女という経験 津島佑子
- 作者: 津島佑子
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2006/01/18
- メディア: 単行本
- クリック: 1回
- この商品を含むブログ (7件) を見る
ちょっと期待はずれだったかな・・・。
小説家が書いたものであって、社会学者が書いた本ではないからかも。
神話を題材に女性について考える、っていうコンセプトだったけど、こじつけじゃないかと思うことが多かった。
ただ、私は社会的な要素とは関係ない、生身の存在としての『女』は嫌いじゃない、っていうことを確信できたのは良かったかな。
生身の女、というと私はCoccoさんを思い浮かべます。私は彼女の、特に初期の作品が大好きなんですが、それは多分、彼女の生身の女(男性の目をそこまで意識していない、社会で「こうあるべきだ」とされている女性像とは無縁の『女』)としての声に強く惹かれるからなんだと思います。
彼女の作品を聞くと必ず、インドの女神、カーリーを思い出します。カーリーは、山の娘パールヴァティーの憤怒相であるとされている女神です。
パールヴァティーは穏やかで心優しい、美しい女神。しかし、彼女が本気で怒ると黒き者カーリーとなり、全てのものを破壊し、殺戮し続け、戦に勝った彼女は勝利に酔って踊り始める。その踊りがあまりにも激しく、大地が砕け散りそうだったため、夫のシヴァ神がその足元に横たわり、衝撃を弱めなければならなかった・・・という「殺戮の女神」。
シヴァを踏みつけ、その腹の上で踊るカーリーの姿は、恐ろしいとしか言いようがないけれど、その恐ろしさゆえに惹きつけられてしまう。インドでも、死や悪魔をも滅ぼす女神として人気が高いそうです。
ああいう、恐ろしいほどの激しさを持つ存在としてならば、自分も『女』であることを認められるかもしれない。自分でも怖くなるくらいの強い感情を持つことができるのが『女』であるならば、確かに私は『女』だと。自分の中にも、その激しさがあるのを感じるから。
ここで、「霊力を持つ存在」としての女、についても書きたいけど、次の記事に書こうと思います。
分かってはいたけど、自分にとって考えるのも苦痛、っていうことをそれでも考え続けるのは大変だなー。こうやって考えていくことが、いつか自分を少しでも救ってくれますように。