詩歌の待ち伏せ 上 北村薫

沖縄に行く前に、北村さんのエッセイ評論を読みました。

詩歌の待ち伏せ〈上〉

詩歌の待ち伏せ〈上〉

いやあ、改めて、自分はなんて無知なんだ!って思いました(笑)
よく知られていることですが、とあることを知らないことが多くて。

北村さんの穏やかな文章で、詩歌の楽しみ方や面白がり方を教えていただいているようで、読んでいてとても楽しく、大事に読み進めました。

好きな詩人の石垣りんさんの詩についてのエッセイもあって、とても嬉しかったです。こちらでは、「悲しみ」という詩がとりあげられていました。
「悲しみ」は初めて知ったのですが、やはり凄く印象的でした。
人は親になろうと、何をしようと、自分の親との関係においては、いくつになっても子なのだ、ということが、こんな風に書けるんだな、って。

65歳で骨折をして、医者に治ってももう元には戻らない、と言われたとき、お父さん、お母さん、ごめんなさい、と腕をさすって泣く。

両親にもらった大事な体に、という言い回しはよくしますが、この詩を読んで初めて、実感出来たような気がしました。両親が死んでいても、それでも子であって、「おばあさんではありません。」
その気持ちが、確かに、痛いほど想像できるような気がして。
年を重ねようと、両親が死のうと、子供としての気持ちは変わらないんだろうと想像します。

自分の体を大事にしよう、と改めて感じました。
是非、下巻も読みたいです。