そっと未来を信じてる

発表がある前と後では、世界が一変してしまった、と思います。

今日は本当に、多分、勝手な思い込みで書いてしまうと思うし、支離滅裂になってしまうと思うのですが、今の気持ちで書きたいので、時間をおかずに書きたいと思います。

私は、やっぱり書きたい人間なんだな、とここ数日、実感しています。

怖いから書きたい。
不安だから書きたい。
嬉しいから書きたい。
悲しいから書きたい。
感情が大きくなると、書かずにはいられなくなる。

特に、怖いときは、逃げるより立ち向かうほうが、怖くなるなる。私にとっては、自分の中の恐怖に立ち向かう手段の1つが、書くことなんだと思います。
言葉にしたい。
今の自分の中にあるものを言葉にして、目に見える形にしたい。

剛さんは、どうなんだろう。
剛さんにとっての音楽にも、こんな側面があるのなら、と考えると、自分に引き寄せて考えてしまう申し訳なさを感じつつ、やはりひどく胸がつまります。

あの、あの剛さんが、歌うこともままならない。
その衝撃。
耐えられない。
本当に、耐えられない。

私ですら、こう感じるのなら、御本人や周りの方々はどれだけ、と思います。

そんな周りの方の筆頭、というより、まさにある種の運命共同体と言っても良いであろう光一さんの昨日の御出演、運良く見ることが出来ました。

今は寮生活なので無理だと思っていたのですが、時間帯が良かったのもあって。

Anniversary、こんな歌になるのか、と顔を覆ってしまいたくなりました。

こんなに切実な、訴えかけるような曲に、この状況の光一さんはされるのか、と思うと。

キンキさんは、長い年月の中で、単なる二人組、というものを越えた何か特殊な物を、お二人で作ってしまわれたのかもしれないな、という気持ちになります。

ファンだろうとなんだろうと分からない、お二人の間にしか無いものがあるんだろうな、と、自然に感じて。

それくらい、光一さんがあまりに辛そうに、苦しそうに見えて、凄く衝撃的でした。
歌の最中というよりは、フレーズの間の表情が。

光一さんは自分のことをさらけ出すのがあまりお好きではないイメージなのですが、なんだかもう、そんな取り繕い方が出来ていないようで、見ているこちらが、「ああ、本来なら他人に見せたくないであろう部分を見てしまっているようだ」と狼狽えてしまうくらいでした。

分かりませんけどね、照明的にも、そんなに鮮明に見えるわけでもない。
ただ、光一さんのあんな歌声は初めて聞いたな、と思います。

気持ちを込めて歌おう、とか、そんなことよりもずっと、ただ必死で、切実で。

これだけで、光一さんにとってキンキは、剛さんは、あまりにも大きなものなのかもしれない、と思わされる。

ここまでとは思わなかった、と率直に言えば感じました。お互いもう30代後半で、一人での経験も勿論充分で、互いに自立していて、それでもこんなに、光一さんはお辛いのか、という気持ちになって。
しかも、通院が始まってから考えるなら、10日程は経っているということなのに。

そして、正直に言えば、不安も感じたような気がします。
本当に、どれも個人的な感覚なんですけど。

これまでの経緯、病名、光一さんのお言葉、御様子からしても、少なくとも光一さんは多分、何も楽観視してらっしゃらないように感じました。そして、それに少し救われる思いがする自分がいるんですよね。

楽観視ってしようと思えば、どんな状況でも出来る。
それが良いことだという考え方もあって、それも理解出来る。

でも、今の光一さんはそれをしない、あるいは出来ないのかな、と感じます。現状からのことだけでなく、他でもない、相方である剛さんのことだから、と昨日の歌声を聴くと、そう思えました。

それくらい真剣に、剛さんのことを、今の状況を、思っている相方さんがいらっしゃる。

それだけで、なんでか救われる。
これで、光一さんが根拠もなく、取り敢えず楽観的な雰囲気を出そうとするタイプの方だったら、きっと辛かったなと思うので、光一さんがあの種の誠実さをお持ちの方で良かった、と心から思います。
言葉の選び方にしろ、軽々しく言葉を使わないことにしろ。

そして、自分自身もなんというか、身が引き締まるような気持ちになります。

楽観も悲観もせずにいたい、と思う。

そう言いながら、まるで夢の中の出来事でしかないような気持ちになったり、そこから急に現実だと改めて認識して物凄く動揺して怖くなったり、ということを繰り返してるんですけど、ここ数日。

自分にとって、剛さんが、剛さんの歌声がいかに大きくて大切か、こんな形で再認識するとは思わなかった。

そして、昨日、光一さんを見ていて、ぼんやりと、光一さんもそうなのかもしれないな、と思いました。
おそらく、剛さん御本人も。
お二人共、思いがけずこのタイミングで、この状況になって、色々と不意討ちの感覚に襲われているのかもしれない。
その感覚が今後のお二人にどう影響するんだろう。

不意討ちと言えば、Anniversaryが二番の歌詞だったことも、不意討ちで驚きました。
確かに、今、一番の歌詞を光一さんから聞くのは辛いかもしれない。

そもそも、愛されるより愛したい(相葉さんと松本さん、凄く良い後輩さんで、素敵な方々だな、と改めて感じました)は後輩さんと歌うけれど、Anniversaryはお一人で、というのが、言われてみれば物凄く納得がいくな、と思ったんですよね。

確かに、今、他の誰かとこの曲は歌えないだろうな、と思う。そして、そのこと自体が、キンキさんが作り上げてきた時間を表してもいる気がします。
こういう状況で、剛さんが歌えないのなら、光一さんが一人で歌うしかない、という曲があること自体が。
そして、自然とそう思わされるような曲があること自体が。

そんなAnniversary、二番のサビはこうして歌われると、こんな風に響くのか、と感じました。
知らせるように、伝えるように。

キンキさんの番組を見ると、本当に、ありふれた日々が、お二人で過ごすことで鮮やかに彩られる瞬間を見ているように感じるんですよね。
物凄く特別なことをしなくても、楽しさで彩られていくのを見せてもらっているように。

お二人は、長い時間を共に過ごしても、そんな関係であり続けられるような、稀有な距離感でおられるように見えて。

だからこそ、ここの歌詞を歌われる光一さんに、ハッとしました。

それから、忘れたくないから、の箇所、本当に、声質も歌いかたも、似てこられてるんだな、と改めて驚きました。お互いの歌声を、長いこと、意識して聞いてこられてるんだな、と思うと、余計、光一さんのお気持ちが沁みるようで。

そして、お一人で歌われる「ボクら」はなんだか本当に「一人」であることが強調されるようで、切なくなりました。

こういうことがあると、つくづく、何気ない今日という日がいかに愛しい、尊いものなのか、自分は何も分かっていなかったんだな、と痛感します。

その後の御挨拶、光一さんが未来の話をしてくださったこと、凄く嬉しかったです。光一さんにそのお気持ちがある。それだけで、大きな希望になるなと感じます。

本当にお疲れ様でした。

そして、剛さんの歌声のこと。

正直、知ってからは物凄く体調が崩れたり、睡眠が浅くなったりもしていますが、仕事はきちんと集中してミス無く出来ているので、取り敢えず良い、仕方ない、と思っています。

そりゃ動揺くらいするわ、くらいの気持ちで。

音楽の話を読むのも、違う方の歌を聞くのも辛くて、ずっと剛さんの曲やキンキさんの曲を聞いているのですが、本当に本当に本当に、剛さんの美しい歌声が好きです。

そして、歌の力というものを、改めて強く感じます。
今、御病気なのは剛さんなのに、その剛さんの歌声に力付けられたり、励まされり、癒されたりする。
こんな状況でも。

道は手ずから夢の花、私はやっぱりこの曲が大好きです。この曲が今、お二人の今に近いときの歌声で、私のもとにあってくれて良かった。

そして、様々な歌詞。
「幸せは何時も死角狙ってる」
「僕たちは君たちはなんて弱虫なんだ」(光一さんのこの曲の歌詞も好きです)
「悲惨な出来事なんてあるのか当たり前なのかな」

等々、不意に揺さぶられる歌詞が、キンキさんには、剛さんには、ありすぎるほどにある。
強い歌声を持つ人が、個性ある歌詞を歌ってくださる、それを聴ける幸せ。

私はそもそも、剛さんを弱い人だと思ったことが一度もないんですよね。というか、多分、誰もが、強い面と弱い面を持ってるんだよな、と思います。

そして、剛さんの強い面は、そこら辺には転がっていないくらいの強度と美しさがある、と思っています。

私は、何度かここにも書いたことがある気がしますが、何かを、あるいは誰かを信じることが苦手です。
信じたいと思ったこともない。

それでも、剛さんに、あの歌声で、「そっと未来を信じてる」と歌われたら、泣きたくなる。
そうか、この人がそう歌うならもう、そう信じるしかない、と思う。

剛さんの持つ美しい強さを、光一さんの歌声の切実さを、そして明日を。未来を。

そっと信じるしかない。

剛さんは本当に、良い歌をお作りになって、美しくお歌いになる。

どうかお二人共、安らかに、健やかでありますように。