御伽話

お久しぶりです。
ここ数か月、じわじわ来てる、自分の中の何かが崩れてる、っていうのは分かってたんですけど、こちらに色々書きすぎても、申し訳ないというか何というか、と思って、何も書けずにいました。
パソコン自体、開きもしなかったんですけど、自分の全てがガタガタで。

出来たら穏やかなことを、キンキさんのことを書きたいな、って思っていたんですけど、よくよく考えたら、こちらに何か書かせていただいてることは大抵、ちょっと調子が良くないんですけど頑張ります、みたいなことだった気がする、と思って、とりあえず今のことを書いてみよう、って思って出てきてしまいました(笑)
本当に、いつもいつもすみません。

という訳で、普段以上にうだうだと暗い感じなので、下げます!


もうすぐ後期の試験が始まるんですけど、物凄く危ういです。色々な意味で。
今の感じだと、試験を受けにいけるかどうかすら危うい、という感じです。
ちらっと書いてはいたんですけど、実は、ここ数か月は本当に、物凄く不安定で、かつ、じわじわと足元が崩れていくような、自分の中で何かと何かが引っ張り合うようでバランスが極端に崩れていくような、そんな感覚がありました。

理由は全然分からないんですけどね、いつもと同じように。部活もあるかなと思ったら、部活が休みに入った今、一気に崩れてるので、部活は生命線のほうだったみたいです。

後期はほとんど講義に出られなかった上に、今も、ほとんど試験勉強が出来ず、講義にも出られずで、同じことを繰り返すことに本当に驚きます。悪夢ってこれか、みたいな。
いつも本当に分からないんですよね、不満があるわけでは無く、分からなくてつまらない、というわけではなく。小学校も中学校も高校も予備校も、私はいつも人に恵まれたので、人間関係で辛い思いをしたわけでもないんです。今もそうですけど。
なのに、ある日急に、何かが狂いだす。何も分からないまま、とにかく、学校という場に行けなくなる。自分の中で何が変わったのかもよく分からない。

これを絶望と呼ばずして何を絶望と呼ぶか、みたいな心境です。上手くいってる、と思って安心して油断したらこうなる。繰り返しです。
最初から上手くはいかなければ良いのに、最初は、これ以上ない、というくらい上手くいくのも自分の特徴だな、と思います。今回は二年目のジンクスを乗り越えた、と思ったら、乗り越えた訳ではなかったみたいです。最後の最後で足をとられたというか。

高校から不登校になった人、っていうのは軌道修正をしやすいけど、小学校から始まった人っていうのは結局、軌道修正できず、失敗する、みたいなデータが多い、っていう、以前から知っていたことが重たいです。

人生、ってなんで、その後、○○は幸せに過ごしました、にならないんだろう、って今、久しぶりに思っています。高校に行けなくなったとき、ほんっとに思ったんですよね。中学三年生になって、突然、学校に行けるようになって、勉強して、高校受験に受かって。その時、私はもう全部終わった、って思っていたので、二年に入って、急に行けなくなった、しかも理由が分からない、となったときに、何で、お伽噺のように、○○は幸せに過ごしました、にはなってくれないんだろう、やっと掴みとった幸せがずっと続いてくれないんだろう、って本当に号泣して途方にくれた覚えがあります。

今は、号泣するほどの元気もないんですけど、多分、まだ諦めきれてないからなんだろうな、って思います。
自分の中の大半では、もしかしたら、このまま、大学を辞めて、部活も申し訳ないけど、誰かに役職の仕事を引き継いで辞めて、「中卒で働かないと、それしかないんだから」って思っていた頃に戻るしかないのかもしれない、って思っているんですけど、頭の片方では、絶対、そんなことにはさせない、絶対させない、しきりなおしてでもそうはさせない、って思ってるんですよね。私の諦めの悪さと頭の悪さは一級品なので、もし万が一二年後期は駄目でも、三年生からの仕切り直しを狙っている自分がいます。

毎晩、毎晩、不安で、でもどうにも出来なくて、パニックになる一歩手前みたいなところでグラグラしてるんですけど、うちは物凄く裕福、というわけではないのに大学に来させてくれて、予備校にも行かせてくれた両親に申し訳ないから、とか、祖父が残念がる、とか、単位が、とか、四年で卒業出来なかったらどうしよう、とか考えてる一方で、凄く冷静に、もし万が一後期全部、試験を受けられなくても、今までの単位は全部取ってるから、四年で卒業も、もし三年からまた行ければなんとかなる、って考えてる自分もいて。

そういう自分がいるなら、もしかしたら、まだ希望は捨てなくてもいいかもしれない、って、疲れていながらも、どこかでそう思えています。

分からないんですけどね、本当に、ここ10年、一応、おおまかなところでは楽になりたい、っていう理由で動いてきた気がするんですけど(学歴がないとどうしようもない、どうしようもない中でもがくのが辛いから大学行こう、とか)、大学に来たって、普通に過ごしてみたって、楽にはならなかったです。気持ち的に。よくよく考えたら、いつも不安定で、いつも辛い。いつも苦しい。ぼんやりとした不安、って芥川みたいですけど、気持ちはよく分かるな、って感じるくらい、いつも漠然とした不安がある。
10年以上そうなので、しかも11歳とかそれくらいの年齢からそうだったので、もはや、そうじゃない感覚をほぼ忘れつつあるんですけど。

しかも、最近、うっすら分かってきたんですけど、私は、自分のためになることをする、っていうことを続けることに抵抗、というか、罪悪感を感じているみたいなんですよね。
もともと、自己愛とプライドが高いタイプだと自分のことを思っていたんですけど、もしかしたらちょっと違うのかもしれない、と最近、思います。

自分のためになることを何もしたくない、っていうのがあるんですよね。勉強にしろ、それこそ、単位をとることにしろ、大学の友達が「自分の為になるから」って自然に言ってることはもれなく、私がやることに抵抗と罪悪感を感じることなんですよね。
一年の頃はそれでも、自分の為、という感じが少なかったから良かったのに、二年後期のこの時期、って、本当に、単位をとること=自分の為、っていうのが強烈になって、それが苦痛、っていうのがだんだんと強まって。
いやもう、両親の為、お金出してもらってるから、って思えれば良いのに、どこかでそうは思えない。就職に有利、とか、そういうことには近寄りたくもない。
自分を貶めたい、というか、自分自身を踏みにじりたい、みたいな感情があるんですよね。
高校時代も、大学進学の話をされるのが凄く駄目でした。普通に、有利に、って言ったら違うのかもしれないんですけど、自分が大学に進学させてもらっていいはずがない、就職させてもらっていいはずがない、っていう強烈な感情に流されてしまう瞬間があります。
いやいや、就職しないとどうしようもないやん、って思うんですけど、なんかこう、生理的に無理、みたいな感じで、自分みたいなのがそんな人様並みに生きていかせてもらおうと思うなんて、みたいな。
どこかビクビクしてるような感覚があります。小学生だった頃から、学校という社会の縮図に対応出来なかったくせに、何をそんな高望みしようとしてるんだ、適応できないような駄目な人間ならそれなりの人生を、這うようにして進んでいかないといけないのに、みたいな、罪悪感のようなものが。

普段は自分が出来なかったことなんて意識していないつもりなのに、大きなところで揺り戻しが来ているのかもしれません。いつの話をしてるんだ、って感じなんですけど、人生地続きなんだろうな、って思います。

上手くいくことへの罪悪感、って、そういえばずっと引きずってきてるような気がします。
駄目になることに、どこかで、これで良いはず、と安心してもいるような。
そこから、一度駄目になってからまた頑張るなら良い、みたいな、無駄な一段階を踏もうとするというか。人間って本当に複雑怪奇な生物過ぎる。

それでも、どうにかして、出来れば二年後期も、とれそうなものだけは取りたいな、って、こうやって文章を書いて整理したら、思えるような気がしてきました。

本当は二年後期まで頑張って三年、四年は楽をしよう、って考えてたんですけど、今までが順調すぎるほど順調だったので、帳尻を合わせるというか、こういうガタが来たのも自分らしい、と思って、そこで一度安心して、そこからならまた頑張ることが出来るような気がします。

なんで自分で積み上げてきたものを自分でグシャグシャにしないと安心できないのかは、はっきりとは分からないんですけど。何だろう、人間性?そうだったら救いようが無さすぎて嫌だなー。

それとも、何かやっぱり理由があるのかな。小学生から始まりました、みたいな、早い段階で始まったタイプは理由が分からないことが多い、だから理由を探したって仕方ないんだ、って結構言われてるので、自分もそこまで気にしないようにしてきたんですけど、こうまで続いて、こんなにもダメージが大きすぎると、自分の不安定さのもとを探したくなります。

そういう自分との付き合い方を云々、とか、それ簡単やないからな!って、専門書に文句を言いたいです(笑)
土台が崩れているところに、いくら必死で家を建てようとしたところで、永久に家は建たないんじゃないの、という気持ちになってしまって。

まあでも、私はいつも結局のところ自分の勘に従って生きてくるしかなかったし、これからも、何だかんだ、頭より感覚で生きていくしかないタイプなんじゃないか、っていう嫌な予感があるんですけど、今の所、自分の勘では、まだ諦めなくて良いような気がするので、どうなるか分かりませんが、今できる範囲で頑張りたいと思います。

試験にしろ、自分の精神の安定のさせ方にしろ。私の場合は、不安定な状態こそが安定してる、みたいな感じなのかもしれにんですけど、もう。長すぎて。

私が生きているのは残念ながら御伽話ほど全てが上手くいく自分、というのがいる世界ではないので、どんなに土台が崩れていようが、それでも必死で家を建て続けるしかないんだろうと思います。

崩れたと言えば建てなおし、崩れたといえば建てなおし。
それを繰り返していれば、全壊せずに残る一部分があるかもしれない。その一部分が少しずつ増えていくことだってあるかもしれない。

完全に諦めきってしまうまでは何も終わらないしー!終わったとか私、認めないしー!と粘りに粘ってここまでやってきてる、その自分のしつこさだけは間違いないと思えるので(笑)、そこに関してだけは不安にならずに、とにかく這いつくばるようにして、それこそ貞子のように地面に指を立てるようにして、前に進んでいきたいな、という気持ちが、こうなってる今でもあります。うん、そこは揺らいでいないな、って、こうやって書いてて確信を持てるので、この気持ちを大切にして、とにかく頑張っていきたいと思います。不安だけど。

こういう全てが崩壊するようなレベルでの行けない、という時が来るたびに、自分の中の枠みたいなものが壊れて、少し広くなるというか、無理矢理、広げるしかないというか、そんな感じがあります。否応なく、自分の中の線を引き下げるしかないし、その引き下げてしまったことにめげずに、気持ち悪くても嫌でも何でも、進んでいくしかないし。立て直していくしかないし。そういう機会なのかな、とも思います。そんな悠長なこと言ってられないんですけど。

両親は、特に母親はそうなんですけど、私が辛がってるのに何も出来ないのが辛い、って泣いてしまうんですよね。それが本当に申し訳ないですし、父が、もう若くはないのに、24時間勤務とか、夜勤とか、そういう仕事で働いて稼いでくれたお金で大学に行ってる、っていうことを考えると、辛くて、どうしてかな、って涙が出てきます。
そういう気持ちだけでどうにかなるなら良かったのに、それでどうにかなるなら、こうはなってないんですよね。そこはやっぱり、物凄く苦しいです。
二人共、私を責めないでくれるので、余計。頑張ってきてるのを見てるから、って言ってくれるんですけど、それを喜んでくれていたんだろうな、というのも分かるぶん、とても辛いです。自分が年を重ねれば重ねる程、そして、両親が年を重ねれば重ねる程、辛くなってくる。

最終的に何とかするだろう、何とか出来るだろう、という予感のようなものはあるし、以前のように、気力が完璧に萎えてしまった、という感じでもないので、少しずつ少しずつ、頑張ろうと思います。

本当は、私と似たような経験をされている年下の方々も遊びに来てくださってるのを知っているので、こういう、暗くて、不安なお気持ちにしてしまうかもしれないことは書かないほうが良いだろうな、しかもこの時期に、と少し迷ったのですが、書いてしまいました。すみません!

今の私は、崩れそうになってはいても、崩れ落ちてはおらず、崩れ落ちる気にもなっていないので、もし、そういう方々が今の私と同じように何かあったときに、この文章を読む機会がおありだったら、「こんな風になっても諦めなくても良いのかもな、まだ強気でいようかな」ってほんの少しでも思っていただけるかもしれない、っていう気持ちになってしまって。

こういう、不登校だとか、そこからまた学校に戻るだとか、そういうことは、似たような部分はあっても、一人一人、状況も環境も考え方も違うはずなので、全然、不安になることはないと思います、ということだけ、一応、書かせてください!
違う環境になれば色々なことが凄く上手くいっている、という方も沢山、おられると思います。

それこそ、もうすぐセンター試験や大学試験、高校受験が始まりますよね。
私は、まあ、いつだって苦しい、みたいなことは書いちゃったんですけど、それでも、今、こうやって大学に来たことを後悔はしてないです。良い出会いが沢山あったし、人と関わる、ってやっぱり、何にも代えがたい、面白いことだし、世界が広がったな、って素直に思えます。出来ることが増えるのはやっぱり楽しいですし、その延長線上で今みたいにちょっと苦しいときがあるのも、それはそれで、予定外のことに直面して、さあどうしようか、って頑張るのは悪くない、とも思います。

学歴がないとどうしようもない、っていうのも勿論、あるはあるんですけど、それ以外にも、挑戦してみるメリット、新しい世界に飛び込んでみるメリット、あるいは、そうしよう、と思って行動することの喜び、っていうのは沢山あるように、個人的には感じています。

ということで、これから受験です、という方々、皆さん、心から応援させていただいています。良い春を迎えられますように。

私も、良い春を迎えられるように頑張ります。

いつも以上に支離滅裂で何を書いてるんだか分からない文章になっちゃってると思うんですけど、あげちゃいます。
明日にでももう一度読んで、あんまりだな、って思ったら消してしまおうと思います。
とりあえず、こうやって文章を書いて、辛い、辛い、苦しい、苦しい、というだけでなく、整理する、というところまでこぎつけることが出来て良かったです。
もし、読んでくださった方がいらしたらすみません!ありがとうございました!
試験が終わったら、キンキさんのことを色々と、楽しく穏やかに書けたら良いな、って思います!