酔ってます!

光一さん、今日なのかと思ったら!来週なんですね!なんということでしょう、Mステ見て色々決めよう、と思ってたのに!

今日は両親の結婚記念日(26年目)で、お祝いで近場のお店で三人で食べて飲んでしてきたので、今、普通に酔ってます。

で、酔った勢いで何か書いとかないと、なんかもう書けない気がする、と思って、何か書こうと思ったら、物凄い振り切った文章を書いちゃいそうな予感が、今からします。どんな結論に辿り着くか分からないけど。何故私はこうも、0か100かなのか。

ここについても、色々と、ぼんやりと考えたんですけど、もう正直、公開してる、出来るだけ他人様に不愉快な思いをさせないように、っていうのは勿論、意識しておかないといけないんですけど、結局のところ、自分が管理して、自分が書きたいことを書いておいて、読んでください、という強制はしていない所だから、ある程度、好きに書いてしまおう、というところに落ち着きました。

が、最近、でもないか、それこそSHOCK後からの光一さんへの感覚の変化みたいなものが文章に出てるのは確かなんだろうなー、そこを変に書かないようにするから駄目なんだろうなー、っていうことも思っちゃったので、ほんっとに正直に、今まで書かなかったことも、一度書いておこう、って思います。

逆にもう、そっちのほうが良いような。
自分の中でも。
ということで、ほんっとに正直なことを正直に書いていて、いつも来てくださる方でも多分、いつもとは違う書き方に、不愉快な思いをされるんじゃないかな、と思うので、本当に、これは無いな、って思われた時点で、読むのをやめてしまってくださいね!酔っ払いが深夜に、書かなくていい、触れなくていい、というか、むしろそちらのほうが良いことを、自分の為だけに、延々、暗く書いてるだけなので!多分、ここで書いたら、次からは普通に戻るような気がします。多分。

以前から、何度か書きかけて保存してた文章の詰め合わせチックなものではあるんですけど、まさかの、ある意味、ご本人に先を越されてしまったみたいなことがあったようなので、もう今しかないな、ってことで、書いておきます。


何から書こうかな。私の中では、光一さんってそもそも、SHOCK以外の芸術、というか表現を必要とされる方なのかな?っていう疑問が、結構前からあったんですよねー。

私はもともと、表現しないと自分の中に溢れるもので破裂する、表現せずにはいられない、だから表現する、見る人とか、聞く人とか、伝えたいとか、そんなものはその後に来る、とにかく、自分は自分を、もしくは自分の感情を、吐き出さずにはいられないんです、っていうタイプの人に惹きつけられるタイプなんですよね。
だからこそ、Coccoさんや鬼束さんが好きです。あのお二人が一番分かりやすいと思うんですけど、綺麗に見えるかとか、お客さんに楽しんでもらいたいとか、そんなこと望んでらっしゃらないように見えるんですよね。
ただ、歌って吐き出さずにはいられないから、そうする。その自分をぶつける相手として、多数の人間が望ましい。それだけ、っていう感じ。
ある意味、物凄く純粋で、こういうタイプの人が「表現を必要とする人」の代表格なんじゃないかな、と私は思ってます。

で、剛さんっていうのは、私の中ではこの枠の人なんですよね。自分がこれをしたい、っていうのが明確にあって、それを表現する相手として客を必要とするタイプ。叫びたい願望はあっても、意外なほど、どうしても伝えたい願望は薄いような気がします。こちらとあちらは、精神的に断絶してるというか。うーん、目の前の客だけが対象じゃないと感じさせるものがある、といってもいいのかもしれません。自分の為でもある、っていうのを強く感じさせるものでもあるのかな。

分かりやすく書くと、まあ正直、剛さんがシャーマニッポンというくにを前面に押し出してくることを、もしくは、そういう路線にいくことを望んでたファンが存在したのか?ってことだと思います。前面に押し出されるのを受け取ったファンは沢山いても、逆はそうそうなかっただろうと思うんですよねー、アイドルさんだし、まあ、危ない橋渡ってる感はやっぱり強いし。ビジュアルの変化なんかもそうですけど、剛さんって、「あ、剛さんがやろうと思って、やりたいと思ってこうしてるんだな」って思えて、というか、そう思うしかなくて、そういう意味では(笑)凄く安心できるし、面白く見れるな、っていう感覚があります。

で、何で自分がそういうタイプの人が好きなのかなー、って考えると、見ててストレスが少ないからだと思うんですよね。「お客さんの為」タイプの人って、「あ、じゃあ貴方自身は、どうしてもやりたい、っていうわけじゃない系?」って感じちゃうんですよねー、多分。いや、いいよいいよ、自分がやりたいことやりなよ、そんな別に、どうしてもやりたい訳じゃないけど、要望があったから系なら、しないでもいいよ、って思っちゃうというか。
「この人、自発的にこれをやりたい訳じゃないんだよな」って感じちゃうともう、それだけで乗り切れなくなっちゃうというか。

普通の一般社会で過ごす、働く人なら、そういう「誰かの為」タイプって、凄く良いんだろうな、って思うんです。チームワークを大事に、与えられるものを精一杯、受身で全力を尽くす、って、むしろ一般社会、特に、周りの方を見てると、働く場では、凄く良い姿勢なんだろうな、っていうのは前から感じてて、だからこそ、光一さんの働くことへの姿勢とか、取り組み方っていうのが、普通に働いてるファンの方々に受け入れられて、支持されて、評価されるのって、そういうことなんだろうなー、って感じてました。実際、舞台っていうグループワークだと、そういうのも大事なんだろうな、って思います。

が、私自身は、芸能をやる人に、そういうものを全く求めてないんですよね。やりたいことがある、どうしても表現したい、その強烈さに突き動かされるようなものがある、っていうんじゃないなら、別にやらなくていいんじゃないの?そんな、って思ってます。

アイドルさんもだから、実は、そういう意味では、女の子達のほうが好きです。彼女達は、「アイドルをやりたい、アイドルをやる自分になりたい」っていう思いが強烈に伝わってくることが多いように思うので、そういう意味では、願望と行動がシンプルに繋がってて、応援しやすい。

で、光一さんの場合、私がファンになった頃からだと、ソロ活動だと特に、要望があったから、っていうことを聞いてたんですよねー。やることになったから全力で系。曲も書けないけど、書かなきゃいけなくなったから、とか。光一さんって、SHOCK以外だと、そんなにやりたいこと見えない方だよなー、って思ってた記憶が、なんでか強いです。

で、ソロ活動をされてる感じも、割と淡々と、そして、変化球なしで、やっぱり、「こういうことをやりたいですす」があんまり見えないよなー、って、これは今でも思います。こういうステージを作りたい、踊りたい、は分かるんですけど、これをしたい、は分からない。まあ、実際はどうか分からないんですけどね!去年のも、丁度行けなかったし!
だけど、テレビで普通に見てたり、たまに雑誌で読ませていただいたりする感じだと、本当に、こう、大きな意味での「新しいこれを!」っていうのを感じたことが無いです。

で、私は椎名林檎さんが好きで、林檎さんは割と、上に書いた剛さん達系タイプよりは光一さんに近いタイプ、職人気質タイプで、生々しさや切実さを排除した、表現らしい表現、創作らしい創作をしようとされてる方だと思うんですけど、彼女はやっぱり、常に新しさを求めてて、これをします、新しく!っていうのを明確に出してくれるところがあるんですよね。ソロからバンドを組み、アイドルに曲を提供してみたり、映画の音楽監督をしてみたり、他アーティストの曲に参加してみたり、歌舞伎に曲を提供してみたり。勿論、ジャニーズさんは制約が多いし、こんなに色々と手を伸ばしてくれ、という気持ちにはならないんですけど、光一さんの表現に対する貪欲さみたいなものを感じてみたいな、っていうのは、やっぱり思います。
表現するものへの貪欲さではなくて、表現方法への貪欲さ。
光一さんの感覚で、良いなー、って思うことも多いからこそ、そこは贅沢に望んでしまうのかもしれません。
いや、どうなんですかねー、アイドルさんっていうのは、光一さんのようなスタイルが普通なんでしょうか。与えられるものをきちんと。いやでも、本当にそうなような気もしてきました。アイドルさんってそういうものか。
でも何かこう、来る仕事を完璧にこなします、っていうのは、勿論職人さんでもありますけど、それと同時に、サラリーマンに求められることでもあって、何かこう、「そういえばジャニーズさんって確か、株式会社だよな・・・。そして、この人達、社員なんだよな・・・。あれ?株式会社ってことは、株主総会とかどうなってるんだろ、種類株式とか出してるのかな。業績大事だよね、どこも。」みたいな気持ちになってきちゃうんですよねー。普通。勿論、生きてる以上、そして、社会の中で働く以上、皆普通なんですけど、それでやっていける人達って、別に芸能の世界で生きていかなくてもよくない?他の職種でも問題なくない?みたいな感覚になります。
いや、勿論、皆さん、向いてらっしゃるからこそなんでしょうけどね!

ただ、やっぱり、芸能っていうのは、普通の中じゃどうしようもない人達の受け皿、っていう感覚が強いんだと思います。そういう意味では、剛さんも本来は、別に芸能じゃなくても良かった組みな気がしますけど。

という訳で、最初の一文がここに来ます。光一さんって、何かしたいことあるのかなー?SHOCK以外で、っていうのが、私は割と長い間疑問でした。ソロだと特に、したいことが見えなくて。勿論、歌いたい、踊りたい、はおありになるんでしょうけど、自発的に、というか、光一さん発案で突然コンサートやります、みたいなニュアンスも、光一さんからは感じたことがなくて。いや、実はそうなのかもしれませんけどね!

決まったら全力で楽しまれるんでしょうし、きちっとやられるんでしょうけど、じゃあ自発的にソロ活動としてこれがしたいです、というものがおありになるのかなー、っていうのが。別にくにをつくりたいです、まで飛ぶ必要は全く無いと思うんですけど(笑)、なんかこう、ソロでこれをしてみたい、っていうのが。
多作じゃない、っていうのもずっとおっしゃってますけど、ソロデビュー後の曲数とかも、コンサート数も、やっぱり少ないんじゃないかなー、っていうのも気になります。光一さんの場合は、SHOCKがある、っていうのが全ての根底にあるんでしょうけど、それにしても、っていう。光一さんご自身が本当に望まれるなら、もう少しスパン短く出来るんじゃ、っていうなー。海外、っていうのも、どれくらい本気で望まれてるんだろうなー。

というわけで、そういう意味でも、私はキンキさんの活動のほうが、まだストレスなく見れるところがあるんですよねー、光一さんに関しては。やりたいことあるのないの問題(笑)は変わらずあるんですけど、1/1よりはやっぱり1/2のほうが良いです、私は。

そしてもう一つ、これ本当、SHOCKからなんですけど、ナルシシズム問題がですね・・・!(笑)
ここで言うナルシシズムは、うぬぼれや耽美とかそれ系ではなく、単純に、自己愛、自己陶酔くらいの意味です。

SHOCKは私にとっては、なんというか、当たり前なんですけど、「そうか・・・!光一さんもガッツリナルシスト、しかも、こういう方向のナルシストだったんですね・・・!」っていう衝撃があったんですよねー、実は。

私、芸能人に限らず、自分も含めて、人間は皆、ナルシストだし、その出方が一人一人違うだけだろ、って思ってますし、アイドルさんなんか特に、ナルシストであれ、くらいに思ってるんですけど、光一さんって、「恥ずかしい」みたいな感覚が割と強い方だから、ちょっと予期せぬ方向性だったんですよねー。こういう舞台の作り方か!みたいな。

あー、この路線だったか!っていう。あと、肉体を酷使することで満足する、達成感や充実感を得るっていう感覚って絶対あると思うし、自分自身のことを考えても凄く分かるんですけど、それも、強く感じたんですよねー。そこは本当に、あまり予期してなかったので、そこで「そうかー。」って思ったのは、凄くあります。なんというか、光一さんがダンスがお好きなのを忘れてた!って感じました。全体的に、ダンスが好きな人らしいナルシストさで、私はSHOCKを見て初めて、「そういうことか、なるほど、山田さんが光一さん好きになるのも分かる、似てる!」って納得しました。そして、ここからが本当に個人的な感情過ぎるんですけど、そして、おこがましすぎるんですけど、こう、私もどちらかといったらこっちのタイプのナルシストなんだろうと思うので、「あああ、分かる!おしゃれとかには全然行かないけど、こういう感じの路線には行くんですよね!分かる!でも、分かるからこその!居心地の悪さが!」みたいなものがあります(笑)
なーんだろうな、テレビなんかで見る光一さんの歌+ダンスでもうっすら感じてたのが、より!強烈に!っていう。そして、最近のソロも結局、この系統だからなんだろうな、って今書きながら思いました。嫌い、とか苦手、っていうより、「うわあ、自分の感覚を見せられてるような!」っていう(笑)
ダンスしたり格闘技したり筋トレしたり、その全部をしたりするタイプは、光一さん路線ナルシストなんですよねー、多分。頑張る+美しさ重視、っていうのが基本で、自分の動きとか鏡で何度も見て更に良く、自分好みの動きが出来るようにする、そういう自分になる、っていうな!(笑)文章にすると、本当、ナルシストでしかない!(笑)

そういう意味でもやっぱり、キンキさんのときの光一さんのほうが、私は見やすいです。
キンキさんのときの光一さんには、そういう感じの色がほとんど無いので、単純に、光一さんの美しさを安心して見れるというか。
光一さんの意識自体が、強烈に1/2なんだろうなー、って感じます。キンキさんでの光一さんを見てると。光一さんご自身がやっぱり、相手がいる分、どこか冷静なような。
だからこそ、やっぱり動きとか意識も変わって、ソロとキンキ別だったりするんだろうなー。そして、私は多分、「少数派ソロよりキンキのときのダンス好き」なのかもしれません。Deep〜はそういう意味では、やっぱり例外なのかな、いや、妖くらいまではやっぱり、ちょっと違う感覚だったような。やっぱりSHOCKかなー。
いやー、剛さんも、キンキさんの剛さん、っていうのときのほうが安心して見れる感じがありますけど、光一さんもそうなるとは、って、最近は、勉強の合間にチラッとKコンのDVDを見て思ってます。まあ、自分一人が中心、主役のときと、主役がもう一人いるときでは、自分の出し方も何もかも、そりゃあ変わりますよね、お二人とも!

ちなみに、剛さんのナルシシズムの出方っていうのは、自分には全く理解できない路線すぎて、逆に普通に見れてるような気がします。
なんかこう、ある意味、剛さんは、それが芸の域まで来てるような。自己愛っていうのは、剛さんソロとは切っても切れないものですもんねー。

光一さんはSHOCKは確実に自己表現手段の一つなんだと思ってて、それ自体は、感じれて良かったな、って思ってるんですけど、SHOCK自体に、光一さんはどれくらい執着されてるんですかねー。数年前までだと、SHOCKですら、割と淡々と、受身な感じで捉えてらっしゃるんだな、って感じた覚えがあるんですけど。

うーん、やりたいことがソロにしろキンキにしろ、無いなら無いで仕方ないよなー、って思いはするんですけど、じゃあ剛さんどうするんだ、って感じだよなあ、って私は割と思ってます。こうなると、やっぱり一番困るのは剛さんなような。そりゃ、夫が舞台やってる間に、とか言い出すよなー、それくらいしか考えようないし、やりようないよな、みたいな。愛は求めるものじゃなくて捧げるものだとか言い出すよな、みたいな。

確か、書いたこと無かったと思うんですけど、剛さんのこの感覚には、やっぱり光一さんの存在もうっすらあるんじゃないかなー、って、実はこれも前々から思ってました(笑)
あまりにもあまりだな、と思って、書かなかったんですけど。
まあ、これは、私自身が、受身なタイプや、言葉を使うのが苦手です、っていう人が苦手だからかもしれません。言葉を使うのなんて、皆、下手だし苦手意識あるんじゃないの?後で反省したり、後悔したりっていうリスクを負いながら、それでも自分の言葉で伝えようとする姿勢を誠意と呼ぶんじゃないの?っていう感覚がずっとあるんですよねー。必死過ぎるし、真剣に向き合え感が強すぎるし、怖いだろうから、普段、外にはこういう感覚は出来るだけ出さないようにしてるんですけど。
言葉にしなければ失敗するリスクも、後で問い詰められるリスクも減るけど、言葉にしようとしないのはやっぱりずるいな、って思わされる人が、周りに何人かいたので。
不言実行とかなー、あれ、ただ単に、自分が楽なだけなんじゃ、って思っちゃうもんなー。

言葉は重いけど、その重さに怯まずに使い続けないと、相手に負担がかかるだけなんじゃないの、って思ってます。ずっと。言葉を使ってくれない人、聞き役だけの人って、「あ、自分を伝えよう、自分の考えてることを伝えようとしてくれないんだな。自分のことを分からせてあげよう、それで話しやすくさせてあげよう、っていう気持ちがないんだな。」って思ってしまうんです。
察してタイプの男性も本当に、身近に居る人にはもれなく、「ごめん、私そんなに優しさ持ってないんだよね。言い辛かろうが何だろうが、伝えたいならその口動かせ、甘えんな」って感じちゃいます。

まあ、少数派なんだと思うんですけどね、こういう感覚のほうが!特に、察しあう国、日本では!(笑)
多分、自分自身が、学校に行けなかった頃、自分で自分を守るために、必死で自己弁護のために言葉を使いまくってたからなんだと思います。言葉を使わなくて良い、っていうことがまずもう、感覚的に分からないところがあるんですね、多分。察してもらいたい、察してくれるはず、みたいな期待がまずもう、分からない。

でも、剛さんも、びっくりするくらい言葉を使いたがる方なので、やっぱり同じくらい、言葉を求めるところも無意識にあるんじゃないかなー、って思います。分からないですけど、自分が使う人って言うのは、相手にも言葉を使ってほしいんじゃないかなー。自分がそうだから、剛さんもそうなような気がしちゃうだけなんですけど。

まあでも、そんなことを言いながら、キンキさんは、私が初めて、「こういう関係性も成り立つし、これはこれで面白くも可哀そうでもあるなー」って思った方々なんですよね。光一さんも色々あって言葉に頼らないようになられたのかな、とも思いますし、言葉が役に立たないことなんていくらでもあるし、言葉使えばそれでいい、って訳でもないし、言葉を重く、大事に捉えるからこそだ、っていう考え方も分かりますし。ただ、以前、キンキさんは求めるものがかみ合わないように見える的なことを書いた気がしますけど、それの最たるものがここな気がします。

あれだけ、どこか必死に言葉を使おうとする人が、言葉を求めないはずがないんじゃないか。あれだけ、言葉を使おうとしない人が、言葉にそこまでの意味を見出してるのか。うん、私がキンキさんに興味があるのは、ここもあるんだろうなー。私の中での大きなテーマなんですよねー、言葉っていうのは。だからこそ、興味深いんだと思います。お二人それぞれの姿勢も、関わり方も。ただまあ、ここに関しては自分がどちらかというと剛さん的感覚が強いから、剛さん辛いっすね的感覚も強くなっちゃってるんですけど。どうしようもないもんなー。

そして実際、SHOCKは今と同じ感じでやっていくなら、一生出来る演目ではないんだろうけど、光一さんはSHOCK後にやりたいことがおありになるのかなー。今までの感じだと全然分からないんですよねー。実は暖めてることがあったりするのかもしれないですけど(笑)

うん、今までで一番長く光一さんのことを書いたような気がします。
ずっとひっかかってたことはこれで全部、いや、後輩からすると、先輩はどうしたって友達にはならないと思います、光一さん・・・!で全部だと思うので(笑)、何だか逆にホッとしました。何か。

で、こうやって全部書いて吐き出すと、普通に、まあそれでも光一さんのこと大好きなんだけどな!誰にどう言われようと!って思うので、何となく不思議です。
前回、チラッとソロのことを書いたときも、書いちゃうと、自分の気持ちの中で溜めてたときよりもずっと、なんというか、冷静に、合わないとこは合わない、良いと思うのは良い、っていうのがはっきりして、逆にストンとして普通に見れるようになった部分があったんですけど、こうやって色々、ずっと気になってたことを書くと、逆に色々くっきりして、あ、やっぱり、ここは気になるけど、光一さんのこと好きなんだな、って思えます。
ため込んでるほうが、どこが好きなんだか何なんだか分からなくなってくるんだろうなー。そして、第一、ここまで色々気になって書ける、っていうのは、好きだからなんだなー、って自分の中で確認出来て、なんだかこう、安心しました(笑)

私だけが納得してる感じなんですけど、書けて良かったです。もう読み直しもしないであげてしまおうと思います。
明日になったら消すかもしれないですけど!