疲れてるせいにして書いてみる

今日は酔ってはいないので、酔ってる、っていう言い訳は使えないんですけど(笑)、卒業生歓送会が終わっても色々やらないといけなくて疲れてる、ということを言い訳をして書いてみようかなと思います。
何ですかね、たまーに、言い訳しちゃいたくなることがあるんですよね、キンキさんのことを書くときって。特に剛さん。
こういう日はカルアミルクとか、甘いお酒をつくって飲みながら書きたいんですけど、今、牛乳を切らしちゃってるんですよねー。
そんなに酷いことは書かないつもりなんですけど(弱気)、ちょっと下げてみようと思います。


初めて読んだのはいつだったかな、確か数年前だったと思うんですけど、鈴木しづ子さんという方の本を読んだんですよね。
伝説の女流俳人、と言われた人です。
夏みかん 酸っぱし いまさら 純潔など」っていうのが、その本の題名でもありましたし、多分、一番有名な句なんじゃないかなと思います。好きな句です。

色のほうの句が多く、時代的に、彼女の生き方(と、されている、という感じみたいですが)も句も、刺激的だったみたいです。
その本を読んでいて、句ではないんですけど、凄く印象的だった文章がありました。


『折も折、あやまって愛玩の青磁の壺を手よりすべらせた。寒さ中なるコンクリートの石畳の上に、それは実に快いまでの高音をひびかせて美しく砕け散った。・・・瞬時_既に平静にかへった私はふてぶてしくも見事なまでに破壊された様をひややかに見下ろしてゐた。

失せるものは失せろ。

心は氷を打ったやうに静かだった。この静けさ!
私はそのまま奈落の底へ沈んでゆくかにおもはれた。

寒の夜を 壺砕け散る 散らしけり   』


ここの箇所、部屋の整理をしていて、久しぶりに読んだんですけど、凄く剛さんっぽいな、って思ったんですよね。
失せるものは失せろ。剛さんには、こう思えるところがおありなように思います。
冷ややかさと、ある種の潔癖さ。そこが、私が剛さんを好きだなと思う、魅かれるところの一つです。

何ですかね、剛さんには、見切ることが出来る強さがあるような気がするんですよね。それは正しくない、あるいは、この人は正しくない、と思ったら容赦なく見切ることが出来る強さ。勿論、情の深い方なので、相手を受け入れようとされるところは凄くあると思うんですけど、それとは別の面で、あるいは、相手との関係性、相手への感情の深さの違いで、きっぱりと見切ることも出来る方でもあるように思います。なので、「Blue Berry」の「残念な友人を僕は捨てた」っていう歌詞を最初に聞いたときは、うわあ、剛さんっぽい!剛さんっぽい!って、何だか妙に納得してテンションが上がってしまったのを覚えています(笑)
勿論、歌詞通りのことをされたことがおありだ、とかって言う気はないんですけど、ご自分の中のハッキリとしたラインを越えてしまって、「残念な」人なんだと思ったら容赦なく捨てることが出来そう、というか。

だから、と繋げて良いのか微妙ですけど、剛さんが潔癖っぽくなってきてらっしゃる、って話してらっしゃるのを聞いたとき、なんとなく分かるような気がする、って思ったんですよね。以前は大丈夫だったのに、年を重ねてから潔癖っぽくなりました、っていう方って珍しいように感じますけど、剛さんの場合は、それがなんとなくしっくり来るような。

確か以前、剛さんはご自分の純度を上げたがってらっしゃるように感じる、って書いた気がするんですけど、それの延長線上のことのように感じるのかもしれません。こういう潔癖さも。しかも、剛さんの潔癖さというのは、それこそ、乙女のような潔癖さ、汚らわしいものは嫌!みたいなテンションでは無くて、もっとずっと冷ややかであるような気がします。だから例えば、剛さんのことを物凄く悪く言う方や、特に知りもせず好きに言う方よりも、そういう方々への剛さんのお気持ちのほうが、ずっと冷ややかで、その分、剛さんのほうが強いような気がするんですよね。
以前は、そういう声に凄く傷つかれたりもしたんでしょうけど。
完全に印象だけで書いてしまってることなんですけどね!!

剛さんの場合は、何でしょう、情に流されきることがあまり無さそうに見えるんですよね。情が深い一方で、冷ややかになれる面は凄く冷ややか。というか、むしろ、そういう方だからこそ、情が重くなるところは、凄く重くなられるんですかね。剛さんに関しては、こういう印象が強い分、あまり「優しい」という印象が大きくはないのかもしれません。

切り捨てる、という意味では、剛さんはご自分のファンであっても切り捨ててこられてるよな、って、今回のアルバムを聴いていても思います。ついてこられないなら、わからないなら仕方ないよね、ごめんね・・・。って感傷的になるというよりは、もっと冷ややかに割り切ってらっしゃる面がおありなような。そういう面では、どこか攻撃的に見えます。

剛さんは、もともとは、求められることをやらないと、っていう感覚が強かったんだろうな、って感じることが多いんですが、だからこそ、それが出来なくなって、もうしゃーないわ、ってなった後は結構冷ややかになられたのかなー、と想像します。まあ、冷ややか、というのも私の勝手な印象なんですけどね。基本的に、ファン想いな方だなと思いますし。

情が深く、そして多分、正義感がお強いからこその冷ややかさでもあって、その、何ですかね、物凄く危ういところが沢山おありなのに、そこら辺の感覚が真っ当過ぎるくらい真っ当な辺りが、剛さんの面白い所だな、って思います。怖いぐらい真っ直ぐ来られてるよなあ、って感じるところの最たる部分がここかもしれません。

そして、切り捨てる基準が、そんなに自分本位ではないというか、凄く常識的なラインであるように感じます。「勝手に押し付けられる理想に応えなくてはならない義務はない」とか。いや、こんな風に思ってらっしゃるかどうかは全然分からないんですけど、そういう正しさをお持ちなような。しかも、その正しさが物凄く正しい、疑いようもないようなことが多いから、剛さんにはああいう種類の強さがあるように思います。愛は尊い、命は尊い、とか。正しい、と確信を持てることを信じてらっしゃる強さがある、ように見える。

歪なだけ、奇抜なだけ、ではない所が、剛さんの複雑な魅力を作ってるんだろうなあ、って思います。真っ直ぐすぎるからこその危うさも、珍しいし面白いし。
いつか、剛さんの「正しさ」っていうのを書いてみたいなあ。今は全然、まだまだ分からなさすぎて書けないですけど、剛さんのことをつらつらと考える上でのキーワードの一つなんじゃないかな、って気がします。歌詞にも多い他のキーワードは「嘘」と「愛」と「死」であるような。流石剛さん、どれも重い(笑)

失せるものは失せろ、という面がおありになる、っていう私の勝手な印象からすると、「イノチトボクラ」の歌詞は、とっても面白かったです。
見切らないことを選ぶときの剛さんは流石の重さで、どこまでも剛さんらしくて凄い。見切ることが出来る人が見切らないときってこうなるんだな、みたいな。
それから、私は、責める剛さん、っていうのが物凄く好きらしいな、って気が付きました(笑)
社会を責める剛さんも好きですが、個人を責める剛さんも良い。剛さんだからこそ良い。

うん、やっぱりなかなか上手く言葉に出来ませんでした!(笑)
頑張ってまとめると、剛さんには、凄く冷ややかなところもおありで、それは多分、強い正義感と、そこからの潔癖さから来るんじゃないかなと考えました、という話でした!(笑)
そして、そういう剛さんに、あそこまで信頼されて、物凄い量の情を持たれ続けている光一さんはやっぱり、あらゆる意味で凄い方だよなあ、という話でもありました(笑)

剛さんのことを書くのは面白いけど難しいよなー、いずれリベンジしたいです。「イノチトボクラ」についても書いてみたいなあ。今度は牛乳を買っておいて、なんとなく考えたことを、なんとなく書いてみたいと思います。