挽歌

11日から12日は、1泊2日で長崎県まで、数年ぶりに祖父母と叔母と従兄と両親と一緒に旅行に行ってきました。
ある程度動けるようになってきた父と私、従兄が運転をして。

ここ3年間は部活があったので、ほとんどこういう旅行には参加出来なかったんですけど、今回は、特に祖父に頼まれて、出来るだけ多くの人数で、ということになって。
こういう旅行についていけるのも、もうこれが最後かもしれないから・・・、という言葉を祖父母から毎回、聞いているのですが(笑)、祖父ももう80代半ばになるので、そういう気持ちが強いんだろうなあ、と思います。

温泉の朝風呂は祖母と叔母と3人で入ったんですけど、祖母はあまり動けないし、叔母も目を悪くしてしまっているしで、だいぶ気を張りました。こうやって補助してあげることが出来る、というのも幸せの1つなんだろうな、と思いつつ。特に、私は小さい頃から叔母が好きなので、それは本当に思います。

それから、私はもともと、長崎が好きなんですよねー。
特に、教会等の建物が。洗練されすぎていないというか、素朴で、だからこそ純粋で強い信仰が伝わってくるようにに感じて。
日曜日の朝だったので、ミサがあっていたところに入るのは止めておいたんですけど、外から見ても美しく、車が止まっている様子や周りの方から、飾り気のない信仰の形が見えるようで、良かったです。長崎らしく感じて。
それから、ザビエル記念教会かな、が好きでした。色が綺麗で、形も美しくて。
神社や寺もそうですが、やはり信仰が関わるところの建物は美しいな、と感じます。長く眺めていたくなるというか。

それから、たまたま、泊まったホテルで中国雑技団の子供達の芸を見ることが出来たんですけど、うっかり泣きそうになって慌てました(笑)
どれだけ頑張って練習をしてきたんだろう、そしてこれからもしていくんだろう、と思ったらなんだか涙が出そうになってしまって。最近はほんっとに年下の子に弱くて困ります。
それにしても、身体と、どこにでもあるような小道具1つで、人ってこんなことが出来るのか、というくらいの凄いものを見せてもらえて、本当に驚きました。
私は結局、ああいう、身1つで芸を究める、というのに弱いんですよね。ああいうものに一番、揺さぶられるというか。
マジシャンのセロさんの公演を見たときにも感じました。あれも凄かったなあ、本当に美しくて、夢があって、素晴らしい芸だな、って感じました。

多分、1つのことを突き詰めて磨いている人達が好きなんだろうと思います。どれもそこそこ以上に出来る、というのもも良いでしょうし、あくまで自分の道はここ、でもこれもしたいな、と思ってする、とかも良いんですけど、やっぱり、1つのことをやっている人が好きなんだと思います。

思えば昔からそういう人達に憧れていて、自分もそうなりたいと思っていたんですよねー。
きっと、それを失ったら何も無い、というリスクと怖さがあって、その中で信じたところを突き進む、というその信念の強さや、それだけ懸けることが出来るものに出会えたことが羨ましかったんだろうと思います。

そして、自分が今勉強していて、こちらに行こうという気持ちを固めつつある方向も、そういう路線であるような気がします。上手くいけばですけど。
結局、自分は望むようにしか生きられない、そういう我儘なタイプなんだろうな、って最近、やっと!(笑)諦めがついてきました。

このブログについても、そういう意味では少し悩んでいたんですよね。実生活のこともあって少し疲れていて、間接的にではあっても、人と関わるのが辛くなってしまって。
そもそも、私は本当にファンなのか、他人様の目に触れるところで書いて良いのか、っていうのも分からないし。

でも、最終的に、とりあえず、書きたいなと思うから書く、というだけで、それだけで良いのかな、と思いました。とりあえず、お二人のお誕生日とキンキさんのデビュー日もお祝いしたい、書きたいな、と思ううちは良いのかな、ということにしたいなと思います。

ということで、とりあえず、今までと変わらないスタンスでやっていくと思います、多分。キンキさんの事も、自分の事も、本の事も、その他諸々も。
改めまして、今後とも宜しくお願いいたします。

それから、今日は猫を飼っている友達の家に行って、その子を撫でながら色々と話をしたんですけど、やっぱり動物って、本当に心の支えになってくれて、一緒に生活する相手で、安らぎでもあるんですね、きっと。
凄く可愛くて綺麗で、生きているんだなあ、という感じで、私は動物を飼ったことが無いんですけど、長い事一緒に過ごした子を失うというのは、寂しく辛いことだろうな、と思いました。剛さんも、長い時間を一緒に生きてきたんですよね。

そんなことを思いながら、帰ってきて、ぼんやりと剛さんの歌を聴いて。
和歌には、というか万葉集には、というべきなのかもしれませんが、人の死を悲しみ悼む「挽歌」というジャンルのようなものがあるんですよね。剛さんの歌と歌声の系統の1つは、挽歌に相応しいものであるように聴こえるな、と改めて感じました。特に「電」は。剛さんには、そして剛さんの歌声には、そういう色があるんですよね、私にとっては。
剛さんの歌声を聴きながら、どうか安らかに、と祈りました。

長々と、思いつくままに、とりとめもなく書いてしまいました。これから少しずつ、ここ数か月のことだとか、本の感想だとかを書いていきたいなと思います。