男子フィギュアとめざましテレビ

男子フィギュア、とりあえず見ました。
高橋選手のフリー後の表情がもう。
人のああいう表情ってなかなか見ることが出来ないよなあ、って感じました。ああいう表情を見せていただけるのが、小さい頃から一つのことを頑張ってきた方々が、沢山の思い入れをもって出場されるオリンピックというものの一番の魅力であるような気がします。表情に、その人の4年間、あるいは、その人の今までの競技人生が出るような。

高橋選手の魅力を再確認できる演技で、本当に、この人には表現すること、魅せることの才能が溢れんばかりにある。選ばれた人だな、って感じました。だからこそ、大変なことも沢山あったでしょうけど、ソチで滑る高橋選手を見ることが出来て良かったです。ありがとうございました!

そして、羽生選手は相変わらず、少し心配になるくらい真っ直ぐな方だな、って感じたのですが、羽生選手の場合はもう、持って生まれた精神の真っ直ぐさとしなやかで上へ上へと伸びていくような健やかさであるようにも思います。これからが楽しみだなあ、ってしみじみと感じました。あの若さで東北の方々の様々な思いまでも抱えて、それでも潰れない輝きが、これからも曇ることなく、笑顔でやっていかれますように。
金メダル、おめでとうございます!

それから、昨日は、途中からではあったんですが、たまたま、めざましテレビに剛さんが出てらっしゃるのを見ることが出来ました!
黙々とお花をいけてらっしゃる地味さが良かったです(笑)

そういえば、小学生だった頃、まだ学校に行けてた気がするから、多分、5年生くらいだったのかな、の夏に、子供に生け花を教えよう、みたいな企画があって、それに参加してたんですけど、その時に自分の芸術の才能の無さをしみじみと感じたのを思い出しました。いやあ、苦手なんですよね、自分のセンスで物を作れ、っていうの。よく分からなくて。
毎回、自分で作るのに、自分好みではないものになってしまっていました。多分、完成したところを全く想像しないまま、何となく生けてしまっていたからだと思うんですけど。
こういうのにしたい!っていうイメージを全く持てなかったから、出来上がってもピンと来なかったんだと思います。
まあでも、確か一回の授業で500円だったと思うんですけど、その金額で綺麗な花をいただけて、角度がどうとかという基礎を少し教えていただけた、っていうだけでも、凄く良かったなあと思います。
場所がまた、自分が通っていた算盤教室でも使われている公民館だったんですよねー、懐かしい。

剛さんのお花は、二つとも物凄く剛さんらしくて、面白かったです。
チラッとしか見れていないので曖昧なんですが、赤い花という軸があって、枝が伸び伸びと、それでいてどこか繊細な角度で生けられているほうは、それなりにそれっぽくて(笑)、目立たせたいところがはっきりしていて、好きでした。独学でやられててああなる、っていう辺りに、剛さんの勘の良さが出ているような。お花の見かたなんて全然分からないんですけど。鮮やかさがあって好きでした。

それから、もう一つのほうはインパクトがあって、バランスが良くないけどストレートではあって、こちらも物凄く剛さんらしいな、って感じました。色合いははっきりしていて、相性も良い、という辺りも、花の種類が極端に少なくて、生ける角度も単純なのに、全体として見ると何となく歪、って辺りも、まさしく剛さん。
いやあ、ここまで面白いと、光一さんがお花を生けたらどうなるのかな、っていうのも見てみたくなりました。絵的に凄く美しそうで、それだけでも見たい。物凄く見たい。
何ならもう、お二人でのんびりお花生けられてるところを見たいです(笑)

それから、剛さんの場合は、お花とかそれ系に関しては、独学でやられたほうが面白くて良いような気がします。守破離っていうのが物事の基本で本筋なんでしょうけど、そういう本筋とは全く別のところでやるからこその作品の面白さ、ってある。歪さや違和感も含めて。守破離から外れていて表に出てくる人は少ない分、剛さんみたいな人は見ていて面白いなと思います。

それに、アイドルさんって基本的に守破離とかいうこととは違うところでやるものだと思うんですよね。歌、芝居、踊り、殺陣、司会、どれも、守破離とかいってられるほど上達にかけられる時間が無い中でどうやっていくか、っていうのがアイドルさん達で、いかに付け焼刃でしか出来ないことで上手くやっていくのか、っていうところで勝負してらっしゃる、というイメージがあります。
本格的な勉強やら修行やらをしないまま、少し教わってやる。それをどれだけ上手くやれるか、みたいな。
勿論、最初はそこでも、そこから一つのことを選んで究めようとされる、という方も沢山いらっしゃいますが、基本的にはそんなイメージです。
だからこそ、軽く見られたり、下に見られたりもしてしまうんでしょうけど、本筋じゃないからこその個性や斬新さ、何をやっても許される感じっていうのは面白いなと思います。

剛さんの場合は特に、何々流、とかいう型に縛られるのが似合わないな、って感じるんですよね。水を縛ることは出来ないというか。
型に嵌れ、って言われたら器用な方だからそれなりに出来そうだからこそ、それじゃ味気ないように感じるのかもしれません。
そういう意味では、アイドルさんは、まさに御自身自体が作品なんですよね、きっと。剛さんという作品。感性やお人柄も含めての。

それにしても、週に一度くらいはお花を買って生けるってどんな感覚なんだろうなあ。私は年に一度買うか買わないかくらいなので不思議です。その一度も、命日かお誕生日かだしなあ。ただ、そういう時、誰かが亡くなったことを悼みたいときや誰かが産まれた日を寿ぎたいときにお花を買えると、やっぱりほっとします。こういう時はお花しかない、っていう気持ちなりますし、花を見るとその人を思い出して穏やかな気持ちになりますし。

剛さんは日常でもお花を買って、しかもご自分の感性で生けて飾ってらっしゃる、ということで、そうしようとされるお気持ちがもう、私みたいなのからしたら不思議です。どうせ枯れてしまうもの、無くても困らないものにお金と時間をかける、ということが、あまりピンと来ない、寒々しいタイプの人間なので、いまいち、何故するのかが分からなくて。
剛さんの理由は、自分の作品に囲まれているとテンションが上がるから、という感じだったので、凄い、流石だ、って感動しました。そう説明されると、少し分かるような気がします。自分が作ったものに囲まれている、ある意味、他者の介入が少ない、ということは安心もしそうですし、自分の好みのもの、かつ、自分が作り上げたものだけの空間ってテンションがあがりそうで。剛さんは確かに、そういうところありそう。そうだとすると、剛さんは本当に、ご自分だけでも完結しようと思えば出来るというか、他者の存在を死ぬほど求めなくても良いというか、そういうタイプの方なのかな、どうなんだろうなあ、って不思議です。
剛さんは本当に、分からない方だよなあ、って思います。色々な面があって、しかも、それがどれもしっくりくるというか、凄く意外、と感じることがあまりない。だからこそ面白いんだろうなあ。

それにしても、剛さんのこういう面をちらっと見聞きすると、キンキさんって凄いなと思います。ご自分一人で作ることが出来る作品やそれに囲まれていることがお好きな剛さんが、光一さんとは「キンキ」という一つの単位になる。他者の介入を許すというか、それこそ、一つになることが出来て、そうしたいと望まれる、っていうのは、なかなか凄いことであるような気がして。
音楽を一緒にやられる方々はあくまで、「一緒に楽しむ」のであって、一つの単位になるのとはまた違うように見えるので、剛さんにとっての光一さん、あるいは、光一さんとやることっていうのは、大きな意味があるんだろうなあ、って改めて感じました。いつも感じてるんですけどね!(笑)
でも、こういうタイプの方だからこそ、あんな風に光一さんという相手に対する思い入れ、一緒にやることに対する思い入れが重たく、そして深くなるんだなあ、ってしみじみと、今までとは違う形で納得できたような気がします(笑)

キンキさんは本当に、奥深くて楽しいです。

明日は二度目の自分が練習をまわす日で、ちょっとドキドキしているのですが、前回の反省を活かして頑張ってきたいなと思います。
おやすみなさい!