小粋な失恋 内館牧子

最近、都々逸にちょっと興味があるので、手に取ってみました。
内館さん、知ってはいたんですけど、読んだのは初めてでした。
とても読みやすかったです!

小粋な失恋 (講談社文庫)

小粋な失恋 (講談社文庫)

内館さんの都々逸の解釈の仕方もとても面白く読んだんですけど、やっぱり、都々逸そのものが面白くて。

和歌もそうなんですけど、昔の人が言葉を使って表現した感覚に、今、ああ、分かる!って共感出来たり、とても近く感じたり出来るのって、言葉の優しいところだと思うんですよね。人を想う気持ちも、自然を美しく想う気持ちも、くっきりと伝わってくる。その人の感情や感動が、きちんと、より正確に残る気がします。

音楽にもきっとそういう所があるんでしょうけど、私は言葉のほうに、より感動するんですよねー。
こういう意味では。
より的確に・・・、というか、誤解のしようがない形で、発した人の想いを残しながら、時を越えていける気がして。

音楽は、こうなのかなー、と思っても、違う、っていうことが多いような気がするんですよね。
表現してある感情や思考を正確に読み取れそうな気があんまりしない。
プラスかマイナスか、楽しい、物悲しい、くらいなら何とかなっても、より繊細なところになると、私みたいなのはもう、お手上げで。
だからこそ、自由で良いんですけど、たまに虚しくなることがあります。
この感覚はこちらの勝手な独りよがりなんだよなあ、この音に、あちらが何を意図してるのかは細かくは分からないよな、って。
それもあって、お客さんとか、見る人、聞く人の解釈に任せます、っていうスタンスのものは苦手です。

言いたいのはこれ!こうなの!分かって!!正確に理解して!くらいの表現のほうが好きなんですよねー。
基本的に、自分から好きに感情移入したい、っていうよりは、相手の強い感情や思考に取り込まれたい、飲み込まれたい、くらいの気持ちのほうが強いんだろうと思います。
言葉は、音楽よりは、私みたいな人間に向いてるような。
言葉だって、完璧に正確に、なんてことは勿論、無理でしょうし、音楽は音楽でとっても好きなんですけどね!

なんだか、言いたいことが漠然とした感覚に根差したことすぎて、まだ上手く書けませんでした(笑)

好きだった都々逸を書いておきます!

・あの人の どこがいいかと尋ねる人に どこが悪いと 問い返す
さらっとこう返せる人は、物凄くかっこいいな!って思います。
これは、こう返せる人もかっこいいし、言われるほうも嬉しいですよねー。

・ふてて背中を合わせてみたが 主にゃかなわぬ根くらべ
これは可愛いですよね(笑)
背中を合わせてみる、というだけでも、結局離れてはいなくて可愛らしいのに、根くらべにも負けちゃう、っていう。

・惚れられようとは過ぎたる願い 嫌われまいと この苦労
これは、分かるなあ、って思います。
好きになってもらいたい、とかそんなことよりもまず、嫌われまいと咄嗟に思ってしまう気持ち。

・逢うたその日の心になって 逢わぬその日も暮らしたい
これは、成程なあ、って思いました。
そう出来たら、確かに幸せだよなあ、って。

・こうしてこうすりゃこうなるものと 知りつつこうしてこうなった
これは本当に、遊び心があって、それでいてどこか大らかに肝が据わっていて、良いです。
色々とあっても全部飲み込んで笑ってこう言える人は、粋な大人、という感じがします。

・つらの憎さよあのキリギリス 思い切れ切れ切れと鳴く
湿っぽくなくて、どこか可愛らしくもあって好きでした。
歯切れも良くて、面白くもあって、それでいて気持ちも伝わってきて。

・明日は明日だよ朝顔見なよ その日その日を咲いている
純粋に、花を使ってこう言ってくれるのが良いな、って思います。
明日は明日の風が吹く、それもそうなんですけど、私は花のほうが嬉しいな、って思いました。
地に足がついていて、それでいて美しくて、どこか儚くもあって。

また機会があったら、都々逸の本を探して読んでみたいなと思います!