原体験

キンキさんMステ!楽しみです!!
しかし何を歌われるんだろう・・・。どうしよう、『「Anniversary」よ、もう一度』とかだったりしたら・・・!いや、別に良いんですけどね、何の曲でも!(笑)

マッチさんの回の感想を書きたいところなんですが、先に、最近書こうか書くまいか迷ってたことを書いておきたいと思います。

思いっきり個人的な話かつ、暗すぎる話なので、下げますね。


今日、偶々、滝沢さんが主演してらっしゃるドラマ「悪党」をちらっと見て、滝沢さんは相変わらずお美しいな、って感じたんですけど、扱ってる題材が、いわゆる性犯罪だったんですよね。

で、最近、色々と思うことが多かったテーマだったので、これはもう、この機会に文章にして自分の中で整理しようと思いました。

私は、基本的に小さい頃の記憶がほとんど無くて、小学生の頃までのことは、何があった、どこに行った、って言われても全然覚えがないんですよね。

だけど、一つだけ、強烈に覚えてることがあります。五歳のとき、同じ保育園に通っていた、同い年の男の子に、急に外で押し倒されて、身体を押し付けられて、口に舌を突っ込まれたことです。もう、あの時の強烈な怒りは、今でも全然色あせていません。最初に来るのは、嫌だとか、怖いとか、そんなんじゃないんです。私の許可なく、私の身体の自由をきかなくさせて、しかも舌を入れてくる、っていうことへの怒りが込み上げてきて、何の正当な理由も無く、自分がそんな目に合わされてる、っていうことへの強烈な怒りで、本当に、怒り過ぎてくらくらしたのを覚えてます。

相手の子は、同じクラスの子だったんですけど、残念ながら、私が好きだった男の子では無かったんですよね。まあ、それはどうでもいいことなんですけど。

で、ここからはもう、今になって考えると、仕方がないことだったな、って良くわかってるつもりなんですけど、保育園の先生たちは、全く怒ってらっしゃらなかったんですよね。皆さん、ませた子ね、って笑ってらして、それがまたショックでした。

こんなに酷いことされた、っていう思いで、混乱してるのに、自分がされたことを見て、大人の人達が笑ってるんですよね。しかも、いつもお世話になってる先生方が。

今なら、本当に、子供同士の他愛無い戯れだと思うのもわかるな、って思うんですけど、正直、五歳の子供にとっては、力で自由を奪われて、性的なニュアンスで舌を入れられる、っていう行為は、三十歳の男性にされるのも、五歳の相手にされるのも、衝撃は変わらないんじゃないかと思います。それでも、三十歳の男性にされたら、誰もが「酷いことをされたね」って同情してくれるのに、相手が五歳の男の子だと、笑って終わらせる。仕方ないことなんですけど。

あれ以来、未だに、私は保育園や幼稚園の先生と、小さい男の子が苦手です。

15年も経ってるのに、こんなことに囚われているのは、馬鹿みたいだし、小さいことを根に持ちすぎだろう、っていうのは、もう何度も自分に言い聞かせてるんですけど、未だに、ふとした瞬間にあの時の怒りを思い出して泣いてしまうし、喚きたくなります。五歳児相手に本気で怒り続けてる二十歳の女、ってそっちのほうが怖いわ、って話なんですけど。

あの時悔しかったのは、言葉を知らなかったこともあるんですよね。笑わないでほしい、酷いことされた、って感じた、ってことを、上手く言葉に出来なかった。そして、言葉に出来ない思いなんてものは、無いのと同じなんだ、主張しないと、他人は理解できない、っていう感覚を強く持ちました。

だからこそ、今、ディベートで負けた覚えが無い、っていうくらい言葉を使いまくる、可愛くない女になってしまったんですけど(笑)

私が、言葉に物凄く執着して、「上手く言葉に出来ないタイプだから・・・」って言う人にあんまり共感出来ないのは、これが理由の一つなんだと思います。言葉に出来なくても困らなかったり、他人に察してもらったり、っていうのでやっていける人は、とても幸運なんだと思う。苦手でも何でも、言葉は使わないといけないし、重ねていかないといけないものだと思ってます。相手のためにも、自分のためにも。言葉は難しいけど、それでも使わないといけない。言葉にしないでも分かってほしい、っていうのは、甘い考えでしかないんじゃないかと感じてしまいます。

それから、変なとこで屈折して自分に価値を見いだせないのも、これが原因の一つなんだろうと思ってます。自分が酷いことをされても、笑ってすませられる=自分は、酷いことをされても、怒ったり悲しんだりする価値が無い存在なんだな、っていうショックがあったので。

あとは、自分が女であること、弱い方の性別であることが、未だに、どうしても受け入れられなくて、自分の性別を憎悪してしまう根っこにもこれがあるんだろうと考えてます。自分が女性だ、っていうのが原因だったことだから、自己嫌悪と女性嫌悪が、どこかで一つになってしまってる。

まあ、分からないんですけどね。後付けの理由にしてしまってるのかもしれないし、全然、これとは関係ない理由で今の自分になってしまってるのかもしれない。全てを、15年も前のことのせいにする気もありません。

でも、本当に、あれだけははっきり覚えていて、未だに、吐き気がするくらい怒ってるんですよね。こういうものなのか、私が執念深すぎるだけなのか分からないけど。

今、部活で武道をしていて、どんなにきつくても筋トレや練習を続けていられるのも、これが大きな理由なんだろう、っていうのは、ほぼ間違いないと思います。自分が強くなってきた、って思うと、心から安心するんです。

とにかく、もう二度と、自分の意に沿わない形で、他人に力づくで何かをされたくない。あの数分の怒りと自分に対する絶望の強烈さは、自分の根っこだな、って半分諦めみたいな気持ちです。消しようがない。

だからこそ、色々とややこしいんですけどね。学校に行けなくなった時期も、自分が大きくなってきて、「子供」ではなく「女の子」っていう「女」になる存在として扱われだした時期と被るし、それが嫌だった覚えもあるし。でも、今更どうしようもないし、男になりたいわけでは決してないし。

私の場合は、本当に、他人から見たら小さいことで、相手の年齢からして、犯罪にもならないんです。子供同士の、他愛無いことじゃない、って言われたらそこまでだし、相手は確実に覚えてないんだろうとも思います。でも、そういう問題じゃないんです。そういう問題じゃない。

犯罪、って何なんだろうなあ。こんなにどうしようも無い思いを抱え込まなくちゃならなくても、あれは悪いことじゃなかったんでしょうか。相手には何の罪も無いんでしょうか。無いんだろうな。だって五歳だもんな。責任能力が無い。というか、それを罪だっていうのは、人として駄目だよな、やっぱり。

でも、自分ではどうしようもないんです。この怒りをどうしたら良いか分からない・・・から、とりあえず部活して、自分の身体のしんどさにぶつけてるんですけど。

こういう状態だから、性犯罪のニュースや、そういう話を聞くと、本当に言葉が悪いんですけど、「死にさらせ」って本気で思います。そういうことをせずにはいられないなら、頼むから死んでほしい、って本気で思ってしまう。小さいことでも、こんな風になるのなら、被害にあった女性はどうなってしまうんだろう、って考えたら、もう。

そして、こんなに引きずっている自分に対しての、過剰な自己愛なんじゃないか、こんなに引きずるのはおかしいんじゃないか、っていう気持ちが余計に辛いです。引きずる私がおかしいのかな、駄目なのかな、っていう意識が強くて、でも忘れることがどうしても出来なくて、もう、最近、どうしたら良いかわかりません。

全部が繋がってるんですよね。少なくとも、私の感覚では。でも、私が駄目なのかもしれない。他の人なら、とっくに忘れていることなのかもしれないし、私がおかしいのかもしれない。どうなんですかね。やっぱり自己愛が強すぎるのかな。

あー、書きながらまたちょっと涙が出てきちゃったので、もうここまでにします。
こんなことを急に書いてしまってすみません。何ですかね、やっぱり何だかんだ、誰かに何かしら訴えたかったのか、自分。駄目だなー。本当にただの自分語りになっちゃったけど、もう今日のところは、書いちゃったもんは仕方ない、ってことで開き直ることにします。

今日はCoccoさんの歌を聞きながら寝よう。「ジュゴンの見える丘」っていう歌なんですけど、近いうちに、この曲のことをちゃんと書きたいです。その前にキンキさんのことを楽しく書きたいけど!

おやすみなさい!!