賞というもの

拍手やお星様、いつもありがとうございます!
レス不要のコメントも、いつも楽しく読ませていただいています。ありがとうございます!
という訳で、以下はちょっとした私信です。
今はまだ無理しすぎず、ご自分の感覚の様子を見ながら、疲れてしまわないようにお気をつけて、頑張ってくださいね。夏バテが出る時期にもなりますから、お身体にもお気をつけてください!応援しています!

光一さんは明日から梅田、剛さんは来週Mステなんですね!お二人とも、働かれるなあ。お身体にお気をつけて、頑張ってください!Mステのほうは見れるはずなので、今から凄く楽しみです。

そして、部活とバイトの合間に、というか電車待ちの間に、剛さんが乗ってらっしゃった雑誌をざっと見て読んでしてきたのですが、何だろう、剛さん、お顔立ちというか表情というか雰囲気というか、が、物凄く女性っぽくなってこられてるような。可愛いとかなんとかの前に、女入り過ぎじゃないか、っていうレベルになってきてるような・・・!って、びっくりしました(笑)
動いて話してらっしゃるのを見てると、そこまで思わないんですけどねー。写真になると、今こんな感じなのかあ。何でしょう、剛さんは不思議な方ですよね、本当に!(笑)
歌声も、女性っぽくもなってきてらっしゃるように聞こえるもんなー。色気の質が変わってきてらっしゃる、っていうことなんでしょうかねー。剛さんは謎の固まり過ぎて、これからが興味深過ぎます(笑)

昨日は、部活の練習後に、先日、開催された全国大会と、その翌日に開催された世界大会の動画を見させてもらって、もう凄くテンションが上がりました。あと一つ、順位が上だったら、生で見れたのになああ!って思うと残念ですが、まあ、仕方ないです。そこら辺は結構、あっさりした気持ちになるんですよねー。次、また頑張ろうと思います。

世界大会のほう、インドネシアは凄い、って聞いてはいたのですが、本当に、一つ一つの突き蹴りが速く、そして本気で、キレがあって、一瞬でも気を抜いたら大きな怪我をしてしまうようなものをしていて、感動しました。流石、国技として認められてるだけあるよなあ。あんなのが出来るようになりたいんだよなああ!

同じ茶帯の日本代表の人達のものも見たのですが、やっぱり物凄く!上手くて、そうか、頑張ったらこんなに上手くなれるかもしれないのか!って思ったら、改めて、頑張ろう、ずっとずっと上を目指して、もっと上手く、速く、そして、何より気迫のあるものが出来るように、やってて楽しいものが出来るようになろう、って思えました。

私は、自分よりもずっと上手い人がいる、ということが、凄く嬉しいと感じるタイプなんですよねー。そろそろ、次の大会に向けて新しいペアが発表されると思うので、今日は、自分にとっての賞というものについて、改めて書いてみたいな、って思います。最近、考える機会が多いので。

私はそもそも、珠算やら百人一首やら今の部活やら、「大会」があるものを趣味や部活としてやることが多いです。
ピアノやダンスもやってはいたんですけど、大会があるもののほうが、やっぱり印象が強いんですよねー。ピアノやダンスも発表会は勿論、あったんですけど、残酷なまでにはっきりとした順位づけが無いものには、最後の最後でのめり込めないタイプだったように、今になると思います。

何だろうなー、大会っていうものが好きなんだと思うんですよね、まず。勝つか負けるかしかない、っていうのも好きですし、出場者が、その為に沢山の時間を犠牲にして頑張って上達してきたものを、全身全霊でぶつける空間が多分、好きなんだと思います。あの物凄い緊張感。身体が強張って、昼食を食べるのが大変になるくらいまで、気持ちが入っている人達が、全てを短い時間にかけるギリギリ感とピリピリした空気が好きなんです。
そして、結果が出る、っていうのも好きです。拍手の大きさだとか、自分の中での「出来た」という感覚とは全く違って、数字で、誰が見ても分かる形で結果が出る。言い訳も出来ないし、誤解も誤魔化しもしようがない、曖昧さがない、というのが好きなんだろうと思います。何だろうなー、ある意味、自分の感覚に全然、自信が持てないからなんだと思うんですよね。今のは良かった!っていうのがあればそれでいい、とはあまり思えない。本当に良かったのか、自己満足じゃないか、お客さんが気を遣ってくれてるんじゃないか、場の空気を読んでくれたんじゃないか、っていうのが、最後のところで抜けません。客席からの空気で伝わってくる、っていうのも、分かりはするつもりなんですけど・・・。疑り深すぎるんだと思います。楽しければそれでいい、自分が良いと思えればそれでいいものでもあるのかな、とも思うんですけど、結局、表現というものに関しては、やる側は自分のステージをどう捉えれば良いのか、どう評価すれば良いのか、っていうことが、最後まで分からなかったような気がします。だからこそ、大会好きなのかもしれません。

数字や勝負事に拘るなんて、っていう考えの人も多いのは知ってるんですけど、そういう考えを持てる人達は、勝負事に拘るなんて品がない、ガツガツしすぎてて怖い、っていう感じなのか、あるいは、結果が出なくても頑張ったならそれで良いよね、って言える、ってことで、自分で自分を認めてあげる能力が高い、っていうことなのかなー、って想像してます。もしくは、賞なんてとってもとらなくても変わらない、意味はそんなにない、って思えるものなのかな。あまりに縁遠い感覚なので、よくは分からないんですけど。

結局、基本的に、負けず嫌いで好戦的、プライドが高く、かつ、数字でちゃんとした評価が出ることに安心する優等生タイプ、ってことなのかなー。こうやって並べてみたら、良い要素一つも無い気がするな!(笑)
ただこう、私は「結果は出なくても、大切な何かを得た」みたいな表現が好きじゃないんですよね。屁理屈なんですけど、大切な「何か」って何だ、大切ならちゃんと言葉に出来るものなんじゃないか、って思っちゃうんです。結局何を得たんだ、って。本当に、言葉に出来ないものがこの世には沢山あるんだよ!って感じなんですけど(笑)

単純に、結果が欲しいんだろうなー。私は割と小さかった頃から、試験の点数だなんだを含めて、結果重視タイプだったような気がします。それで安心したい、というか、それが無いと自分の努力を認められなくて安心できない、みたいな。だからこそ窮屈だったし、自分で自分にプレッシャーをかける、みたいなところがあったんだろうなあ。今は、以前よりはずっと、結果が出なくてもそこまで自己否定しなくて済むようにはなってきてるような気はするんですけど、どうなのかなー。こういう自分の性質を把握出来てるだけマシな気はするんですけど。

うちはそれなりに大会が多いほうの部活だと思うんですけど、うちの部も、賞というものの捉え方に関しては、それなりに分かれます。結果に拘る派と、上達するためにやってるから、賞には拘らない派、そして、頑張った先に取れたら良いな、くらいのスタンス派。

私はあんまり、上達するためにやってるから賞には拘らない、と割り切ることは出来ないなあ、って思ってます。勿論、賞の為に上達したい、と思っている訳ではないんですけどねー。でも、上達した、って自分では思っても、そうじゃない、っていうことって一杯あるから、やっぱり大会がないと辛いな、って思います。それに、大会が無いと、どうしても張りがないし、目指すべきラインも曖昧になるから、目覚ましい成長、というものも難しいように思ってしまうんですよね。なので、大会が無くてもモチベーションを保てる、って凄い、って思いますし、賞というものを意識することなく、凄く上手くなる人っていうのは、凄く精神力が強くて、自分を律することが出来るんだろうな、凄いな、って思います。そういう意味では、芸能事の人達って凄いなー、って思うんですよね。売上や集客数っていう数字は出ますけど、それもまあ、時代の流れで数が変わるだとか、自分自身のファンが買ってるから、だとかで、作品それ自体の評価って、分かるようで分からないところがあるように感じます。

その中でやっていくには、やっぱり自分自身がやりたいことをやっていって、求道者のようになっていくしかないんじゃないかなー、って思います。確かな評価が無いなかでは、自分の感覚を信じて、自分が行きたい道、目指す所を信じて、突き詰めてやっていくしかないのかな、って。私だったら、不安になるだろうし、虚しくなるかもしれないなー、って思います。

話がそれちゃいました。私はやっぱり、大会は大切だし、やるからには結果が欲しい、って凄く思うタイプなんですよね。なんだか罪悪感があるし、こう、勝負事にこだわるなんて人として上等じゃないんじゃ、みたいな気持ちもあるはあるんですけど。よく聞きますしね、勝負事に拘るなんて、みたいなのも。でもやっぱり、賞ってとれると凄く嬉しいんですよねー、単純に。珠算やら百人一首やら作文やら、トロフィーや盾を貰えたり、表彰されたりすると、頑張ったんだなあ、って思えて、凄く嬉しかったんです。そういう経験が結構あるからこそなんだろうなー。それに、賞をもらえないと分からない感覚って絶対あるよな、って思います。喜びも勿論あるけど、賞をとるという結果が出ることで、一定の水準まで来たかな、って確信を一応、持つことが出来て、じゃあここから更に上手くなるにはどうしよう、もっと上手くなろう、って、素直に次に進むことが出来るようになる。まだまだなのに、その更に上へ、とはあまり思えないタイプなので、そういう意味でも、賞が欲しい、って思います。

そして、多分、本気で頑張ってきた人達と大会という場で、必死になってやりあう、っていうのが好きなんですよね。他人とゆるやかに、優しく関わるのも好きですけど、対戦相手として、なりふり構わず、取り繕わずやりあう、というのも、拳で語り合う、じゃないですけど(笑)、やっぱり生々しくお互いに関わりあった、っていう感じが凄くして、好きです。相手の性格も、短時間で意外と分かるような気もして。

まあ、色々言っても、あくまで、自分が納得のいく、好きだと思える、気迫があるものをやれて、その上で賞がほしい、っていう順番は崩れないんですけどねー。でもやっぱり、結果が出たほうが単純に嬉しいし、出なければ何かしら後悔してしまうことが多いし、後輩へも、少しは安心して指導が出来るし、一緒にやる人達とは喜び合いたいし、って思います。それに、自分自身が、先輩方が入賞されてる姿を見て、自分も頑張ろう、って思えたし、自分も頑張れば入賞できるかも、って思えた、っていうのがあるので、後輩の子達の為にも、結果を出せたら良いな、って思います。

最近、結果に拘るなんて、みたいなことを聞く機会が何回かあって、自分の考え方を整理したくなったので書いてみたんですが、結論としては、やっぱり自分は結果重視タイプなんだろうと思います。結果が出なかったら意味がない、とまでは思わないんですけど、多分、普通よりは、賞というものに対する思い入れが強いんだろうと思います。目に見える形での結果が欲しいというか、自分の感覚や他人の優しい評価を、そこまで信じられないというか。

きっと、こういう性格だと、自分を追い詰めちゃったりもするんですけど、まあ、それはそれで充実感みたいなものを感じちゃうので、それ込みで、好きなんだろうな、こういうのが、って思います。まあ、とれなくても死なないし、責任があるわけじゃないし、っていう前提が大きいんですけどねー、きっと。だからこそ、自分で選んでやってるからこその感覚だろうと思います。うん、そろそろ、部の方針の話だとかで、こういうことも話すことになる感じなので、今、改めて自分の感覚を確認出来て良かったです!