SONGS

キンキさんらしく、内容の濃い番組でした。
私、ありがたいことに、明日キンキさんのコンサートに参加させていただくんですけど、自分大丈夫か、くらいの気持ちになっています。

キンキさんが凄すぎて、明日ってちょっともう。
SONGSさんとTopazloveを少しでも受け止めてから行くために、せめてあと3日は欲しい。
でも、これくらいの気持ちで行けるのもありがたいし、嬉しいし、楽しみでもある。

とりあえず、書いて気持ちを整理したい。
ということで、感想です。

突発性難聴、やっぱり前兆も何もない、っていうところに、悔しさのようなものと、切なさがありますね。
せめて、何かの予兆があるような病であってくれたら、また違ったのかもしれないのに、という辛さがある。

「もしそういうことが起きなければ、ありがとうございます、と普通に通り過ぎて行ったかもしれない」とおっしゃる光一さん。
本当にそうだったでしょうね。
そして、そうであってほしかった。

ロングインタビューの剛さんが本当にお綺麗で、怖いくらいでした。
あと、光一さんこの日、目の感じが凄く綺麗ですね。
綺麗しか言えてない。

剛さんからの、まだ音楽としては使える耳ではない、の辛さ。
剛さんの耳は、普通に生活できる耳であれば良いわけじゃないんだもんな、って噛みしめました。

突発性難聴のことを、今も正直わからない、とおっしゃる光一さんの誠実さ。
そうですよね、御本人にしか、辛さも大変さも分からない。
そこをしっかり認識してらっしゃる光一さんの感覚、本当に信用できる。

恐怖より孤独。
そうだろうなあ、あの状況で病院にいるしかない、耳もどうなるか分からない、今後も見えない、って、孤独だったでしょうね。
剛さんの持つ孤独は、愛情がある誰かが側にいてくれれば孤独じゃない、というような単純な種類のものじゃないように見えますもんね。
そこから目を逸らさない、あるいは逸らせないのが剛さんであるような気がする。

剛さんの発症以降の歌番組、お祭りみたいにして乗り切ろうとする選択肢もあったでしょうに、光一さんはそうしなかったんだよなあ。
誰かと歌うだけでなく、一人で歌う、という選択肢もとった。
これも結局、キンキへの、そして剛さんへの誠実さだったような気がします。

そして、最後のところで、キンキに他人をいれない、という形に、光一さんの気持ちの深さも感じました。
皆の力を借りて、だけでは済ませることが出来ない、ある種のプライドというか。

一人で歌うことを、「違和感のかたまり」とおっしゃる光一さん。
ソロもあれだけしてらっしゃるのに、今まで二人で歌ってることを意識してなかった、っていうのも凄い。
それだけ光一さんの中で自然なんでしょうね、二人で歌う、ということが。
一人で歌って初めて、「無意識の中で意識」している自分に気が付くくらい、剛さんと歌う事が当たり前であり続けたのがまず凄い。

イベント、二人でステージに上がるのが一番良い、っていう認識がきちんとあって、それでもお二人はあの選択をしたんですよね。

剛さんからしたら、歓声で耳がどうなるか分からない、そうだよなあ。
普通の生活の中には、あんな歓声無いですもんね。
実験も出来ないし。

難しいですよね、心配だからこそ何としてでもステージに立ってほしい、っていう人もいそうだし、心配だからこそ映像出演すら控えてほしい人もいただろうし。

正解は無い以上、お二人が納得できるところで、そしてなるべく「負担のない形」でやるしかなかった。
時間も限られた中で、気持ちをすり合わせたんだろうなあ。

光一さんから剛さんへの、「彼だったら、映像の中でも、彼だからこそ成立させられる面白さがあるはず」という信頼。
光一さんが「信頼」という言葉を、きちんと言葉の意味で使ってらっしゃる・・・!と思わず言いたくなっちゃいますが(笑)、ここはグッときました。
確かに、無条件に、なんなら一番、光一さんがそう思ってらっしゃいそうだもんな、って。
映像越しの剛さんを誰よりも楽しんでらっしゃったのも光一さんな気がするし。

かっこよさ云々ではなく面白さ基準っていうのも、「あれ、キンキさんはアイドルさんだったような?!」という気持ちに一瞬なりますが(笑)、キンキさんらしい。
笑い的な意味だけでなく、魅せ方等込みでの「面白さ」でしょうし。

イベント映像を見るとしみじみ感じますが、剛さんからしたら難しかったでしょうね。
おっしゃるように、ダイレクトに諸々伝わるわけじゃない中でやってらっしゃって。
時間差も大きかったし。

それから、自分が光一さんの立場だったら、ってやっぱりお考えになるんだな、二人でお仕事されてきたんだもんな、って思いました。
剛さんの精一杯、映像でダイジェストで見せていただいただけですけど、沢山の幸せをくださって、楽しくて、お二人の選択を、お二人で正解にされたんだな、って感じました。

こんなことが出来るなんて、キンキだけ、という自信があった、とおっしゃる光一さん。
二人でいれば何でも成立する、って、奇しくも剛さんが昨年のこの番組でおっしゃってたことみたいですね。

御自分達を鳥に例える剛さん。
鳥は、両翼があることで飛んでいく。

片方では飛んでいけない、という感覚が、剛さんはずっとおありですよね。
二人で歌う、ということに意味を感じてらっしゃるのは、そういうことなんだよな、って思います。

だからこそ、そういう想いが強い剛さんだからこそ、例え1曲でも会場に行って、光一さんと二人で歌いたかったんだよなあ。
剛さんにとっては、二人で歌うことこそ、何より意味があるから。
それが叶わなかったこと。
こういう流れで「一曲でも」と話されると、本当に、胸が詰まる。

比翼の鳥を思い出したりもして。キンキさんみたいですもんね、
自立してそれぞれに地を歩きつつ、空を飛ぶときは助け合う。

Anniversary、物凄く良かったです。
記憶にある限りでは、今まで聴いた中で一番、良かった。
夏前とはまた違う気がする。
以前よりも更に、凄く合ってる気がします。
タイミングにしろ、声にしろ。
「無意識の意識」に気が付いたことで、より強く意識できるようになった、ように聴こえました。
勝手に。
単純に、贔屓目抜きに、お上手だな、と心から思える。

剛さんの歌声が、丁寧で本当に美しい。
光一さんもやはり、御一人で歌われる時と違って。
この日、お二人共コンディションも良かったのかな、凄く伸びやかで、ひたすら綺麗。

合作、剛さんに聴かせたい、って「思いついた」とおっしゃる光一さん。
お気持ちの強さを感じました。
イベントを盛り上げたい、ということも勿論おありだったでしょうし、別の場所にいる剛さんが、イベントにこういう形で深く参加できるように、というお気持ちもあったのかな、って感じます。

「Topaz love」これ、やっぱり剛さんが題名をお決めになったんですね。
突発→Topazっていうこの鮮やかな転換、いかにも剛さんなのでは、って感じがしますもんね。
この発想力、本当に凄いよな、って思います。
水晶がお好きな剛さんだから、ここに辿り着かれたのかな。
光一さんのキラキラした曲によく似合う、宝石の名を持つ題名。

突発、に「うーん」ってなってらした光一さんがこの題名を初めて御覧になった時にどう思われたのか、興味深いです。聞いてみたい。
また、石言葉がまさに、今回の状況に沿っているし、剛さん御自身の考え方にも合っていて凄い。
音の響きからの名付けでしょうに、偶然すら味方につけているようで。

短いフレーズからでも伝わる、剛さんの孤独の表現の寂しさと美しさ。

この経験を無駄にしたくない、御本人からしたら、やっぱりそう思われるんでしょうね。
振り返ることが出来るような曲にしたい、と思われる剛さんのお気持ち。

きっと、まだまだ怖さも先の見通せなさもあるだろうに、きちんと向き合うことが出来る剛さんの冷静な強さに、今までに剛さんが歩んできた道の苦しさが感じられる気がします。
誤解を恐れずに言うならば、苦しさに襲われるのが初めてではないからこその強さ、というか。

Topazlove、とりあえず初めて聴いた瞬間の感想としては、こういう経緯抜きにして、物凄くキンキさんらしくて、強烈な輝きのある歌なんじゃないかな、ということと、「愛のかたまり」の正統な後継者のような曲が、今、ここで出てくるとは!という驚きでした。

勿論、今までの楽曲も、あの曲の流れを汲んでいるのは間違いないと思うのですが、込められた切なさの種類とか、輝きかた、訴えかけるものの種類と強さが、「愛のかたまり」に通じる部分が大きい気がして。

この経緯で出来たから、このタイミングだから良い曲、でなく、それ抜きにして聴いても(ファンとしてはそれが完全な意味では出来てないとは思うんですけど)、良い、と思える曲を作られたキンキさん、本当に信頼できるし、プロなんだなあ、って感じます。

ということで、ここからは本当に、まだ数回繰り返して聴いただけなのに、物凄く!好き勝手に書いていますし、見当外れなことばかり書いているとも思うのですが、書かずにはいられないくらいにお二人の能力にテンションが上がってしまったので、好きに書いてしまいたいと思います。

そもそも、最初の三音からしてもうロマンティックすぎる。
光一さん・・・!!
前奏から歌始まりまでも、一音一音の流れが美しい。
他人の為ではなく、自分達お二人で歌うための曲としてこれを作る光一さんが、キンキさんにどんな印象を持ってらっしゃるのか、ここだけで伝わってくるような気持ちになる。

「夜空弾く華の灯が弧を描いてそっと黙る」って、この時点で剛さんの物を捉える感覚の鋭さと、それを言葉にする能力の高さに、改めて衝撃を受けます。
本当に花火を眺めているような気持ちになる。
イベントでの、花火に関する割とストレートな表現からここに辿り着くって本当。
男だ女だじゃなく、剛さん独特の感性ですよね、もう。

花火について、花が咲く、という表現はよくされますが、夜空を弾いてる、って、言われたら確かにそうも見えるー!っていう感動がある。確かに、音といい、弾くようでもある。
剛さんの歌詞って、この感動が多くて、本当に好きです。

花火が開いて、落ちていくことを、「弧を描く」っていう、プラスの柔らかい表現にして、最後は「そっと」黙る。
弾くの強さから、弧を描くの柔らかさ、そして、最後の繊細な沈黙へ。
花火って、開いてからは結構ゆっくりとしたスピードで消えていきますが、そのスピードも織り込まれた表現に聴こえます。
この時点でもう、歌詞のほうもドラマティックなんですよね。動きがある。
光一さんのロマンティックでドラマティックな曲に合ってる。

そして、「聴こえなくなった続きへ耳を澄ます寂しい世界」
ここがもう、和歌でいう掛詞的な感じになっているように思います。

ファンからしたら、剛さんのお気持ちが込められているようで、胸をかきむしりたくなるくらいに直接的な表現に聴こえる。
満足には聴こえなくなってしまっても、それでも、元は聴こえていたその続きを聴きたい、と耳を澄ませずにはいられない。でも聴こえない、寂しい世界が広がってるだけ。
ってもう、ただ単に「辛い」とか言われるよりもずっと、伝わるものがある。

でも、歌の世界では、これは花火が終わって、「そっと黙る」その続きなわけで、花火への名残惜しさの表現になってる。

そして、そんな静かさから、「気づかれ始めて高鳴る胸」、で、また音がし出すんですよね。
一度静かになったからこそ、予感めいた高鳴る鼓動が映える。

そこから、「辿り着きそう 愛のひと どうか待っていて」
ここも、「辿り着きそう」という予感の言葉を使ってある。
しかも、もう辿り着きそう、という、サビへ向けてこの上ないくらいに高まった予感。

ここから、「愛のひと」と大きくとってある表現が来る。
これも上手いな、って思います。「愛のひと」としか言っていなくて、相手に対する限定とか制限が無いから、誰でも感情移入がしやすくなる。

この「愛のひと」っていうある意味、枠が大きすぎる表現が成り立つくらい、光一さんの曲も凄くドラマティックで、かつ、光一さんらしくサビへ向けての盛り上げ方が物凄く上手い。

そして、サビ前ラストに「どうか待っていて」。
この女の子は、自分からその人に向かうんですよね。
受動的では無い。剛さんらしい。
光一さんの曲も相まって、高鳴る鼓動に押されて走り出すような高揚感がある。
凄いですよね、曲の表現力も、そこに噛み合う歌詞の選び方も。

そして、ここも、もしかしたら掛詞的な感じがあるのかもしれないですね。
「会いたいよ」という能動的な言葉をあのイベントで咄嗟に書き足した剛さんだから、「待っていて」という言葉にもふと、そうなのかもな、と感じました。分からないですけど。

サビ、「Topazlove」、あの音のハマり方は生かしたんだなあ、という感慨深さ。
一番濃い形で、それでいて忍ばせる形で、あの時のお二人のやりとり自体を残した感じ。

「輝き暴れた宝石 恋の色彩の宝石よ」
最高潮に高まった予感、走り出すような曲の躍動感からの、「輝き暴れた」という強い言葉が生きる感じ、本当に、剛さんは凄いな!完璧だな!って感じます。

剛さんがどれくらい冷静にというか、効果を計算して書かれたのか分かりませんが、聴くほうからしたらこう、期待を裏切らないというか、来てほしいところに来てくれる感じ。
作家っぽい感覚ってこういうことなのかな、って思いますね、これを聴かせていただくと。

そして、その輝き暴れる感情こそが、この女の子にとっての恋の色彩の宝石なんですよね。
剛さん、相変わらず、恋する乙女心を掴みすぎてて怖い。

この部分、ときめき、という言葉を使わずに、恋のときめきを表現している感じもします。

そこから、あなた「目掛ける」という勢いのある言葉を使うことで、ここまでの勢いを殺さない。
この勢いが、瑞々しくて若々しい女性の恋愛、という感じを出してて凄い。

そして、ここですよね、ネオンの綺麗さに急に「泣き見惚れてる・・・」。
歌詞に「あなた」が出てきたら、彼女は急に、動から静になる。
勢いだけじゃない、好きすぎて泣いてしまうような不安定さ、泣きながら見惚れてしまうような熱の高さ、じっと見惚れて「大好きよ・・・」と噛みしめるような想いの深さを出して、サビを終える。

剛さんらしいーーー!
勢いで突っ走りながらも、それだけでは終わらせない!ってテンションが上がりました(笑)

いやあ、凄い。
動でここまで来て、最後、「あなた」が出てきたところで「見惚れる」という静を突っ込んでくる感じ。
メリハリがあるし、この子の想いの深さが伝わってくる。
これがまた、曲に合わせてる感じもあるんですよね。
サビの終わりはちょっとしっとりしてるもんなあ、曲も。

そして、「大好きよ」はイベント時から変えなかったんですね。
ストレートさがよく出てる箇所だからかな。

それから、ネオンはこういう形で残されたんだな、っていう面白さもありましたね。
あなた目掛けるネオン、かあ。
イベントの剛さんの説明からすると、光一さんを応援するペンライトに思えますね。
ここは剛さんの意図を是非、聞いてみたい。
いや、他も全部聞いてみたいですけど!(笑)

で、二番ですよね。
すみません、一番だけでもう自分でも引くほど長い!(笑)
けど、今回それだけ、曲も歌詞もインパクトが強すぎて。
真骨頂、と言われても素直に頷けるくらい。
感想を書きたくなりすぎる、これは。

ということで、言い訳も済んだので、開き直って二番です(笑)

「水の中潜ったような静寂へと難破したあたし」
これ、一番は花火という「火」で始まったのと対比するように、「水」で始まるんですね、歌の世界としては。
夜空の花火と、潜る水。火と水という意味でも、夜空と潜る世界、という意味でも、スケールが凄く大きくて広い。
二人で歌う、二人の恋の歌なのに、こんなに大きな世界を歌う。

光一さんの曲が、それが許されるだけのダイナミックな曲でもあるんですね、きっと。
キンキさんはこれまでも、大きな世界観を歌われてきているからこそ、成り立つんだろうなあ。

そして、ファンとしては勿論、このインタビュー冒頭でもあったように、剛さんが経験されたことがある種、直接的な表現で示されているように聴こえる。
静寂へ「難破」したような、そんな感覚と衝撃だったんだな、と思うと、本当に、繰り返しになりますが、ただ「怖かった」とか言われるよりもずっと、伝わってくる。
剛さんは本当に、芸事の人なんでしょうね。作品が一番、伝わる手段になる感じ。

あと、ここを光一さんと二人で歌われることが、なんですかね、感覚的な意味での共有は出来なくても、こういう形では共有出来る、というように見えて、グッときました。
キンキさんが一緒に歌う人達だからこその共有であるような。
続く歌詞も、孤独を剛さん御一人でなく、光一さんと歌っていただけると、聴くほうとしては少しだけホッとするというか、キンキさんならではの強さがあるな、と感じます。

「どこまでも続く孤独の青い色に赤らむ唇」
ここは、二番は静で、しかも難破という辛いところから始まったところに、どこまでも続く孤独の青い色、とその静の長さが示されて、そこに「赤らむ唇」という表現で、血が通いだすような、動き出す躍動感、生命力みたいなものが不意に現れる。
これも「予感」ですよね。
この曲は予感が凄く上手く使われてる。
しかも、青からの赤、という鮮やかな転換がドラマティック。

そして、やはりファンとしては、ここも掛詞みたいに聴こえる。
どこまでも続く孤独の中にいた青の剛さんに、動き出す何か、生命力の象徴として赤の光一さんが現れるように。

もしくは、これは特に考えすぎなんでしょうが、剛さんにとっては、この曲自体がそういうものだったのかもしれない、となんとなく思います。
光一さんがあの時期に一緒にこの曲を作ろうとされたこと自体が、こんな感覚だったのかもな、って。
そうであっても驚かないな、くらいの感じの発想ですけど。

「赤らむ唇」の間接的な予感の表現から、「探し求めてた物語りに辿り着きそう」という直接的な予感の表現へ、そこから愛のひとに、動かずそこで、私が辿り着くのを待っていて、と伝える。

「探し求めてた」はトパーズの宝石言葉にも通じますね。
この女の子が「探し求めてた物語り」はどんな恋なんだろうなあ。
ひたすらにひたむきそう。

二番に関しても動きがあって、静から動への表現が鮮やかですね。
そして、「どうか」と願うように言っていた一番より、「そこで」と言う二番のほうが強い気がする。

この女の子、本当に強いんだよなあ。
相手のほうから、気が付いて近寄ってきてくれることさえ求めていない。
そのほうが早く辿り着けるのに、この女の子は「あなた」にはそこにいてほしくて、自分が「あなた」がいる場所に向かいたいだけなんですよね。ひたむき。

「愛のかたまり」もそうですけど、ひたすらこの女の子の気持ちが描かれてて、「あなた」がどういう人なのかは特に言及されていない。「愛のひと」と言ってるだけ。
こちらに寄り添ってほしいとも、来てほしいとも言わず、だから来てくれるようなタイプの人なのかも分からない。
そこがまた良いんでしょうね。
相手について限定されていないからこそ、普遍的な歌になる。

ここもかなり、掛詞的に聴こえるな、って思います。
剛さんは自分のほうに近寄って、寄り添ってほしいというよりは、自分達の場所で、キンキという待ち合わせ場所で、待っていてほしかったんじゃないかな、っていう風に見えていたので。

サビは直球に繰り返しですね、良い。
曲の輝きと歌詞の輝きがよく重ね合わされてるし。

そのサビ終わり、泣き見惚れては、からの「サイレント」
ここに来て音が消える。やっぱりこの曲、音が重要な要素なんですよね。
音が消えて、自分の気持ちに集中して、自分の中にある、希望と不安の二つの声に耳を澄ませている感じ。

で、大サビですね。
ここ本当にもう。

「結ばれることをどこかで恐がり嘘ついて恋していいの?」
と揺れ動きながら弱気になる恋心の一面を剛さんが歌い、それと同時に光一さんが
「誰を好きになってもいいの」
と、剛さんが歌う不安と疑問へのシンプルな肯定を歌う。
しかも、この肯定は多分、不安がる彼女がそれでも、どこかで思っている、そう思いたいことなんだ、って伝わってくる。

それと、疑問の「いいの?」と肯定の「いいの」が同時に重なる、っていう、ここだけでもう、やりたいことが分かる。二人で歌うからこその、そこが大前提の作り方。
問いと答えになっている対比が美しい。

そして、まさに、光一さんがイベントでおっしゃってたことが形になってますよね。
二人が違うことを言ってるんだけど、最後は同じことを言う。

作曲者である光一さんの希望を忠実に叶える剛さんの能力たるや。
光一さんがこれを最初に見た印象を聴きたすぎる。
光一さんの音の重ね方がまた綺麗なんですよね。
陽炎への返答のようでもある。

そして、歌詞の内容が、互いのメロディ的にも、よく合っているように感じます。
確かに、光一さんが歌ってらっしゃるほうが、肯定的な内容に合った音になってる気がする。

「廻り逢ったくせに結ばれず夢の途中覚めないあなたが痛いよ」
ここは、剛さんの解説を是非を聞きたいです部門1位かもしれないです(笑)
この恋はまだ全然、叶うかどうか分からない恋なんだな、って聴こえる。

女の子のほうは、やっと探し求めていた物語りに辿りつきそう、って思ってるけど、「あなた」のほうはまだ夢の途中で、その夢から覚めてくれてもいない。
悲しくて不安な状況で、でも、ここで

「いちどきりのあなたを好きでいたいよ」
と光一さんが歌うんですよね。
これも彼女の本心の、しかも綺麗で強い部分。

「あなた」はまだ夢から覚めてくれなくて、それが「痛い」。
でも、だからって萎んでしまうんじゃなくて、あなたを好きでいたい。
叶うかまだ分からない恋が「痛い」ことと、それでもあなたを好きで「いたい」という希望が重なる。

この葛藤こそが切なさの要因ですよね。

大サビで一気に切なさが増していて、大サビについて、「切ないの考えますね」ってイベントでおっしゃってた通りだなあ、剛さん本当プロ。

そして、自分が恋心の不安さや揺れ動く様や痛みを歌って、光一さんにはこの女の子の強くて綺麗な気持ちを歌ってもらう剛さんが、本当に剛さんらしい。
剛さんにとっての光一さんのイメージも伝わってくるような気がしますね。
真っすぐで、強くあろうとする、愛情深い感じ。

こんなに直球だと、光一さんにも剛さんのイメージは伝わっただろうし、本当に感想を聞いてみたすぎるなあ。
歌い終わりの光一さんの表情が本当に綺麗。

ということで、読み返しても本当に、好き勝手言ってるし、全ての行に「いや、分からないですけど」ってつけたいくらいなのですが(笑)、御本人達が色々と教えてくださる前に、自分の感想を書けて良かったです。

イベントである程度、曲も歌詞の大まかなイメージも先に出てしまっていたのに、こんなに衝撃を受けるというか、キンキさん凄いな!って思える曲に仕上がったこと、つくづく驚くなあ、って感じます。

光一さんの曲はほとんど完成していたように感じますが、より儚さもある美しさを増しているように聴こえますし、剛さんの歌詞の仕上げ方には、度肝を抜かれました。
感性という名の才能だよなあ、もう。

最後。
お互いに言いたいこと。
ここも凄かったです。

「色々御迷惑をおかけしてすみませんでした、すみませんね、と今後もちょっと御迷惑かけちゃうんですけど」っていうのも、剛さん・・・、って色々思ったんですけど、こうなろうがなるまいがコメントは変わらないし、ってことは、剛さんは今回の事がなくても、色々迷惑かけちゃったな、今後もちょっとかけちゃうんですけど、って思ってらっしゃった、ってことなのかと思うと。
その心根がもう。

剛さんって本当に、光一さんに対してなんというか、迷惑かけちゃって、っていう想いがおありなんだよなあ。
それを出しちゃうと光一さんが居心地悪くなっちゃうから(光一さんは特にそういう方ですもんね)小出しにされない感じ。

ここまで大きなことがあっても、光一さんに言う事言わない事が変わらない、っていうところに、キンキさんがお二人で色々乗り越えてこられたことを感じます。
ここで変わっちゃわないでいられるのって、お二人がお互いに対して嘘無く、真摯にやってこられたからこそなんだろうなあ。

と思ってたら、光一さんが物凄く力を込めて「わかってるから」っておっしゃったので、キンキさん本当に凄いな、って思いました。光一さんみたいな、不確定なことは言いたくない方がそうおっしゃるってことは、本当に分かってるっていう確信がおありなんだろうな、って思って。

しかも、「お互いに言葉にしなくても分かり合ってる」ってことは、御自分の気持ちも剛さんは分かってくださってる、って思ってらっしゃるんだな、と思うと、羨ましいくらいの関係だな、って改めて感じました。

本当、逆に今、こういう場でお二人がよくあるようなメッセージをお互いに送られてたら、変な話、芝居がかっちゃうというか、形作りみたいになっちゃいそうだな、って思うんですよね。
状況的に、どうしても。

だからこそ、こういう場でこうおっしゃるキンキさんが好きだなと思いますし、そういうキンキさんだからこそ、意図されていない物語性が高いんだろうな、と思います。

最初から最後まで、見応えのある番組でした。
何より、Topazloveが凄かった。
キラキラしていて、切なくて、キンキさんが思うキンキさん、という感じ。
20周年にここに辿り着かれたの、本当に凄いな、と思います。

凄いしか言えてないですけど(笑)

明日からのコンサート、お二人共にとって、どうなるか分からない面もあるでしょうし、挑戦するような面もおありでしょうが、どうかお二人で楽しんでいただけたら良いな、と思います。
こちらも、楽しんで、今のキンキさんを見聴きしてきたいです。