立つ鳥跡を濁さず

昨日は、朝8時集合、夜9時前解散で、隣の県の豪雨被災地にボランティアに行ってきました。

まだ小学生の時、ガールスカウトにいた頃に(あそこで女だけの集団の怖さと気楽さと面白さを知りました(笑))、募金活動や難民支援のバッグ作りくらいはした覚えがあるんですけど、本格的なボランティアは多分、初めてだったと思います。

九月には岩手にも行きますし、何だか最近、自分の行動だけ見ると、奉仕精神に溢れた人みたいになっていますが、私は全然、そんなタイプでは無いです、って宣言するようなことでもないんですけど。基本的に、実になることしかしたくないというか、ボランティアするくらいだったらバイトしたいかな、部活って本当にお金がかかるし、昼食費稼ぐだけでも意外と大変だし、とかって考えてしまうタイプなので、今、いくつかボランティアに関わってるのも、私の中では、理由がある、というか何というか、なんですよねー。なので、人にボランティア関係のことを話す時は、何となく申し訳ない気持ちになります。いやいや、違うんです、ボランティア精神は特に持ち併せてないタイプだと思います、みたいな。

今回、隣の県のボランティアに参加したのは、私が住んでいる県が募集をかけていたので、とりあえず信頼出来そうだな、と思ったこと、部活をしていることで、人並みについた(気がする)体力を活かせる機会があったら良いなと思っていたこと、夏休みで、ある程度の余裕があること、そして、人生でボランティアをしよう、と思えるのなんて、基本的に、時間と気持ちにある程度の余裕がある今だけだろうな、と感じたこと、と、色々揃ったからです。

そして、行ったことがない土地に、手段や日程は色々取り決めてもらい、交通手段の心配もせず行けて、しかも、手出しのお金は準備費用くらい。その上、初めてボランティアというものをさせてもらうことで、知らなかった、でも、いつ自分が関わるか分からない、災害からの復旧の現場を見て、しかも、少しであっても人のお役に立てる、って良いことずくめだな、って思ったんですよね。日帰りだったら、負担もたかが知れてるし。

ということで、こうやって正直に書いてみると、改めて、褒められたものじゃないな、という感じの理由で参加を決めてしまった今回のボランティアだったのですが、参加して良かったな、って凄く強く思っています。

一ヶ月くらい前に、県主催のボランティア養成プログラムに参加します、って確か書いたと思うのですが、九月にも二日間、講習を受けるつもりのこのプログラムは、災害時に立つボランティアセンターの運営に関わることが出来るボランティアを養成しよう、というものなんですね。

今回、隣の県のボランティアセンターに実際に行って、そこの働きを実感することが出来たのが、一番、良かったことかな、と思います。
ボランティアは基本的に、被災地の土地の知識や被害状況を詳しくは把握できないまま現地に入るので、どうしても、ボランティアセンターという、どこにどれくらいの人手が必要なのかを把握して、ボランティアを割り当てる拠点が必要になるんですよね。そして、それは、自分も被災者だ、というような人であっても、土地の人がある程度関わらないといけない、と聞いています。確かに、言われてみれば、土地の人じゃないと、確かな連絡網もないし、土地の様子も詳しくは分からないですよね。行政も、災害時は仕事が沢山ありすぎて、民間の人の協力が不可欠でしょうし。

そして、ボランティアセンターではボランティアをサポートするために、ある程度の道具の準備やボランティア後の消毒、水分等の準備もしてくれていました。私が行ったときは、子供達が消毒や冷たいタオルやうがい薬を渡してくれて、「お疲れ様です」って一生懸命言ってくれて、災害ってこういうことだよな、って感じました。お年寄りだろうが子供だろうが、大人だろうが、同じ状況におかれて、やれることをやらないといけなくなる。この子達が出来るだけ辛い思いをせず、そして、見知らぬ人が沢山、自分達の土地に来ている、ということに、何か少しでも安心してくれたら良いな、と思いました。

それから、今回は、ボランティアセンターのほうがやっぱり、沢山のボランティアを捌き切れていなくて、1時間もないくらいでしたけど、バスで待機したんですが、その時に、自分が県外から参加して、活動出来る時間がもともと少なかったこともあって、やっぱりボランティアセンターがしっかりすることっていうのが大切なんだな、って実感しました。的確な状況把握と確実で素早い判断、って一番難しいことだと思うんですけど、災害時のボランティアの拠点にはそれが求められるのかな、と思います。

ということで、部活と一日被ってしまって、参加するか迷っていたんですが、九月のほうのプログラムにも参加して、ボランティアセンターが立ったときに、何かしらのお役に立てる知識と技術を身に付けてきたいな、と考えています。私が住んでいる県でも二年に一度くらいのペースで大きな災害が起きていますし、日本に住んでいる以上、自然災害とは一生のお付き合いになるはずなので、それを考えてもまあ、身に付けていて損はない知識かな、って感じるので。少なくとも大学在学中は、何かあって自分に余裕があるときは動きたいな、と思っていることもあって、たまたま応募して通ったこれも何かのご縁かな、と思います。

それから、今回、感じたのは、やっぱり緩やかな助け合い精神っていうのは今も残っていて、それが大事なんだろうな、っていうことでした。去年、うちの県でも割と大きい水害があったのですが、そのときも、隣の県の方々も含め、12000人程のボランティアさんが入ってくださったんですよね。だからこそ、今回のようなときは県が動いてボランティアを集めて隣の県に行く。というようなことを県の職員さんがおっしゃってたので、近くの県という単位同士での緩やかな助け合いみたいなものって、お互いにとってやっぱり必要不可欠だし、文明が発達した、ネット社会になって人はこうなってしまった、どうだこうだとよく聞きますが、恐らく、世間で言われているりずっと、周りをよく見渡せば、こういう人同士の助け合いや交流は残っているし、残っていく、というか、お互いの利益の為に、残らざるをえないんだと思います。県単位の大きな話だけでは無く、もっと小さい単位であっても、そして、若い世代の間であっても。これは、いつも思うことなんですけど。

それから、県の職員さんといえば、今回、若くて恐らく40代、多くの方は恐らく50代、60代近いだろうな、という男性ばかりで驚きましたし、ちょっと心配になりました。こういう仕事こそ、若い職員さんが関わっていただけたら良いんじゃないかなー、と思ったんですが、シャベルの扱い等に慣れているのはこの年代の方だということなのかな、とも考えました。どうなんだろうなあ。

というのも、今回の現地での主な活動は、泥で埋まった側溝の泥を掻きだす、というものだったんですね。あちらでは3日前に水道が復旧した、ということだったんですけど、1メートルは無いくらいだったのかな、の深さの道路の側溝が完全に泥で埋まってしまっていて、このまま水道を使っても道路が汚れるだけだということで、ひたすらシャベルで泥を出しては運ぶ、ということを繰り返していました。まあ、太陽の下で、一番気温が高い時間帯で、という状況での力仕事だったので、そこそこ、体力的にも大変だったんですけど、汚水が通っていたところなので、臭いがきつくてですねー。マスクもしてはいたんですけど、今から仕事をするぜ!という気力のときじゃないと辛いな、これは!って思いました。鼻が凄く敏感、というタイプじゃなくて良かったです。

側溝は幅が狭いし(人一人が降りれるくらいでした)、泥で塞がれることは基本的に想定されてないので、金具を開けて泥を出して、という、どうしても人がやるしかない所となると、そこまで行政の手が、すぐには回らないらしいんですよね。自分達でやってみて、確かに、これは人手と時間が必要だな、って実感しました。そして、私が振り分けられたところは山奥、といって良いような、市内から離れたところだったので、なるほど、こういう所は県外からのボランティアが必要だろうな、って実感することが出しました。基本的に、県内のボランティアは、困る人が多い市内などの地域に、まず行かないといけないだろうしなあ、って。

それから、現地にゴミを残さない、迷惑をかけない、ダラダラせずさっと潔く去る、という意味で、立つ鳥跡を濁さず、というのがボランティアの鉄則だということで、何も残さず帰ってきたんですが、それはやっぱり、こういう県のサポート等がないと難しいな、って感じました。活動後にバスの座席全てにビニールがかけられて、足元には新聞紙が引かれていて、成程なあ、って感じましたし、こうやって先の事先の事を考えて動かないといけないんだな、って感じました。

ただ、昨日は、水害から10日後くらいだったんですけど、私が行った地域の浸水した家の泥の掻きだしは終わっていたり、大きなゴミはきちんと集められたりしていたので、人の力って馬鹿に出来ないよな、凄いな、って感じました。

そして、ここ数日の日照りで、田んぼの土が乾いてヒビが入っているのを見たり、今回、水道を使うために活動したりしたことから、改めて、水害で大変だろうと何だろうと、水は必要でありがたくて尊くて、共存しないといけないもので、自然に関しては、否応なく、困ること、助けられること、両方があるものなんだな、って改めて感じました。

それから、汚れるとか言っていたらボランティアなんて出来ないので、服や長靴はそれなりに汚れたんですけど、そのまま公共機関を使って帰るわけには、ということで、現地の近くの温泉に入らせてもらって帰ってきました。そこは、こういう状況なので、ボランティアを受け入れていたり、被災者の方を受け入れていたりしているところだったのですが、受付のお兄さんとおば様が凄く明るくて、和やかな気持ちになりましたし、こうやって思いがけず、温泉にまで入らせてもらって、やっぱり参加して良いことずくめだったな、って感じました。露天風呂もあったので、少し入ったのですが、その時は丁度、一人で入れて、山の中なこともあって、蜩(の声だと思うんですけど)が沢山鳴いていて、凄く静かな気持ちになりました。

行き帰りのバスの中からは、海と山を見ることが出来て、知らない土地の風景を見ることが出来て、ちょっとした旅行気分にもなれて、知らない者同士だったんですけど、同じくらいの年代の人と、「そっち持ちましょうか」「休憩大丈夫ですか」って言葉を交わしてみたり、あちらの方と少しお話したりして、参加して良かったな、と思いました。それなりに疲れましたし、きつくもあったんですけど、普通に今日、バイトに行けるくらいのものでしたし。

私は物事をどうしてもメリットとデメリットで考えてしまって、メリットが少なさそうなことにはあまり気が乗らない、という嫌なタイプなのですが、ボランティアに関しては、これで良い、と思ってしまっています。「何々してあげてる、やってあげる、参加してあげる」みたいな感覚を欠片も持ちたくないんですよね。自分にとって良いことばかりだからしました、って言えるようにしていたいですし、そう思えないならやらなくて良いかな、と思っています。

こういう感覚が強いので、東北の大震災後の音楽の日に、光一さんが「元気を与える」っていうのを「元気を届ける」って重ねて言い換えてらっしゃってるのを見たとき、ここで違和感を感じて言い換えられるこの人の感覚が好きだな、信じられるな、って思ったのを、よく覚えてます。届ける、っていう言葉の選び方も、良いな、って思いました。そうそう、行きのバスでは、頑張ろ、って思いながらキンキさんの曲を聴いていたんですけど、やっぱりキンキさんの歌と歌声は良いな、ってしみじみと感じました。そして、帰りは、何となく、主に剛さんのソロ曲を聴いたんですが、剛さんの曲と歌声は、夜の寂しい、静かな道に合いすぎて。昨日は細い三日月の夜だったので、余計。色々と濃い、得る物の多い日になったな、って思いながら、耳を傾けていました。

というわけで、最後にふと思い出してキンキさんのことも書いちゃいましたが(笑)、話を戻して、これからも、機会があったら、構えすぎず、変に気負い過ぎず、自然にボランティアに参加して、自分も得る物がありながら、どなたかのお役に少しでも立てたら良いな、と思っています。

覚えていることをわーっと書いてしまったので、いつも以上に読みにくくなっちゃった気がします。読んでくださった方がいらしたら、すみません!