなく、女として好きになってくれる人をどうしても受け入れられない。「この人、私に自分が女だってことを意識させてくる!敵!」って思っちゃって。

この本を読んで、こういう性別に関する自己嫌悪を持っている人が他にもいる、って分かって救われました。しかも、それにはちゃんと説明できる理由があって、それについて研究している人がいる。この社会では、女性も男性も、性別に縛られて、ジェンダーに縛られて生きるしかない。それは変わらないけれど、社会学、っていう学問があるおかげで、ただやみくもに自己嫌悪に陥るんじゃなくて、頭を使って自分の中のミソジニーと向き合っていくことが出来る。

ここからが難しいんだろうけれど、なんとか言葉を使って、自分のこの性別への憎悪みたいなものを減らしていきたいです。もっと沢山の本を読みたい。女である自分を愛す、とかいうのはハードルが高すぎるからそこまでは目指さないけど。

自分が女であることは嫌で嫌でしょうがないけど(だからといって男になりたいわけじゃないから、余計に難しい)、自分の全てが嫌いなわけではない、というのが救いです。本当に、自分を助けてくれるのは過去の自分の行動だけだから、今を頑張って生きておかないといけないんだな、と思う。