蛇行する川のほとり 恩田陸

昨日今日で読んだこの小説、もう、好みど真ん中でした。

蛇行する川のほとり (中公文庫)

蛇行する川のほとり (中公文庫)

ネタバレになっちゃうと思うので、この先を読む方は注意なさってください。


辛い展開に、「香澄さん・・・!!どうして、人は全てを分かり合うことができないの?!(混乱)」
って悲しくなりましたけど、恩田さんの書く高校生、しかも美しく賢い高校生は本当に魅力的で、読んでいる間ずっと幸福でした。
私は、芳野が一番好きだったなあ。この小説を読んで、彼女に自分の絵を描いてほしい、そこに描かれた自分の核を見てみたい、と思わない人ってそんなにいないんじゃないかな、って思います。

そして、この話の登場人物である香澄と芳野の関係性が、なんとなくキンキさんの関係性に似ているように思えて、ぼんやりとキンキさんのことも考えながら読んでた気がする。

『その通り。あたしたちは仲良しじゃない。
 あたしたちは離れられないのだ。本人の望むと望まないとに拘わらず、二人は結び付けられてしまった。遊びで互いの手に手錠を掛けてみたら、鍵をなくして外れなくなってしまった、そんな状態に近いのだろう。
 あたしたちは利口な子だったから、これまでうまくやってきた。なくした鍵のことは考えず、手錠を嵌めたままうまく暮らす術を身に付けてきたのだ。
 かといって、あたしたちはお互いが嫌いなわけじゃない。お昼を食べるために仕方なく一緒にいるわけじゃないし、仲良しを装ってるわけでもない。
 あたしは、手錠を嵌めてしまった相手が香澄でよかったと思っているのだから。』

芳野は二人の関係性をこう考えてるんですけど、私のキンキさんの関係性に対するイメージって大体こんな感じで、私はこういう関係性が凄く好きなんです。自分達が望んで始まったんじゃない関係、ってなかなか無いから、凄く興味深い。キンキさんの場合は、ビジネスでの結びつきが根っこにあるからこその関係性で、そこがまた面白い。

そして、芳野は香澄に関して、
『理解できなくたって、好きになることはできるわ』とも言うんです。これについては、単純に、光一さんっぽいな、って感じました(笑)
光一さんって、剛さんのことを理解しよう、っていう感じがあんまりないんですよね。理解出来るか出来ないかはそんなに大きな問題じゃない、基本的には、剛さんがただ存在してればそれでいい、あれこれ考える必要もない、みたいな感じ。対して、剛さんは一生懸命光一さんのことを見て、考えて、理解しようとしてるように見えます。その違いについても今度、しっかり書いてみたいなあ。

ここからは、小説に話を戻します。芳野は、幼い頃に一緒に経験した事件のことで、自分を見張るために香澄は近づいてきたんだと考えてます。そして、香澄はそれを察してるんだけど、敢えて否定しようとはしない。それについては、『あたしの気持ちを説明しても、信じてもらえるとは思わなかったからだ。』ってあるんですけど、これがもう、読んでるほうとしてはもどかしくて!
『芳野には、あたしがどんなに彼女に感謝しているか、どんなに彼女を大事に思っているか、きっと一生分からないだろう。それでもあたしはちっとも構わない。彼女はあたしのそばにいてくれるし、今、あたしはこんなにも幸福で、世界を愛しているのだから。』
香澄はこう考えるんだけど、翌日には唐突で残酷な終末がやってきてしまう。

相手に対して抱いてる愛情を、お互いがきちんと把握し、確信しきれてないのを第三者として見るのって、なんでこんなにもどかしくて切ないんでしょうね。人と人が完璧に分かり合うことが出来ないのは、当然のことなのに。

香澄の、芳野に対する最期の言葉の選び方がまた、こういう言い方でいいのかわからないけど、完璧なんです。
『芳野』
『愛してるわ』
『あんただけよ』
よく聞く言葉だけど、この二人だからこそ、自分が能動的に選んで始まった相手じゃなかったからこそ、大きな意味が出てくる。長い間香澄が伝えたかった、そして芳野が心の底から望んでいた、このシンプルで強烈な言葉を、香澄が口に出来て良かったし、芳野が聞けて良かった。本当は、芳野も香澄に言葉で伝えられたら良かったんだけど、いつもいつも、気が付いたときには全てが遅いんですよね。芳野はこれからずっと、伝えられなかった香澄への言葉や想いを募らせながら生きていくんだろうなあ・・・、本当に、こういうのが一番辛い。溢れる感情が一から十まで、相手に伝わってくれたらいいのに。

恩田流の『藪の中』がこの小説なんだろうな。一つの事件に対する、沢山の真実達。そして、香澄と芳野、二人の関係性に対する、本人達と周りの人達の、様々な解釈。
恩田さんのこの種の作品には、美しい夢や憧れが詰まってる。だからこそ、こんなに愛おしいんだろうな、って思います。