怒りについて セネカ

最近の記事に、沢山のお星様ありがとうございました!!
そして光一さん、NHKさんで科学の番組に出演されるんですね!NHKさんということは、文系でもついていけるくらいの内容の話をしてくれるはずなので、楽しみにしてます。

怒りについて 他二篇 (岩波文庫)

怒りについて 他二篇 (岩波文庫)

倫理学のテストはレポートみたいなものを書け、ってことだったので、これを選んで読みました。
おかしい、私はこれ系の学部じゃないのに、本業より勉強時間をとられてる気がする・・・!(笑)

『怒りについて』。怒り、っていうのは、多分、私が一番切実に考えて、抱えてる感情なので、物凄く興味深かったし、面白かったです。この授業をとってなかったら読まなかっただろうから、良かったな、これも一つの縁なんだろうな、って感じます。

簡単に言うと、怒りは無益で、おぞましく凶暴なものだから、怒らないようにしなさい、人生は短いんだよ、ってことが書いてあった(んだと思う)んですけど、怒ってはいけないけど、報復はしてもいい、するべきだ、って言うんですよね。そこが面白いな、って感じました。

それから、怒っている人間に他人を裁く資格は無い、なぜなら、怒っている時点でその人間は心の過ちを犯しているから、っていうのは納得できる気がします。怒っている人に怒られてもそんなに心に残らないけれど、冷静なまま叱られると、「ああ、この人は自分の為じゃなくて私の為に怒ってくれてるんだな。」って思えるんじゃないかな。

私は、あまり叱られたことが無いので、よく分からないんですけど。
偶に、一青窈さんの「指切り」という曲の
『最近、叱られた記憶がないのは しあわせ?ふしあわせ? あたしの口癖』
っていう歌詞を思い出します。自分のことだけで言うと、小さい頃、良い子だった子のほうが後々こじれる、っていうのは本当なんだろうな、ってちょっと思う。

セネカに話を戻すと、この人、多分良い人だったんだろうけど、私はこの人とは分かり合えないんじゃないかな、って感じました(笑)

無益で、おぞましく醜いと分かっていても、心の奥底から湧き上がり続ける怒りがある。精神だけ、肉体だけを傷つけられたのなら、いつかは癒されるのかもしれないし、考えようによっては、小さいことだと自分に言い聞かせられるのかもしれないけど、肉体と精神を同時に、しかも理不尽に痛めつけられたら、もう怒り続ける以外に道が無いときがある。どうしても、感覚的に、小さいことだった、と思えない。理性的に考えると、大したことじゃなかったのかもしれないけど。それでも、怒っちゃ駄目だ、ってことなんだろうなー。ストア派は厳しい。貴方の為だよ、ってことで優しくもあるんだろうけど。そして、「怒りをみずから捨て去るほうが、怒りに捨て去られるより、どれほどよいだろう。」っていう文章に、なんだか泣きたくなりました。分かってるつもりなんだけどなあ。出来ないってことは分かりきれてないんだろうなあ。

「怒りに対する最良の対処法は、遅延である。」とセネカは言います。反射的にこみ上げる怒りに理性が同意することで、人間は怒りを発動させる。だから、すぐに怒らずに、時間をおいて理性的に、怒るべきか、その価値があるかどうか判断しろ。意外とそれ、小さいことだよ?みたいなことで、この言葉は心にとどめておこうと思うんですけど、15年経っても怒ってることって、もう怒り続けるしかない気がする。

「怒りが支配できない情念は何もない」んだもんなー。それだけ強いんだろうな、怒りって。長い付き合いになるのかなー。

代わりに、普段はほとんど怒ることがないから、プラマイゼロで良いや、ってことにしとこう。今は。

あと一週間ちょっと、テスト頑張ってきます!