イングリット・フジコ・ヘミング ソロピアノリサイタル2014

もう何度目になるのかな、行くたびに、この人の演奏が好きだなあ、としみじみと思います。どの曲も、彼女らしすぎるくらい彼女らしい。
それが批判されることもある、っていうのも分かるんですが、私はフジコさんの音が本当に大好きです。フジコさんは、好きになったのが中学生だった頃なのもあって、誰が批判しようが、どう言われていようが、心を思いっきり動かされて、自分が大好きだと思えるのなら、もうそれだけで良い、誰がどう言おうが知ったこっちゃない、と心から思えて、そういう意味での軸が出来たきっかけになった方なんですよね。自分がどう感じるか、ということを大事に思えるきっかけになったというか。

今回もやっぱり、ショパンの「別れの曲」が凄く凄く良かったです。フジコさんの「別れの曲」はしめっぽくない。次への力に満ちた別れの曲なんですよね。互いを鼓舞するような。
しんみりしていないというか、大人しい別れではないように聴こえます。
そして、この曲、こんなにドラマティックだったっけ、って、他の曲でもそうなんですけど、いつも驚きます。こんなに豊かな曲だったのか、って。
「革命」なんかは、今回はもはや、斬新なレベルで凄みがありました。フジコさんそのままなんだろうな、という感じの音。

フジコさんの音は、お高くとまらず、全部曝け出すことを恐れない感じがあるように思えるんですよね。
やさぐれることもあれば、投げやりになることだってある、そういうものを含めて、物凄く豊かで魅力的、というような人が歌う歌みたいに聴こえます。

初めて聴いたときから、ピアノに歌わせることが出来る人、それだけのエネルギーを持ってる人だよなあ、って思ったんですが、今、多分、82歳かな、になられても、衰えないエネルギー量に、本当に!凄い方だなあ、って改めて思いました。
2時間、ピアノを15分休憩をはさむ以外は弾き続けることが出来る、っていうだけでも凄いのに、ずっと豊かであり続けるし、ずっと、エネルギーが衰えない。凄い。
ピアノってこんなに、大人しくない楽器になれるんだなあ、ってフジコさんの音を聴くと、いつも新鮮な気持ちになりますし、ピアノっていう楽器の可能性は凄いな!そりゃあ、皆、魅了されるよなあ、って思います。

今回は、ほぼ一番前に近い席がとれたので、今までとは音の聴こえ方も違って面白かったんですけど、何より、フジコさんの手の動きを見ることが出来て、感動しました。こんな風に手を動かして、指を動かして弾いてらっしゃるんだな、っていうのが見えて。それから、挨拶をしてくださるときの笑顔がとっても!!素敵で。あんな風に笑ってくださってるんだな、って、こちらも嬉しくなるような素敵な笑顔でした。お茶目な方でもあるので、手の振り方も可愛らしくて、あんな風に近くで見ることが出来て、とても嬉しかったです。
今回の衣装も、フジコさんらしく個性的で、似合ってらして、絵になっていて、やっぱり私は、剛さんといい、フジコさんといい、どぎついくらいに個性的な方に否応なく魅かれるタイプなんだろうな、ってしみじみと感じました(笑)

今回は、前半より後半のほうが、惹きこまれて、何ていうんですかね、目を離せない、じゃないですけど、気持ちいいくらいに音に集中できる感じだったのですが、助川敏弥さんの「ラクリモーサ(ちいさき いのちの ために)」という曲からが特に良かったです。
初めて聴いた曲だったんですけど、とても好きでした。あの曲、もう一度聴きたいなあ。
フジコさんは、毎回、誰もが知っているような有名な曲と、有名ではない曲をバランスよく聴かせてくださるので嬉しいのですが、この曲は本当に、知ることが出来て良かったなと思いました。

それから、リストの「パガニーニによる大練習曲第6番」が、今回は本当に素晴らしかったです。凄かった。確か、以前、コンサートでも聴いたことがあると思うんですけど、今回のは本当に素晴らしかったです。

そこから、「ため息」、「鱒」が入って「ラ・カンパネラ」、という流れだったのですが、今回、フジコさんが弾いてらっしゃるのは初めて聴いた「鱒」がもう、物凄く面白かったです。どちらかというと、そんなに好きな曲ではなかったのですが、フジコさんが弾くとこうなるのか!!っていう驚きと納得がありました。好きでした。

ただ私、未だに、ドビュッシーの曲はあまり得意ではないんですよねー。フジコさんでも、そんなには好きになれないということは、やっぱり相性が悪いのかな。そういうこともありますよね。

今回の「ラ・カンパネラ」は、初めて聴いたときのものの次に好きでした!力に満ちていて、上へ上へと昇っていく感じがあって。今回、しみじみと思ったんですけど、フジコさんは本当に、「ぶっ壊れた鐘があったって良いじゃない、私の鐘だもの」って思って弾いてらっしゃるんだな、って伝わってくるんですよね。ただただ美しい、というものを目指してらっしゃるんじゃない、っていうのが明確に伝わってくる。そして、美しさ以上のものが、フジコさんの音には実際にある。

怯まないというか、自分がどう弾きたいのか、どう表現したいのか、という明確な目標があるんだな、っていうのが、音楽やクラシックにそこまで詳しくない人間にも伝わってくる。変な話、例えばミスタッチがあったとしても、フジコさんってぶれないというか、怯まないというか、テンションが落ちないんですよね。っていうと、当たり前のことみたいなんですけど、なんというか、楽譜通りじゃないからどうこう、なんてことはもともと、考えていない。多分。それが駄目だ、という方もいらっしゃるんでしょうけど、フジコさんの音なら成り立つ考えな気がしますし、自分自身のみで勝負する感じが、私は凄く好きなんですよね。

そういう意味で、「ぶっ壊れた鐘だったって良い」って口先だけでなく、本気でそう思ってらっしゃる感じに、なんでか泣けてきて困りました。勝手に、許してくれる気になったというか。壊れていたって良い、それでも鳴らし続けることが大事なんだと思わせてもらえる演奏でした。壊れているとかいないとか、そんなことは些細なことな気がしたというか。それが、今の自分には、本当にありがたくて嬉しかったです。

アンコールは「主よ人の望みの喜びよ」だったのですが、物凄く良かったです。こちらの曲も泣けました。確か、フジコさんが弾いてくださるのを聴いたのは二度目だと思うんですけど、前回も、こんなに響いてくる曲だったのか、ってびっくりしたんですよね。大好きな曲になりました。

今回も、行くことが出来て良かったです。本当に。行けてよかった。忙しかろうが何だろうが、行くことにして良かったです。

そして、こうやって感想を書いていると、フジコさんと剛さんは、自分の中ではやっぱり似ているなあと思います。自分を曝け出そう、自分自身を表現しようとする感じ。剛さんは、それを望んでらっしゃるけど実際は、という感じもあって、それも面白いですけど。

久しぶりに、昔、手元に置いておきたいなと思って買ったフジコさんの本をパラパラと見ていたら、
「世間では才能を羨む人がいるけれど、才能とはようするに『独断的な個性が強く、偏った考えをする』ということでもある。だから往々にして才能は孤独で、社会からは受け入れられない。ある意味で才能に恵まれるということは、不幸なことなのかもしれない。」とおっしゃってて、フジコさんや剛さんに対して、まさにこれに近いイメージを持っている部分があるので、凄く納得しました。

そして、自分はやっぱり昔から、こういうタイプの才能を持ってる人が凄く好きなんだろうなと思います。

これからもお元気で、ずっとずっと、フジコさんの音を聴かせていただきたいです。
本当に大好きな音を聴かせていただけて、今回もとっても嬉しかったです。
ありがとうございました。