嵐が過ぎて

合格したことを一通り、報告しておかないと、というところには連絡したのですが、思っていたよりもずっと喜んでもらえて良かったです。

友人や身内に喜んでもらえたのもありがたかったのですが、一番嬉しかったのは、バイト先でほぼ毎日お会いして、一緒に働かせていただいていた50代の女性に喜んでいただけたことでした。

昨日、バイトの一応の最後の出勤日だったんですけど、朝一番で合格したことをお伝えしたら、本当に良かった!ってぎゅっとしてくださって、我が子のことのように嬉しい、っておっしゃってくださって。なんだか泣きそうでした。
その後、休憩時間に、シュークリームを買ってきてくださって。
「本当はケーキにしたかったけど、側のコンビニに今、ケーキが無かった!ごめんねー!」っておっしゃってくださって、なんだか本当に、お母さんみたいだなあ、嬉しいなあ、ってしみじみと思いました。

今度、制服を返しに行くときに、お手紙を書いて、お菓子と一緒に持っていきたいなあ、と思います。

そして、一通りの御報告を終えて、昨日は、他の用事もあって、大学に行ってきました。

すみません、ここからは、ちょっと弱気な、グダグダしたことを書いちゃうと思います!

そろそろ腹をくくって動かないと、ということで、働きながら通信制の大学卒業を目指します、ということを学生課に伝えて、退学手続きを進めてきたんですね。事務手続きみたいなものだろうし、淡々といくんだろうと思ったら、思いもよらないところで引き止められるというか、話をしないといけなくなって、なぜか変にダメージを受けた自分に対して、ちょっと落ち込みました。

学生課の方は、去年、もう仕方ないから、無念だけど、とりあえず休学します、っていう話をしたときにも担当してくださった方だったので、それもあって、すんなり話が進むんじゃ、と思ったら、30分くらい話をして。

なんでも、私の1、2年の頃の成績が、多分学年1番、少なくとも学年3番には絶対入ってる、っていうものだったのに凄く引っかかったらしくて、それなのに何故こんなことに、もったいない、きちんとした病院には行っているのか、みたいなことを、純粋な疑問、という感じで聞かれて。

身内に責められる形で、何故、と言われるのは、それこそ12歳くらいの時からずっとだったんですけど、ほぼほぼ初めてきちんと話す、という人に、責められたり、親に対して申し訳ないと思わないのか、系統の路線以外の、純粋な疑問として聞かれるのが久しぶりすぎて、ちょっと引きずってしまいました。

本当になあ、それが分かったらどれだけ良いか、って思い続ける10年だったんですよねー。
もう10年以上経つのかな。
私みたいに、いじめだなんだ、っていうハッキリとした理由が無い、まあ、これなのかなー、みたいなものがうっすらはあるけど、確実ではない、っていうパターンって、説明が難しいんですよね。自分に対しても、他人に対しても。

自分としては、小学生から急に始まって、中、高、予備校(一応)、大学、と大検を取ってまで来て、「原因がハッキリしないというのなら、とりあえずやってみよう精神」で執念深く(笑)やってきても駄目だったからこそ、やっと諦めがついた、もう疲れたと思えるんですけど、それを他人にちゃんと説明するのは難しくて。

部活やボランティアやバイトや、それこそ今回の資格をとれたことで、とりあえず、学校以外のことはそんなに困らないというか、大丈夫そうだ、って思えたからこそ、諦めをつけて、学校に関してはもう拘るのをやめよう、と思えるんですけど、当事者すら、そう思えるまで10年以上かかってるんだもんなあ、って思います。

そりゃあ、学校関係者の方からだと、余計、意味が分からないんだろうなあ、って。

でも、今更、幼少期のトラウマが!とか、育てられ方が!とか言われても、どれくらい時間がかかるかも分からないのに、そういうことに向き合ってどうにかしたい、とも思えないんですよね。
そこまでする必要があるのか、と思ってしまう。本当にそれかどうかは分からない、ってことなら、なおさら。
年もここまで来たし、良い学歴が欲しいとも思えないし、自分の事を誰かの、あるいは何かのせいにもしたくないし。

それなら、申し訳ないし、もったいないんだろうけれど、それでも、通信制の大学で卒業資格をとりたい、と思うんですよねー。
過去に向き合うことは大事だと思うんですけど、必要以上に囚われたくもない、と感じてしまって。

どうなんだろうなあ、社会に出た後で後悔するよ、ってことなんだろうなあ、と思うんですけどねー。
折角、今の大学に入れたのに、って他の方からもよく言われましたし、実際、就職等々、大変な思いをするんだろうな、とも思います。
説明も難しいし、結局、学歴は全然、無いも同然だし。
それでも、両者を計りにかけたときに、やっぱりもう疲れきってしまった、という気持ちのほうが大きいんですよね。

他の人の話に戻ると、実際の様子を見てない人だと、普通に話をして、動いている私が、学校にだけは行けない、っていうのがピンと来ないらしいんですよねー。
でも、無理なものは無理だったんだもんなあ。
自分でもよく分からなくて、最初は特に、大混乱だったんですけど。
無理なものは無理、って、もうそう思うしかないもんなー、って、ちゃんと自分の決断に納得したはずなのに、思いもよらないところから聞かれると、やっぱりどこか揺らぐというか、ちょっと落ち込んじゃうのが、駄目だなあと思います。
なんだか、ベッドの上で、膝を抱えて丸まりたいような気持ちです(笑)

でも、出来ることとしたいこと、あるいは、手に入るものと欲しいものが一致しない、あるいは、一致しなくなることって、きっと沢山あるんでしょうね。自分にとって、学校に関すること、というか、学問系統のことは、今のところ、そのうちの一つだと、そう思ってしまっています。

多分、合格して、報告して、バイトも区切りをつけて、ちょっと気が抜けちゃったところだったから、余計、グサッと来ちゃったんだろうな。

高校を辞めるときもそうだったんですけど、大学も、せっかく入れていただいたのに、っていう申し訳なさもあります。
でも、やれるだけやった、と思えてしまって、後悔は出来ないんですよね。受験したことも、入学したことも。
学ばせていただいたことは沢山あるし、楽しかったこともあったし。
無駄だったとは、私のほうでは、思えない。

あーあ、別に、分かりやすく責められたわけでもないのに、なんで微妙に落ち込んじゃってるのかなあ。
久しぶりに自分の事を話して、改めて、自分に欠けている物について考えたから、ちょっとグラついちゃってるのかな。
今更だって分かってるつもりなんですけどね!

2年以内なら、再入学制度を利用できる、っていうことを念入りに説明してくださったので、そういうこともありなんだ、ということを視野から外さないようにして、とりあえず、前に進んでいきたいと思います。

話は変わるのですが、明日から、2泊3日で、母と台湾に行ってきます。
バイトをして、先立つものを用意できるようになったのと、今のうちに海外に行ってみたい、というのと、母とこういう機会を作ることが出来るのも、もう少なくなるだろうということが重なって。
丁度良い機会なので、明日から、初めての海外旅行をきちんと目を開いて楽しんできて、気持ちを次に向けて切り替えたいと思います。

帰ってきたら、京都の事も書けたので、今度はキンキさんのことを書きたいです。
気を付けて行ってきます!