郄島野十郎展

やっと、バイトが一段落して、安心しました。
いやあ、元旦からお客様が多くて!凄かったです!
店の近くに大きな天満宮があるからだと思うんですが、お正月のファミレスってこんなに忙しいんだなあ、ってびっくりしました!
1時間に100人ペースだったもんなあ。

とりあえず、大きなミスは無く終われて、ホッとしました。

それにしても、うちの両親もそうなんですが、盆暮れ正月、と言われる時もお休みが無くて、明確な区切りのない仕事って、それこそ、走り続けるしかないんだなあ、ってしみじみと感じました。

区切りようがない、山場の無い職種っていうのも、違う大変さがありますよねー。
一つの企画が終われば、とか、正月にはお休みが、とかが無いと、気持ち的に切り替えることも難しいし、365日、何年間も、終わりなく仕事が延々と続いていくわけでだし。
更に、24時間、稼働し続けるところだと、常に問題が起きる可能性を意識し続けないといけない、っていうのもあって、大変だよなあ、って改めて思います。

仕事はなんでも、楽しいけど大変ですよね。

と、いうことを感じる年始になりました!
その合間にも、久しぶりに会う友達と初詣に行ったり、祖父母の家に挨拶に行ったりは出来たので、良かったです。

今日は、年末に友達と行った郄島野十郎展について書いておきたいと思います。
県立美術館で没後40年ということでやっていた、画家の展覧会なんですけど、凄く良かったんですよねー!

私はやっぱり、今のところは、抽象画よりも写実のほうが好きだなあ、と思います。
そして、私は絵には全然、詳しくないんですけど、今のところ、郄島野十郎が、一番好きな画家なんですよねー。
今回、県立美術館で見ることが出来るって知って、凄く嬉しかったです。

博物館や美術館は、なんだかんだ、お値段が安いのもありがたいですよね(笑)

絵の数々は、当たり前なんでしょうけど、写真やCMで見ていたより、ずっと良かったです。
綺麗だったし、絵の中に画家の感性が染み込んでいるようで。
だいぶ気難しい人だったみたいですが、だからこその静かさ、端整な美しさ、緊張感があるように思いました。

仏心厚かった、というのが伝わってくるようなニュアンスもあって、それも好きだったし。

東京帝大を主席卒業した後、絵を描き、画壇とは無縁のまま生きて、家族も望まなかった、仏心厚い洋画家。
もうこれだけで、だいぶ気難しい人だったんだな、って思いますが(笑)、展示されていた手紙の内容も、なかなか凄かったです。
取り繕う、とか、愛想よくする、とかっていうことが出来ない人だったんだろうなあ。

からすうりとか、けしとかの絵も、実際に見ると、驚くくらい繊細で、凄く良かったんですけど、何より、月の絵が良かったです。

郄島野十郎は蝋燭の絵が有名な人なのですが、蝋燭と月の絵は、他の絵とは違う、暗くした部屋に展示してあったんですね。
それが凄く効果的で、県立美術館、きちんと工夫してあるんだなあ、って感動しました。

蝋燭の絵も、赤さやゆらめきがよく伝わってきて、このモチーフへの思い入れが伝わってきて良かったです。
あんなに沢山、書いていたんだなあ、って驚くくらい、同じような蝋燭の絵を、沢山書いていました。

蝋燭の絵を見た後だったので、2日だったかな、年明け早々、お風呂の電気が切れちゃって、どうしようかな、と思ったときに、だいぶ前に頂いた可愛らしい蝋燭があるのを思い出して、久しぶりに蝋燭を使ってみました。

確かに、蝋燭の火って不思議ですよね。
生き物のようにゆらめくし、形も色も素朴で、ふとした瞬間に変化していって。

それから、なんといっても、月の絵。特に、「満月」という題名の絵が好きでした。
本当に、ただただ、月とほんの少しの葉があるだけの絵なんですけど、それが凄く綺麗で。
本当に、美しい月だけがそこにあるようなんですよね。そして、月が美しいからこそ、闇の暗さがよく映える。

「月ではなく、闇を描きたかった。闇を描くために月を描いた。月は闇を覗くために開けた穴だ」
という言葉を野十郎は残したそうなんですが、まさに、という絵に見えました。
月を描くのなら、あんな絵にはならなかっただろうなあ、という色合いで。

こんなに美しく月を写実出来る人がいるんだな、という驚きと、いつまでも見ていられるな、という、淡々とした美しさと。
淡々としていながら、細く心を振動させられるような美しさでした。

行けて良かったな、と心から思える展覧会でした!