平安神宮公演(9月11日) 6

もう二週間以上経つんだなあ。
まだ、剛さんの歌声を思い出しては噛みしめる、ということを繰り返す日々です(笑)


○PINK

遂にここまで来ました。
半分は、これを書き残したくて感想を延々と書いてきたようなものです。

この曲は、本当にびっくりしました。
私、基本的に、剛さんにしても誰にしても、辛さとか苦しさとか悲しさとかって、あんまり理解しあえないものだと思っていて、分かる、とか、理解できる、とか、思いたくないんですよね。自分が感じたことがある範囲でしか、共感出来ていないはずなのに、全部を理解出来ているような気になることは、凄く失礼な気がしてしまって。

でも、剛さんがこの曲を歌ってらっしゃるのを聴いて、ああ、分かるとか分からないとか、っていうことではなくて、伝わってくることはあるんだなあ、って感じました。
勿論、その「伝わってくる」っていう感じ方も、自分に可能な範囲でしか感じ取れないものだから、全然、実際の剛さんの感情とか感覚とは違うと思うんですけどね!

それでも、自分のそういう考えを越えてくるものがあって、歌声って、しかも御自分で作られた曲を歌われる歌声って、こんなに強い力があるものなのか、って驚きました。まさに、空気が振動して、その空気を伝って届いてくる感じ。

私はリアルタイムで剛さんを追ってこれている訳ではないので、剛さんの曲や歌詞、あとは、以前の映像とか、ぼんやりと知っている、おっしゃってたこととか、エピソードとか、それこそご病気の事とかから、ああ、苦しんでこられたんだなあ、って思っていたんですよね。

でも、初めて、あの曲を生で聴いて、ああ、こんな風な苦しさだったのか、って感じました。考えるより前に、歌声を通して染み込んでくるようで。別に、泣き叫ぶように歌っておられた訳ではないのに、苦しさが滲んでいて、切羽詰ったものが根底に流れていて。あの歌声の生々しさに、ああ、こういう辛さだったのか、って。

個人的な、勝手な感覚だし、答え合わせのしようもないので、自分の感覚を本当のことだと思う気は全然無いんですけど、でも、こういうのって、自分の感覚しか頼れるものが無いんですよねー。歌声を聴いて感じたことって、自分ではある意味、疑いようがないというか、疑えないというか。

だからこそ、生で聴けて良かったな、と思います。
未だに、凄くあの歌声に引きずられているくらいのものがあって。

私は、CDとか、映像とかでしか当時の剛さんを知らないので、まず最初に印象的だったのは、「ああ、あの剛さんと今の剛さんは地続きの、同じ人なんだ」ということを実感できたことでした。当たり前のことなんですけど!

でも、剛さんはどんどん変わっていかれる方なので、5年前、10年前の作品に触れると、根底に流れるものは変わらない部分が多いけど、それでも、まるで違う人の表現みたいに感じられる部分もあります。特に、歌声。どの時期の剛さんの歌声も好きなんですけど、歌い方や技術で、時期によって全然、受ける印象が変わるんですよね。それだけ、どんどん進化してきてる、っていうことでしょうから、それも凄いな!って今回、改めて思ったんですけど。

ということで、私にとっては、あのアルバムまで遡ると、今とはかなり受ける印象が違って、「今とはまた違う、あの頃の剛さん」という感覚で見聞きすることが多かったんですよね。

でも、今回、この歌の途中、かなり、あの頃の歌い方に寄った瞬間があったように思うんですよね。何だったんだろう、語尾だったのかな、とりあえず、あの頃の作品の歌い方をしてらっしゃる、ってハッとした箇所があって。

そこら辺からは特に、うわあ、って驚いて、鳥肌が立ちそうなくらいの感覚がありました。

ここから、今までにも増して、どこからの電波を受信した、って感じのことを書いちゃいますけど(笑)、一瞬、まるで剛さんの魂が、激痛を思い出して、その痛みに耐えかねて痙攣した、みたいな、そんな歌声に聴こえた瞬間があったんですよね。
痛くて泣くとか、そんなことじゃなくて、不意の、あまりに大きな痛みに、痙攣したみたいな。全然、歌声が揺らいでいた、とかそんなことは無かったんですけど。

そして、その瞬間は、本当に無防備に、パックリと開いたままの傷口を、意図せず曝け出してしまった、みたいな印象を受けました。
剛さん御本人は、全然、そんな気が無いのに、不意に、それこそ防波堤が一瞬だけ、崩壊しかけるみたいな。すぐに形を取り戻したけど。

今は血は流れていない、だけど、その大きな傷口は開いたまま。その傷口が、不意に目の前にさらされた、みたいに感じて、全然、心の準備が出来てなかったので、半分、ギョッとしました。

そうそう、私、この曲に関しては、心の準備が出来てなかったんですよね。
あのアルバムは凄く好きで、よく聴いてはいたんですけど、意外と、そこまではピンと来てなかったんです。曲として、美しくて、歌詞も印象的で繊細で、という意味では凄く好きだったんですけど。
曲を作られたときのエピソードも知ってはいたんですけど、曲の美しさのほうに意識がいっちゃってたし、それこそ、時間差があって、「ああ、剛さんはこんな思いでいらっしゃったんだなあ」という感想のほうが大きかった。

だけど、今回、生で聴いて、ああ、この曲が色々と言われるのは、これでか、って思いました。
そりゃあ、特別な曲だと言われるわ、みたいな。

なんだか、御本人なんですけど、歌い方が昔に寄ったように感じたのもあって、まるで、以前の剛さんを、今の剛さんにおろして歌っているような、そんな風に感じられるくらい、苦しさが生々しく感じられて、そういう意味で、半分ゾッとしました。まるで、以前の剛さんと、今の剛さんが一緒に歌ってらっしゃるような感じがして、もはやちょっと怖いくらいで。

剛さんは「痛み」という言葉をよく口にされるし、それが今回のテーマだった、と最後にお話されたのも凄く納得したんですけど、そうやって「痛み」というキーワードから離れられない、というのが、初めて、実感として納得出来たような気がします。
剛さんは、歳を重ねて、強くなられても、痛むこと、痛がることを厭わず、疎まず、そして忘れないでいてくださるんだな、って痛感して。

痛むことから眼を反らすこと、上手くやりすごす方法なんていくらでもあるだろうに、剛さんはそれをしない。
それは、「痛み」に酔う事でも、痛む自分に酔う事でもない。そんな風に簡単に出来ることじゃない。
きっと、眼を反らして逃げてしまうほうがずっと楽なのに、剛さんは踏ん張って、痛み続けてらっしゃる、ように感じました。

私、「痛みが癒えた」とか「傷口が塞がった」とかって言うのは、勿論、本当にそうな場合もあるけど、眼を反らせるようになった、とか、痛みに鈍くなった、という場合も結構あるんじゃないかと思うんですよね。それは凄く良いことだとも思います。

でも、剛さんの作品のファンとしては、本当に酷いんですけど、剛さんには、そういう処理の仕方が出来るようになってほしくない、みたいな、鬼のような気持ちが、どこかにあります。
剛さんの純度の高さの理由の一つは、ここにあるように思っちゃってるんですよねー。
痛むことを厭わない、というのは、ある意味で、剛さんの真摯さの一番の証拠であるような気がします。
そして、多分、私が剛さんに対して、一番、強く求めていることって、あの、痛む気持ち、あるいは悼む気持ち、哀しむ気持ち、愛おしむ気持ち、そういうものを鈍らせず、敏感であり続けてくださることなんだと思うんですよね。
特に、痛むことや、苦しむこと。
剛さんには幸せでいていただきたい、という気持ちも勿論あるんですけど、それとは別で、剛さんのああいう繊細さ、真摯さを失ってほしくない、とも思ってしまう。

今回も、あの頃の痛みをただ思い出してどうの、ではなく、あの頃の痛さに、今、また改めて傷ついて痛んでいるように聴こえて、ああ、この人は本当に、こうあり続けてくれている、って、胸が詰まりました。
別に、誰かのために、というより、そうあるしかないんでしょうけど、剛さんは。
きちんと痛みを感じ続けることが出来る方であってくださる、というのが、剛さんの独特な魅力の理由の一つだと思うので、生で、それを見聞き出来て、静かに嬉しかったです。

とか言いながら、今も痛いのか、今も辛いのか、って感じたことに動揺して、「なんであんなに可哀想なんだ、せめて良い人に囲まれてくれ」って、咄嗟に、凄く強く思いもしたんですけどねー。
感受性が強い、って、御本人にしたら、凄く難儀でもあるんだろうな、って、しみじみと感じました。

それでも、今の剛さんは、痛みに振り回されず、飲み込まれきってしまわず、でも、それを忘れず、というのが出来るように見えました。そして、それが出来るということは、本当に、剛さんは、御自分では意識してらっしゃらない方向でなのかもしれませんが、強い人なんだな、と思います。

うん、これも、今回、大きなことでした。ああ、剛さんは本当に強い人なんだな、あるいは、強くなった人なんだな、と思えたことが。

ということで、帰ってきてから、改めてアルバムの「PINK」も聴いているんですけど、生で聴いた後だと、やっぱり受ける印象が全然違うな、と思います。自分を必死に鼓舞しようとする思いが込められているんだな、って感じられて。

歌詞でいうと、特に「その唇が裂けて吐き出す愛の歌」っていう組み合わせ方、本当に凄いと思います。
生で聴くと、改めて、ここの歌詞も印象的でした。
剛さんにとっての愛って、一体どんなものなんだろうなあ、っていう永遠の命題がまた、今ここに、みたいな(笑)

それから「痛むこと面倒だなんて云って 本当はどうにかはしたいんだろう」という歌詞も、自分がかなりしんどい時期だったのもあって、凄く凄く響きました。まさに、本当にそうだな、と思って、ハッとしました。
ある程度のことを諦めて、辛いと思うことにすら疲れて、考えるのも難しくなっていたけど、本当は、そうだ、自分に纏わるあらゆることを、どうにかはしたい、って私は思ってるな、って感じて。
この人は、こういう突きつけ方をしてくるから好きだな、って思いました。
ああ、そうだ、って思えるような、気付かされるような、そんな歌声で。別に、声高らかに訴えかけてくる、という歌い方では無かったんですけど、多分、だからこそ、あんな風に揺さぶられたんだろうなあ、と思います。
自分は、本当はどうにかはしたいんだ、ってハッとする、っていうことが出来ただけで、気持ち的に楽になったような気がします。
CD音源とは違う箇所にグッとくる、っていうのも、生で、そして今の剛さんの歌声で聴けたからなんじゃないかと思うので、そういう意味でも、今回、参加させていただけて良かったなあ、って改めて思いました。

この曲が、今回、一番、印象が変わって、色々と驚いた曲になりました。
聴かせていただけて、本当に良かったですし、これからも噛みしめていくんだろうなあ、と思います。

ということで、道筋が見つけられないまま書きだしたので、いつも以上に読みにくくなってしまったと思いますし、いつも以上に、勝手な感覚だけで書いてしまいました。すみません!
そして、コツコツ書いて、少しおいて、読み直してあげる、ということをしているので、流れが変に途切れていたり、自分にしか分からないような書き方にもなっているような。でも多分、きちんと仕上げようとすると、余計、ごちゃごちゃしそうなので、ここで区切って、ひとまず上げようと思います!

あとは、最後のセッションのことをチラッと書いて、演出の事とか、最後のお話のこととか、全体を通しての感想とか、を書いて終わりにしようと思います。