美しい物に囲まれた道を

発表から1日経って、やっぱり辛いな、と思います。

20周年イベントの発表の時とはまた全然違う気持ち。

あの時は、剛さんの状態や治療の経過、お気持ちを知らなかったから、良かった、とだけ思えたんだなあ、と感じます。光一さんがいらしてくださることも本当に大きかった。

勿論、今回、絶対に出るべきだった、とは全く思わないし、お身体にとっては最善だと思うんですよね。

それが大前提としてある上で、辛いな、と思う。

私は普段、自分の感覚をなるべく、お二人から引き剥がしたいというか、分かったようなことをなるべく言いたくないと思っているのですが、今回はそれが出来そうにないので、ここからは下げます!


これは昨日も書いたんですけど、剛さんが、どこかのタイミングでけりをつけて音楽をやる(しかも多分、早めを想定してらっしゃいそうな感じ)っておっしゃるの、私は、凄く分かる、と思うんですよね。

自分も絶対そう思うな、って感じる。

治るかもしれないから安静にしろ、やるな、とりあえず半年、とか、自分なら絶対に耐えられないな、って思います。

2年安静にしとけば、50%の確率で改善、あるいは完治する、とか、それくらいの感じなら、まだ我慢出来るかもしれない。

でも、そうじゃないんですよね。

来るかどうかも分からないものを待て、って言われるの、私は無理なタイプです。

それなら、一刻も早く、もし、を想定して、今の自分に何が出来て何が出来ないのか確かめたい。そうやって、建設的に不安を潰していきたい。
気が狂いそうなくらいの勢いでそれを求めると思う。

これは、諦めが早い、とか、焦ってる、とは違う、と自分では思います。

多分、繰り返しによって受け入れざるをえない、やむを得ない諦めみたいなものがある。
自分の身体が、自分の意思に反する。
自分のことが、自分の思い通りにならない。

やりたいと思っていたこと、やらなければならないことが出来なくて、自分自身に失望したり、どうしても出来ないことが続いたりすると、どんなに嫌でも、その状況を受け止めて、その上でどうすれば良いか、という方向に考えるしか道が無くなる。

どう頑張っても思うように出来ない、それを強烈に痛感することが何度もあったら、現状を受け止められない、とか言っている余裕も無くなってくるんですよね。

とりあえず受け止めないと、いつまでも目の前にあって、どいてくれないから。

剛さんは、その感覚を知ってらっしゃる方であるように思います。

この状況がある、いつ治るのか、治らないのかも分からない。
じゃあ、もう一旦受け止めて、一刻も早く対応したい。
何故なら、やむを得ない諦めを苦しみながら繰り返したことで、そのプロセスには慣れているから。

ここで止まりたくない、止まれない、このままだと自分の中の何かが腐ってしまう、という恐怖。

それは、大丈夫だよ、と身内を含む他人に言われることや、良くなるまで、出来るようになるまで待つからゆっくり、とか言う、そんな事とは全く違う次元の話なんですよね。

他人が待っててくれないんじゃないか、みたいな心配は別にしていなくて、単純に、自分か怖い。
何なら出来るのか、何は出来ないのか、どうすればやっていけるのか分からないと、どうしようもない。

自分の為に、先に進むために動きたい。

自分が十代前半から延々、この感覚に捕らわれてここまで生きてきているからだと思うんですけど、勝手に、剛さんも似たような感覚になるタイプの方なのでは、ってちょっと思ってしまうんですよね。
いや、全然分からないんですけど!
全然違うかもしれないんですけど!

ただ、今までの剛さんのご病気とか、活動とかをぼんやりと思い返すと、やっぱりちょっと思ってしまいます。

私の中では、剛さんはかなり現実的な方なので、確実に治るのでなければ、そこに賭けるよりも、堅実に今出来ることをしたい、と望まれそうだ、と思う。

そして、剛さんは別に、ファンなり周りの方々なりが、自分のことを待っててくれないんじゃないか、という類いの不安を抱える程、愛情に鈍い方ではない、とも思う。

ただ、剛さんのような方が、今の状況で、望んでいた、開かれた場に立ち、今出来ることを確認出来ない、停滞するしかない、というのが、辛いな、と思います。

剛さんって、なんだかんだ、ここまで、停滞はされていないように思うんですよね。
どんな時でも、色々なプロジェクトを立ち上げて、ひたすら歩き続けてきた。

その意味で、強靭な方だと思うし、多分、そうとしか出来ないタイプの方なんじゃないか、と思います。
行き止まりにぶつかっても、そこでしゃがみこめない。
なんとかよじ登ったり、違う道を探したりせずにはいられない。

そういう、突き動かされるようなものを抱えていらっしゃるように見える。

まあ、自分自身がそうだから、そう見たいだけかもしれないんですけど。

これはもう、衝動というか、性質というか、とにかく、無理に停滞させられると、破裂するしかない、くらいの何かが自分の中にある。

私は全然違うんですけど、剛さんはここに更に、水のような性質を持ってらっしゃるようにも見えるので、余計、淀みたくないから停滞出来ない、というのもあるのかな、と思います。

そういう方だというイメージが自分の中にあるからこそ、こういうハッキリとした停滞を突き付けられてどうしようも出来ないの、本当に辛いだろうな、と思います。

これは、またいつかがある、とかいう問題でなく、今の苦しさの問題というか。

ここまで、流れがめちゃくちゃで自分にしか分からない上に、完全に自分に引き寄せすぎてて、自分でも不味いなと思うのですが、書いて形にせずにはいられませんでした。

20周年イベントの時との、自分の感じ方の違い、こうして書き残せて良かったです。

そして、この状況だからこそ、光一さんの一手が凄いな、っていう昨日の最後の話に繋がるんですよね、自分の中では。

剛さんが、今回に関しては本当に、打つ手が無いに近い状況になる中で、新しい曲を、しかも合作で作る=キンキを停滞させない、という流れを作ったこと、光一さんがどこまで意識されてるか分からないですけど、凄いなと思います。

どうなんですかね、実は発症前に剛さんの手元にあった可能性もあるのかな、そういえば。

イベントに参加してないので、ニュアンスがいまいち分かってないんですけど。

なんにせよ、今までの活動内容の躍動感からして、剛さんは停滞が苦手なんじゃないかな、とはやはりなんとなく思うので、今、光一さんに合作を望まれてるの、良かったな、としみじみ思います。

本当に、どうかまた、剛さんがストレスなく、音を楽しみ、伸びやかに歌われますように。
剛さんの歌を聴くと、そう思わずにはいられないですね。

どうか、剛さんの心が慰められますように。
そして、どうか、剛さんがこの中でも道を探り当て、ご自分の為に、歩き続けることが出来ますように。
なるべくなら、美しい物に囲まれた道を。