もう本当に、久しぶりに、声を上げて泣きました。
ちょっとだけ。

剛さんは本当に、本当に、歌が、お上手な方ですね。

私、まだDVDが明日にしか届かなくて、今、あれ以来初めて、剛さんが歌われてるのを見て。

もう、なんですかね、失われていない。
剛さんの苦しさとか、恐らくあるであろう違和感とか、歌いづらさとか、きっとありすぎる程あって、それでも、剛さんは、あの稀有な歌声を失ってらっしゃらない。

それが本当に、こんなに、なんだろう、奇跡のように嬉しい。
こんなに嬉しいことがあるんだな、と思うくらいに。
理屈じゃないですね、なんかもう、剛さんが剛さんでいてくださること、あの歌声をまた聴かせていただけたことが、理屈抜きにただ嬉しい。

剛さんの手から、音楽が、あの稀有な歌声が、零れ落ちてしまったわけではない。
それが、こんなに嬉しい。

もしかしたら、と、やはりどこかで思わざるを得なかったから、なんかもう、本当に、言葉にならない。

とか言いながら、言葉を探さずにもいられないような、もう、なんですかね。

光一さんも剛さんも、いつもとはまた違う緊張感があるように見えて、そりゃあそうだよなあ、と思いました。
落ち着いたら、ちゃんと見て、ちゃんと感想を書きたいです。

そういえば、私、多分、発表があってからこっち、今、初めて泣きました。
自分が泣く頻度なんてあんまり考えたことがありませんでしたが、人間、半年くらいは泣かないでも生きられるものなんですね。

意志の強さ

お久しぶりです、と毎回書いてしまっているのですが、皆様、お元気でお過ごしでしょうか?

やっぱり、書く習慣が途切れてしまうと、なかなか書きにくくなってしまうというか、タイミングを掴めなくなるというか、良くないですね!(笑)

帰ってきてからそろそろ1か月くらい経つのですが、やっと予定も大体消化出来て、落ち着いてきました。

なんだかんだ、人に会ったり、公的な手続きをしたり、バタバタとしてしまっていたのですが、半年で少しタフになったのか(笑)、そこまで疲れなかったので、良かったです。

数年ぶり、という友達にも会っているのですが、仕事の上司に苦しんでる子、ノルマに苦しんで体調を崩している子、結婚の重圧に苦しんでる子、逆に婚約した子、半年もあると、20代半ばの女性は色々な変化があって、凄いなあ、と思います。

まあ、私もなかなか驚かれるんですけどね、ここ数年の話をすると!(笑)

特にこの半年のことはよく聞かれるのですが、急に北海道で農業をして変わったこととしては、野菜を見たり、調理したり、食べたりするのが楽しくなったことがやはり一番かなと思います。
綺麗な野菜を見るとやはり嬉しいし、収穫やら工場でのことやら、沢山思い出すので、手に取る野菜のことを大事に思えるというか。

といっても、過剰に「頑張って作ってくださった農家さんに感謝しなきゃ・・・!」みたいなことも思わないんですけどね、意外と(笑)

農家さんは勿論、作物が美味しくなるように沢山研究して、気を配って、ってしてらっしゃるんですけど、「仕事」として作ってらっしゃるんですよね、やっぱり。
他の製品とかと一緒で、「良い商品」を作る、という感じ。
勿論、気持ちも籠ってるんですけど、シビアで冷静な部分も大きい。

だからこう、食物だから他よりも感謝する、ということではなくて、例えば美しく作られた切子の器を大事に使おう、とか、なんなら沢山の工夫と技術を凝らして作られた冷蔵庫を大事に使おう、みたいな、そんな感覚に近いです。
逆に言えば、野菜とか、食べ物を作ることを尊ぶのと同じくらい、他の物なり薬なりの商品を作ることを尊びたいというか、変な特別扱い(意識上での)をするのは違うな、と思うようになりました。

たった半年しか関わっていない素人の、個人的な感覚なんですけどね!

そして同時に、半年しか関わらなくても、農家さんは本っっっ当に大変なお仕事なんだ、と凄く強く感じました。
どんなにしたい作業があっても天候に合わせるしかないし、休みなんて勿論ほぼ無いし、毎日早朝から深夜まで働く方も多いし、機械は物凄く高いし、作物の値段は年によって違うし、草刈等の御近所付き合いも物凄く大変だし。
頭が下がる、と心底思います。

農家さんのお仕事というのは、実際に働かせていただかないと分からないことが沢山あったので、これを知ることが出来たのは本当に良かったな、と思います。私が知ったことなんて、ほんの一握りなんですけどね!

とりあえず、TOKIOさんの番組を帰ってきて久々に見たら、「ああ、植物の病気・・・!」って手に汗を握るような気持ちになることが出来たり(笑)、「分かる、台風とか本当に心配になりますよね・・・!」って共感することが出来たりしたので(笑)、自分の人生が少し豊かになったような気がします(笑)

ということで、自分の話がとっても長くなりましたが、キンキさん、この2か月くらいでも色々ありましたね。

フェスで無事にお二人揃って歌われた事(台風にはヒヤヒヤさせられました)、光一さんが無事に千秋楽を迎えられたこと(福岡の良さが未だに微妙に分かっていない身としては、光一さんに博多の良さを教わりたいくらいになってきました(笑))、剛さんが小喜利を開催出来たこと、アニメのOP、年末のコンサート開催が発表されたこと、シングルベストが発売されることが発表された事。
パッと思いつくだけでも、こちらに文章を書きたいと思った瞬間が沢山ありました。

特に、シングルベストに7月のイベントがダイジェストで収録されると知った時は、嬉しさは勿論ですが、「安心した」という気持ちが一番強かったです。
あのイベントに関しては、行けた組と行けなかった組に分けるのは、後々を考えても絶対に良くないのでは、って、ちょっと胃が痛いくらいの気持ちで思っていたんですよね、実は!

映像すら無かったら、どんなに言葉を尽くしあっても、行けた人と行けなかった人とで埋められない温度差が生まれるだろうし、その温度差は、時間が経てば経つほど大きくなっていきそうで。
なので、ダイジェストであっても、映像が出ること、本当に良かったなあ、と思います。
勿論、自分が見ることが出来るのも凄く嬉しいです。

そして、年末のコンサート。
の前に、アニメのOPかな。正直、11月初週、剛さんのバージョンを聴いたときは本当に、泣くかと思いました。
私にとっては、発症後の剛さんの、きちんと録音された歌声を聴いたのって多分、あれが初めてだったんですよね。
変わらず美しく、巧く、正確に響く剛さんの歌声を聴くことが出来て、もう顔を覆って泣き出しそうでした。

率直に言ってしまえば、今もそうですが、やはり怖い、というか不安があるんですよね。
私が知っている範囲では(狭いものですが)、片方であっても、そして軽度であっても、耳に関する病気を発病して、歌声に全く影響が無い方って、存じ上げなくて。

だからこそ、発病を知ってからずっと、どうなんだろう、という気持ちが拭えないところがあります。
剛さんは器用だし、技術もある方で、元々のポテンシャルも高いですし、剛さんのお気持ちさえ折れなければ希望はあるのでは、という気持ちと、こうして書くのも辛いことですが、剛さんの本来の歌声はもしかしたらもう、という恐怖と。
その恐怖があるからこそ、発表の際は身の毛がよだつくらいの衝撃があったし、希望と恐怖の間で揺れ続けていたような気がします。

その中で、今回、少なくとも録音では、この歌声を聴くことが出来る、出来ている、という大きな喜びがありました。

光一さんの、アニメのOPとして正統派、といった感じの力強い歌声と、剛さん特有の、品のある色気が含まれる歌声、どちらも楽しく、お二人合わさる12月もワクワクしています。

そして、年末。
まず、発症から半年程と思うと、大きな会場と音響への緊張もおありでしょうに、開催を選ばれた事自体が凄いな、と思います。
剛さんにも、光一さんにも、恐らく今までには無かったであろう負担がかかるでしょうし、演出や選曲等、悩むことが多いであろうこともハッキリしているのに、それでも開催を選ばれること、そのこと自体に、お二人のお気持ちの強さを感じられるようで。

剛さんに関しては、万全の状態で、というのはどう頑張っても難しいでしょうし、なるべくお身体にもお気持ちにも負担がかかりませんように、と心から願っています。

ということで、色々と迷ったのですが、自分が次にどう動くかもまだ決めていないこともあり、行ける時に行こう、と思って、東京初日のみ申し込みました!
そして、ありがたいことに、当選したので、行ってきます!
まだまだ慣れることが出来なくて、いつもと同じように緊張していますし(笑)、今までとはまた違う思いもあるのですが、それと同時に、お二人が用意してくださるものを、心から楽しみにしていたいと思います。

それから、今回のツアータイトル、「Everything happens for a reason」、初めて知った時、凄く衝撃的で、よし、書こう、と思いました。
その割には、書きあげるまでに時間がかかりすぎなんですけど!(笑)

全ての物事には理由がある、
全ての出来事は(何らかの)意味の為に起こる、
あるいは、全ては必然である。

これを今、このタイミングで打ち出すキンキさんの意志の強さ。

これが3年後、あるいは1年後でも良い、もっと後に打ち出されたのなら、ここまでグッと来ないだろうな、と思います。
本当は、まだまだ、こんな心境になれる状態ではないんだろうな、と思うと。

まだあの夏から半年も経っていないくらいで、きっとまだまだ、振り返るとか、糧にするとか、消化するとか、しきれないタイミングだと思うんですよね。
ドームで通常の年のようなコンサートをやるのもあれ以降初めてだし、どうなるかもきっと、お二人にも読み切れない。

そんな、恐らく完璧な安心感とは無縁であろうコンサートにおいて、このテーマを叩きつけるあたり、キンキさんは何気に、闘志と無縁でいられないお二人なんだろうな、と胸が熱くなります。

このタイミングだと、「今の時点から過去を振り返ると、全てに意味付けが出来るよね」というような柔らかいニュアンスより、どんな事が起ころうとも、自分達二人の存在で全てに意味をつけてみせる、あるいは、自分達の今後を良くしていくことで、いづれ全てが必然だったと言ってみせる、くらいの気概を感じます、勝手に。

キンキさんはお二人共、ど根性でやってます!みたいな雰囲気ではないと思うんですよね。
どちらかと言えば、泥臭さよりもスマートさのほうがしっくりくる。
デビュー前から売れていたからこそのことでもあるでしょうし、お二人共、暑苦しい性格ではない(笑)からこそでもあるのかなと思います。
その、ある意味では親しみやすくない、「すました」とも言えるくらいの感じが、エリートならではの他者を寄せ付けない雰囲気に繋がっていて、それがキンキさんの大きな魅力でもある。

でも、そんなお二人がお二人共、根っこには、環境に、あるいは病に、その他様々なものに、負けてたまるか、という負けん気と強気を隠し持ってらっしゃるようで、そこが本当に好ましいです。
そして、この性質を共通して持ってらっしゃるからこそ、キンキさんは面白い。
多分、お互いにとっても。

そして、そんなお二人が、今回の病のように、一つの困難に一緒に向き合うと、共通する性質が上手く作用して、この夏のような強い気持ちをお持ちになることが出来るんじゃないかな、と感じます。

光一さんも、剛さんも、キンキに対する、あるいは音楽に対する気持ちが折れなかった、それだけでも凄いな、って未だに本当に思うんですよね。

折れたって全然おかしくなかったくらいの事だろうし、実際どうだったかは御本人にしか分からないことですが、少なくとも、お二人揃って、未来に対する弱気を表に出さなかった。
大きな困難があると、人間、取り繕うことが難しいものだと思いますが、その意味では、剛さんの発症前の段階で、キンキさんはかなり強い、揺らがない基盤をお二人で築いてらっしゃったんじゃないかな、と思います。

仕事の面でも、気持ちの面でも、関係性の面でも。

そう思うと、ここ数年、ツアーにしろ、新鮮味のある楽曲にしろ、一緒にロケをする番組にしろ、全ての活動がプラスだったんじゃないかと感じますし、その数年を自ら引き寄せるキンキさんの引きの強さというか、ドラマティックさは凄いな、と思います。

ここ数年の活動が無かったら、この夏は無かったんじゃないかな、と思うと。

ということで、この夏付近の話なのですが、帰ってきてから少しずつ番組やらドラマやらコンサートDVDやらを見ているのですが、まだまだ全ては見ることが出来ていなくて、あまりの幸福感に眩暈がしそうなくらいです(笑)
もともとが一つの作品を長く楽しめるタイプなので、一度に沢山見るのが勿体なくて、なかなか進まないんですよね!(笑)

このままだと、剛さんの殺陣に辿り着けるのはまだ先になりそうです。

にしても、光一さんはいついかなる時もお美しくてびっくりしますし、剛さんも不意に物凄くお美しくて、三度見くらいしそうになる時があります(笑)

半年間、ほぼテレビを見ることが無かった人間からすると、キンキさんはちょっとお美しすぎて、もはや驚くしかないレベルなんだと分かりました(笑)

感想も色々書いていけると良いなあ。
ということで、あまりに間が空きすぎて話がグチャグチャになっちゃいましたが、もう上げてしまいたいと思います!
もう少し気軽に書けるようになりたいです。

大好きな音楽を

久しぶりになってしまいました、皆様お元気にしてらっしゃるでしょうか?

私は、自分自身の環境について言えば多分、この半年が物心ついてから一番、ストレスが少なく、幸せな日々だな、としみじみと感じています。

9月末までにするかに少し悩んだのですが、やはりなるべく長くこちらにいたくて、10月半ばに北海道を出ることにしました。
友達や後輩の子に会いながら、10月下旬に福岡に辿り着くように帰ります。

ギリギリ、雪は降らないでいてくれるはずなのですが、少しドキドキしています(笑)

今は、南瓜やとうもろこしの収穫を終え、玉葱や芋の収穫や選別、珍しいところでは葡萄の収穫もしています。
どんな風にするものなのか、想像もしていなかったようなことばかりで、日々、新鮮で面白いです。

こちらは一雨毎に寒くなってきているのですが、なんとか、あと2週間程、無事に最後まで勤めたいです。

ということで、自分に関してはこれくらいにして、やはりキンキさんの、剛さんのことを書いておきたいと思います。

新曲、フェス出演、おめでとうございます。

今の段階では、自分がぼんやりと想像していたよりもずっと複雑な気持ちになっていることに驚きます。

勿論、勿論、剛さんの、光一さんのお気持ちを考えると、喜ばしい。
決まっていたお仕事をキャンセルすることにしろ、活動しようと思って出来ないことにしろ、かなり負担が大きいでしょうし、その意味では、こうして動けること、本当におめでとうございます、と思います。

純粋に、お二人が歌われること、特に剛さんが歌われることが嬉しくもある。

ただ、思っていたよりは動き出す時期が早かったので、なんというか、分かっていたつもりで、「ああ、やはり剛さんは、変化した聴力を抱えたまま、これから進まれるんだな」と改めて実感して、初めて御病気のことを知った時とほとんど同じような感覚になっています。

信じられない、という衝撃と、剛さんが元々は耳の良い方だからこそのやるせなさと、これが剛さんの歌や音楽にどう響いてくるのか、という不安と。

多分、私がpartyに参加出来ていなくて、剛さんの発症後の歌声を知らないから、というのも大きいんだろうと思います。

本当に、あのイベントは、参加出来たか出来なかったかで全く違う、そういう意味でも大きな意味のあるイベントになってしまったんだろうな、と感じます。

もしこのまま映像化されなかった場合は特に、おそらく、参加不参加によって、キンキさんに対する感覚も、ファンの方同士の感覚も、かなり違うものになりそうで。

どのイベントも多かれ少なかれそうでしょうが、やはり映像化って、こういう意味でも大切なことなんだなあ、と思います。

ということで、私はpartyを知らないので、お二人の御様子や雰囲気が実際には分かっていない、ということ大前提なのですが、今の時点で一番、しみじみと感じるのは、忘れないでいたいな、ということなんですよね、意外と。

剛さんの御病気はどれも、外傷があるものじゃないから、見た目には何も問題ないように見える。

だからこそ、動き出すからもう良いんだ、とか、治ったんだ、だって出来てるじゃん、となりがちだよな、って思います。

でも、今回にしても、完治しました、という発表がされたわけでもなく、ご本人にしか、その負担は分からない。

膝の時も、私、剛さんが椅子に座って後方で振りを入れてらっしゃるのを見た時、本当に切なくて、見えてる、あるいは見せてらっしゃる部分なんてほんの一握りなんだな、って改めて思ったんですよね。

座って覚える、って、結局は身体というより頭で覚える感覚が強くなって不安になるし、きちんと動きたくて仕方なくなるけど、それでも椅子に座ってやったほうが良いくらいの状態の時がある。

でも、本番ではそんなことを感じさせないようにされるんだよな、って。

過剰に意識するのも違うと思うんですけど、活動するんだからもう何も不自由無いんだよね、みたいな思いかたはしたくないな、と個人的には思います。

分からないんですけどね!
活動するんだから何も問題ない、心配いらない、とサッパリ思うほうが、鬱陶しい気持ちにならなくて良いのかもな、と感じる時もあるんですけど。

剛さんの状態にしても、実は物凄く良い、という可能性もない訳じゃない。

でもやっぱり、気持ちのどこかには、剛さんが万全ではなくても活動されること、ステージに立たれることの重さを置いておきたいな、と思います。

剛さんこそ、負担とか、不自由さとか、ある種の御自身の裏側をほとんど(映像では)見せない方だと思っているので、きっと今後も、負担の有無からして、分からない事が多いままなんだろうな、と思いつつ。

これまでの映像作品にしても思うんですけど、剛さんって、可哀想だと思われるような、あるいは、苦しいのに頑張ってるんだね、と思われるような御自分の映像をあんまり良しとされないんじゃないかな、と思うんですよね。

言葉や音楽で能動的に自分の苦しさ等について語ることと、受動的に外から撮られることは全く違うだろうし、外から撮られるのは抵抗がおありなのかな、とぼんやり思います。

正直、これまでを思えば、それなりにキツい映像もあっただろうし、やろうと思えば、そういう方向に持っていくこともいくらでも出来ただろうと思うんですよね。

それを、私が知ってる限りでは一度もやらなかったご本人、あるいはキンキさん、事務所の方々の選択を思います。

ある意味でのプライドだよな、これも、って。
あるいは、剛さんの、アイドルのイメージ的に、あまりにもその方向には持っていけないくらいの状態だったか。

だいぶ話が逸れてしまいました。
久しぶりに書くと、こうなりがちですみません!

なんにせよ、今回のことにしても、多分、剛さんの負担とかって、こちらが思うよりは表に出てこない、出されないんじゃないかとなんとなく思います。

だからこそ、自分の中にはちゃんと、剛さんがそれでも活動される、ということを置いておきたいなと思います。

感覚が急に、しかも予期せず変わってしまっても、すぐに音楽に取り組もうとされて、実際、半年も経たないうちに歌われること。
剛さんと光一さんは結局、根っこが似てらっしゃるのかな、ってこういう時に思うんですよね。

折れてしまわずに対応しようとする、その意思の強さ。

光一さんにしても、相方さんの聴力が、という事態でも、キンキに対する、あるいは剛さんに対するお気持ちが全く折れていないように見えて、それは全然、当然のことではないよな、って思ったんですよね。

光一さんの剛さんへのお気持ちの凄さを改めて感じると、剛さんみたいな情の濃い方となんだかんだありながら、結局20周年を迎えてらっしゃるんだから、そりゃあ、光一さんの剛さんへのお気持ちの強さだって物凄く濃いよな、そうじゃないとお互いにここまで来ないよな、って本当に思います。

未だに、たまに、あの流れで「もう君以外愛せない」って一体…って思いますもんねー。
結局、あの選曲については今のところ言及されてないんですかね?余計凄い。

Anniversaryも歌詞重視で2番、っていうのも、本当に剛さんありきでの選曲なのか、っていう驚きがあったし。

それから、フェスのコメントも、光一さんの剛さんへのお気持ちが滲み出ているようで、キンキさんは相変わらず凄いな、としみじみと感じました。

光一さんから見て、剛さんは「音楽が大好き」に見えていらっしゃる(好きな、でもなく、大好きな、という言葉の選択がまた、年上っぽい優しさのある眼差しで見てらっしゃる感じがしました)ことがもう。

かつ、その大好きな音楽と「距離を置き」「我慢をし」(音楽を我慢して、ではなく、言葉を重ねてらっしゃることにも、伝わってくるものがありました)いることも、治療に専念するよう努めてらっしゃることも見てらっしゃったんですね。
光一さんは、人から伝え聞いたことをああいう風に書かれないように感じるので、光一さんも、そんな剛さんを直接見ていて、思うところがおありだったんだろうな、と感じます。

だからこそ、ああして他者に対して言わずにいられなかったのかな、って。
剛さんがいかに我慢して、治療に専念したのかを他者に伝えたかった光一さんのお気持ちを思うと、なんというか、光一さんにとって、剛さんってこちらが思う以上に大事にしたい存在なんだろうな、と感じます。

大事にしたいからこそ、剛さんが努めたことを他者に伝えたい、他者に分かってもらいたいのかな、って。

光一さんの剛さんに対する情は、そんな種類であるような気がします。
光一さんがああいうことを書かれること自体が珍しいような気がするし、フェス出演に向けて、にしてはこう、私事に寄りすぎというか。

キンキさんの情は本当に濃い。

剛さんに関しては、長いこと側に居た存在がこのタイミングで離れた場所に、という、辛さが重なりすぎてなんと言えば良いのかも分からないくらいのことの後なのもあって、改めて、光一さんのような方がいらっしゃって良かったな、と素朴に思いました。

剛さんは他者の情に敏感な方だから、光一さんのような裏表のない情をちゃんと感じてらっしゃいそうで。

剛さんのフェスのコメント、噛み締めるように読みました。どうか、剛さんが思うように歌えますように。
本当に、また光一さんと歌われるんだなあ。
大好きな音楽を。

キンキさんには色々在りすぎるくらいある。
だからこそ、それでも踏ん張る姿勢が、単純に凄いな
と思います。

どうかお二人の全ての選択が、音楽が、お二人を良い方向に導いてくれますように。

久々だと、やはり文章がまとまらなくて、言いたいことが分からない文章になってしまってすみません!
帰ったらまた色々と書けますように!

映画感想等諸々

ここ最近の、あまり明るく書けていなかった記事に、お星様や拍手、ありがとうございました!

今回は前半と映画感想でテンションが全然違いますが、もう一度に書いてしまいたいと思います。
どちらの気持ちも偽りないし!

私は基本的に、ポジティブの効力をあまり感じられないタイプというか、いつでも前向きに、前を向かなきゃ!とは全く思わないほうなんだな、と今回はしみじみと感じます。
だからといって、自ら落ち込んでいこうとも思わないんですけど。

多分、どちらかと言えば、どんな時でも前向きでいようとするよりは、ひたすら自分が思う辛さに向き合ったほうが力が出るし、上を見るより、地に足がついたほうが踏ん張れるんだろうな、と思います。

そして、そこから出る力のほうが、結局はきちんとした取っ掛かりになるタイプ。
プラスよりマイナスのほうが大きな力に繋がるタイプというか。
自分の事にしても、他人の事にしても。

まあ、だからといって、長い間沈んでいることも出来ないんですけど。
というか、長い間沈まないようにするためにこうなのかもなあ。

ポジティブを重視してると、どうしても、辛さが改善しないことが続いた時に行き詰まっちゃうんですよね。
10代でそうだったってことはやっぱり、ポジティブ力がもともと弱いのかな(笑)

色々模索して、今のところは、今の形が一番生きやすいんですけどね!

ということで、前置きが長くなりましたが、そんな私でも、剛さんについて、少しずつ、整理が出来てきたような気がします。

まだ「少しずつ」なのか、って感じなんですけど。

本当に、こんなに衝撃を受けることに驚くくらい。

私は、剛さんだけ、あるいはキンキさんの曲だけがスマホに入ってます、それだけ聴きます、というタイプではなくて、むしろ、かなり節操なく色々と聴くほうなんですよね。

邦楽、洋楽、クラシック、歌謡曲も讃美歌も三味線も、好きな曲も好きな歌手も沢山で、その中に剛さんが、キンキさんがいらっしゃる。

だから、唯一の音楽ではないはずなのに、そして、なんなら全く聴かない期間だって作るのに、それでもやはり、自分にとって特別な歌声なんだな、とつくづく感じます。

だからこそ、不意に剛さんの聴力が、という知らせを聴いて、ここまで動揺するんだな、って。

そして、それと同時に、その動揺の中でも、まだギリギリ落ち着いていられるのは(全くそう見えない自覚はあるんですが、まだ落ち着いてるつもりなんです、これでも)、剛さんが7月のイベントで歌ってくださったからこそだな、と強く思います。

正直、右も完璧じゃなくて90なのかとか(あのインタビューの時点で)、改善の知らせが全然聞こえてこないとか、嵐が吹くような、目を閉じてしまいたくなるような瞬間が沢山あっても、剛さんがあの歌声を失ったわけではない、と剛さんご自身であの時、実際に示してくださったことが、凄く大きな光になっているように思います。

まあ、私はイベントに参加出来ていないので、今のところ発症後の剛さんの歌声は聴けておらず、その意味では、実際どうなんだ、という気持ちも正直あるんですけど。

映像で出してくださるのかなあ、どうなるんですかね。

どちらにせよ、あのタイミングで歌ってくださったこと、本当にありがたかったな、と思います。

退院後に番組のロケに駆けつけられたことにしてもそうですが、剛さんはこういうところ、直球で、スパンと示してくださるような気がします。
御負担も色々あるだろうに、本当にありがたい。

剛さんのその真っ直ぐさが、剛さんを助けてくださいますように。

というわけで、ここからは頑張って遥か遠くまで(笑)見に行った映画の感想です!

ここからは、もう完全に私の文章のテンションが変わります!
何故なら、剛さんがあまりにも素晴らしかったため、否応なしに淡々とは書けないからです!(笑)

そして、どんな状況であろうとも、沈んだ気持ちで、この映画で感じた剛さんの才能や努力や感性の素晴らしさを書き連ねたくないからです!

もう本当に、20代の沢山の俳優さんやアイドルさん(やそのファンの皆さん)が喉から手が出る程に欲するであろうような役を、今、剛さんに、というだけでもう、関わる全ての皆さんに感謝せざるをえない。

私は剛さんの才能をまだまだ半分も理解できていないんだな、という思いもよらぬ、そして幸せすぎる打ちのめされ方をしてきました(笑)

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平安神宮公演

フェスが欠席なら、平安神宮公演をやるのは色々な意味で難しいのではないかと思っていたので、驚きはほとんど無かったのですが、やはり、やるせないなと思います。

剛さんの為にはやったほうが良いだろうけど、剛さんのお身体の為にはやらないほうが良いんだろうな。

こうなって改めて、ありがたいことに御縁をいただいて、平安神宮公演で聴いた剛さんの歌声を思います。

まず思うのは、剛さんの歌声は、あの空間に、あの場に、あの夜空に、今も、間違いなく溶け込んでいる、と感じられることです。

消えてなくなるんじゃなくて、空気に溶け込んでいく歌声であり、音楽であり、大きな言葉を使うならば、魂であると感じたこと。

もう既に、重ねられた剛さんの美しい全てが、歌声が、あそこに何らかの形で今もある。残っている。

だから、今、実際には剛さんが公演を行えなくとも、そういう意味では、他の事よりは少し安らかな、静かな気持ちでいます。
そう思えることが幸福だとも思う。

今はまだ、昇華させてしまうべき時ではないということなのかもな、とふとよぎるのも、神宮という場の性質ならではかな、と思いつつ。

とはいえ、個人的には色々な感情が出つつもそう思えても、剛さんのお気持ちを想像すると、やはり辛いな、と思います。
いつ治るのかの目処すら無いのに、やりたいこともやれずにじっと待て、ゆっくり休め、とか本当、自分だったら、と思うと。
絶対に耐えられない。

それでも、下にも書いた通り、剛さんは這い上がらずにはいられない、しゃがみこんでしまえない方だと思っているので、その、剛さんの強い美しさが損なわれませんように、と心から願っています。

今までに参加させていただいた平安神宮公演の自分の感想を読み返したら、あくまで自分にとっては、なんですが、驚くくらいに、今の状況への気持ちに通じるようなことを書いていて、人間、そうそう変わらないのかもな、ってしみじみ感じました。

剛さんの、美しい、孤独な強さ。

今回、聴力という、外からは分かりづらいのに、ご本人にとっては一番といっても良いんじゃないかと思うくらいに大事な力にきたことにも、剛さんの哀しさを感じます。

外傷とは違って、見えにくくて、結局のところは、聴こえにくいその感覚も、剛さんにしか分からない。

勿論、どんな痛みも、その人にしか分からないものなんでしょうけど。
剛さんの御病気はどれも、なんというか、経験がないと、想像もしにくいような性質のものが多い気がします。

しかも、今回は特に、同じ病名でも、症状も治り方もかなりばらつきがあって、共感もちょっと難しそうなのをなんとなく知る度に、剛さんがこの病になった難儀さを改めて思います。

剛さんは、こんなに、あんなに愛されている方なのに、どうしてこういった種類の孤独に縁が深いんだろう。

今までの御病気でも思ったんですけど。

よりによって、理解されにくかったり、自分でなんとか付き合いかたを探ったりしなくてはならない、症状も外からは見えにくいものが多い気がします。
そしてまた、完治する確率が低くて、どうしても一生の付き合いを見据えざるをえない。

そして、ある意味、お医者さんにすがるしかない、というような物とは違う病だし、手術すれば良いようなものでもない。
治療方法すら、確立した、スタンダードなルートが少ない。

難儀だな、と思います。

そして、そういう病が重なっていくのが、剛さん御本人の哀しい孤独さという性質を強めていくようで、怖いような、諦めに近いような、何とも言えない気持ちになる。

愛を尊ぶ剛さんだからこそ、本質的な孤独と共に歩むしかないのかもしれない。

それが不幸とは思わないんですけど。

剛さんの聴力が、少しでも多く戻りますように。
そして、剛さんのお気持ちが、少しでも安らぎますように。

本質的な孤独とは別に、剛さんの周りには、剛さんを想う方が沢山いらっしゃると思うので、皆さんのお気持ちや動きが、剛さんの慰めになりますように、と願いたいです。

本当に、人が人の為に出来ることってなんだろうな。

どうか、剛さんが捧げる愛が、剛さん御自身のことも救ってくれますように。

最近は本当に、自分のためだけに書いてしまっていて、すみません。

美しい物に囲まれた道を

発表から1日経って、やっぱり辛いな、と思います。

20周年イベントの発表の時とはまた全然違う気持ち。

あの時は、剛さんの状態や治療の経過、お気持ちを知らなかったから、良かった、とだけ思えたんだなあ、と感じます。光一さんがいらしてくださることも本当に大きかった。

勿論、今回、絶対に出るべきだった、とは全く思わないし、お身体にとっては最善だと思うんですよね。

それが大前提としてある上で、辛いな、と思う。

私は普段、自分の感覚をなるべく、お二人から引き剥がしたいというか、分かったようなことをなるべく言いたくないと思っているのですが、今回はそれが出来そうにないので、ここからは下げます!

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瞬きするたび

明日、色々書けると思うのですが、少しだけ。

今、剛さんの手から溢れていく美しい物達が、時間が、音が、どうか循環して帰ってきてくれますように。

剛さんは、自分の身体を自分の思う通りに出来なくなる苦しさと諦めを知らざるをえなかった方だと私は思っているので、余計に、今の状況が、ただ、辛いな、と思います。

剛さんには、きっと、今、その場が強烈に必要だっただろうに。

勿論、お身体最優先なのは間違いないんですが、もし自分が似たような状況だったら、と思うと、これで良かったとも全く思えない。

私、剛さんが、一定期間が過ぎたら、治ろうが治るまいが音楽の仕事は再開する、というようなことをおっしゃってたと読んだとき、良いとか悪いとかじゃなくて、分かる、と思ったんですよね。

私も同じような状況に置かれたらそうする、そうとしか出来ない、と思った。

だからこそ、今回の不参加決定、20周年イベントが中継になったこととは全く違う感覚でいます。

なんだろうなあ、もう本当に、剛さんが少しでも楽でありますように。

そして、このタイミングで合作曲作成を持ってきた光一さんの渾身の情の込め方、本当に凄いな、とぼんやり思います。

この状況で、剛さんに合作曲を作ろうと差し出すこと。
沢山の物が溢れおちていく不安の中で、新たな物を、一緒に形作ろうとすること。
凄い。

また明日、色々書きにきます。
おやすみなさい。