無事に帰ってまいりました!

2月に入り、無事に福岡に帰ってまいりました。

やはり大変は大変だったのですが、案ずるより産むがやすし、って本当だな、という感じでした。

そもそも、今回、私と母が帰ることになった原因の一つは、普段、夜は祖母を見てくれている叔父が、腕の痺れを訴えて手術をすることになったからだったんですよね。

叔父は、血が止まらなかったり、感染症にもなったりで首の手術を短期間に3回もしたそうなんですが、ほぼほぼ病院側のミスみたいです。
病院側も、こちらに責められないように、物凄く神経質になっているそうなのですが、手術前の両腕の痺れという症状は多分、治らないのでは、という感じのようです。

医療は、あるいはお医者さんは万能ではないと分かりつつ、叔父には生まれつきの障害があることもあり、治らなかった場合のことを考えると、やはり心配です。
今後の経過を見て、皆で色々なことへの対策を考えていくしかないんですけど。

祖母の介護に関しては、やはり子供世代より孫世代のほうが、感覚的には楽なのかもしれない、と感じました。
若かった頃の記憶が薄いぶん、出来ないことが増えたことを受け入れやすいような気がして。

介護は力仕事だし、気も遣うし、気を抜けないし、人間同士だから互いに感情的になることもあるし、終わりは見えないし、自分の時間もほぼ無い、ということが分かって、改めて、大変なことだな、と思いました。

慣れないこともあり、やはり凄く疲れてしまって。

祖母本人が出来ると思っていることと、実際に出来ることに隔たりがあって、その差が、転んだり、怪我をしたりすることに繋がっているんだな、ということも実感しました。

だからこそ、介護する側は気が抜けないんだな、って。

うちは意思疎通がある程度出来るので、まだ楽だったはずなのですが、たった10日程であそこまで疲れたということは、世の介護をしてらっしゃる方々はどれだけ大変だろう、と思います。

職業として介護に関わってらっしゃる方々も、責任の重さや大変さを日々感じてらっしゃるでしょうに、朗らかな方が多くて、本当に頭が下がります。

介護には何より、終わる日が明確には分からない、そして、終わることを願えない辛さがある。

介護は、する側の感情も、される側の感情も、綺麗事では語れないし、考えられないことなんだな、と感じる日々でした。

それから、祖母には糖尿があるので、インスリン注射をするのですが(今回初めて知ったのですが、血管に刺す注射でなければ、素人でも注射が出来るんですね)、やはり人の身体に針を刺すのは少し怖かったです。

身体のことを考えると、食べる物や量を考えないと、と病院でも言われているのですが、本人はどうしても食べたい、と希望していて、幸せに生きるって何なんだろうな、と考えました。

いづれ透析になったら大変だから、と言い聞かせても、それでも食べたい、食べたい、と望んでいるので、「もし後で辛い思いしても自業自得、そんなに食べたいなら、多すぎないように気を付けて食べさせたほうが良い」という考え方もあるし、無理矢理に我慢させる方法もあるし。

寿命は誰にも分からないのに、毎日毎日、命が尽きるまで、もっと食べたい、白いご飯を食べたい、と思わせ続けるべきなのか。
食べることが一番の楽しみなのに。

それとも、例え食べたいものを食べられなくても、とにかく透析をせずに長く生きられるように、糖質をきっちり制限してあげるべきなのか。

私自身はどちらかというと、無理にでも制限をしたほうが良いのでは、と思うほうなのですが、偶にしか行けない私と、あちらで毎日のように介護をする親戚達とでは、感じ方は全く違うはずだし、難しいな、と思います。

朝3時に起きて、祖母の世話をして出勤する、というような生活をもう何年も続けて、大変な思いをしているのは叔母達なので、感情だけで物を言う事もすべきではないな、と思うし。

幸せに生きる、生活する、ってなんだろうな、と思います。

とりあえず、一週間、祖母と生活出来て良かったです。
あと少しでも遅いタイミングだったら、恐らく行けなかっただろうし。
沖縄では、内地とは比べ物にならないくらいに血族意識が強いというか、やはり独特な感覚があるので、祖母からしたら、ほぼ唯一の孫の私が行くことが、やはり重要だったみたいなので。

それから、笑い合えることの力の強さも、改めて感じる一週間でした。
沖縄側の親戚は皆、気性が激しくて、かつ、腹の裏でため込む、ということを一切しないので(笑)、数分に一度、激怒したかと思えば、数分に一度、爆笑しあうような毎日だったんですよね(笑)

全員が、怒る事にも、それは駄目だと思う、と指摘することにも、笑う事にも、エネルギーを一切惜しまないんです。凄い。
感情をあらわにする、ということに対して、躊躇いがない。

生死に関しても、生と死が地続きというか、死を忌むべきことだと思う感覚も薄いみたいで、こちらでは不謹慎だと言われてしまいそうなことが、あちらのニュアンスでは、ユーモアと笑いと共に語られるし。

なんというか、この方が正しい、というか、ちゃんと死と向き合っている、死を、あるいは死者を、身近に置いて生きているということなのかもな、と感じました。

しんみりとするだけが供養ではないし、死者を尊い存在として遠ざけてしまうことが良い事でもないな、って。

特に女同士の身内間では、遠慮が無さすぎるといえばそうでもあるし、気弱な人だと泣いてしまうのでは、というくらいに勢いがある、強気な会話が飛び交い続けるのですが(笑)、その中にいるのが、凄く面白かったです。

全く言葉を取り繕わないって、怖くもあるけど、裏を読む必要が無いから、ストレスもあまりないんですよね。
互いに、我が道を行く女が揃っているので、他人の言う事をそこまで引きずりもしないし。
見習いたいな、と心から思いました(笑)

そうそう、見習いたいといえば、祖母は83歳になるのですが、施設に着いたらすぐ入浴だよ、という日でもきちんと化粧をして行っていたのに驚きました。
身綺麗にする、そういう意識を持ち続ける、というところ、見習いたいな、って思います。

10日間ずっと、私はやはり離れたところで生きているので、互いに身内であっても他人意識があるというか、皆、ある程度気を遣ってくれて、ありがたいことだな、と感じました。

沖縄くらい離れていたほうがまだ、身内感覚が薄れていて、だいぶ楽に過ごせたし、心配していたよりは、ずっと大丈夫でした。

それでもやはり、今までに経験したことのない疲れかたをしていたので、寝る直前にキンキさんの曲を聴くのが本当に嬉しい、癒される時間になりました。

出発前日に受け取って、沖縄で聴くことが出来て、本当に良かったです。
ということで、時間を見つけて、少しずつ感想を書いていきたいと思います!

そうそう、沖縄では、買い物に入ったお店でキンキさんの曲が流れたことが数度あって、凄く嬉しかったです(笑)

よく知られた方々のファンになると、こういう励まされ方もして、ありがたいなあ、って思いました!