つらつらと

そろそろ、桜が全て散ってしまいそうです。
今日、明日の雨風で終わりかなあ。名残惜しいですが、短い盛りだからこそ、より愛おしい記憶になるのかな、と思います。
今年は、桜って、自分が思ってるよりも香りがきちんとある花なんだな、って感じた年になりました。満開の桜が咲く静かな夜は、意外とちゃんと、桜の香りが分かって、驚きました。来年は、幸せに桜を見ることが出来ますように。

今日は、剛さんのことを色々と書きたいと思います。
最近、去年のライブの剛さんの歌声をふと思い出したり、剛さんのソロ曲を聴いたりすることが多かったんですが、あの人は、魂を溶かし込むようにして歌う人だよなー、って思います。魂を削って歌う、というよりは、自分の魂を歌声に溶かし込んで歌うことができる、という感じに聞こえる。魂、とか、大げさに響いてしまって、本当はあんまり使いたくない言葉なんですけど、それでも使いたくなるくらい、剛さんの本質そのものが溶かし込まれた歌声であるように感じることが多いです。だからこそ、私は剛さんの歌声が好きなんだろうなあ。

剛さんに対しては、そんな印象を持ってるので、カバーアルバム自体は、凄く楽しみにしてるんですが、それをどうしても生で聴きたいか、って言われると、生にそこまで拘らないでいられる感じです。剛さんみたいなタイプの人は、自作曲だったら、何が何でも、「今」聞いとかないと!って思いますが、カバーアルバムなら、まあ、逃しちゃっても仕方ないかな、って思えます。

剛さんは、根はそんなに変わらないにしても、その時その時で歌いたいことの表現の仕方が変わっていかれるタイプに見えますし、基本的に、以前発表した歌を繰り返し歌う、というのは、限られた歌しかされてないと思うので、「今を逃すわけには・・・!」っていう、焦燥感みたいなものが生まれるんですよね(笑)
恐らく、切実さが変わってくる。今と、今以外では、同じ歌でも何かが変わる、っていう印象が強い。自分の中で「今」、溢れているものを表現するからこその生々しさ、切実さこそが、剛さんの歌の大きな魅力の一つでもあるように思うので、発表されたときに、生で聞いておきたい、と思います。去年のライブに行ってからは余計に。

なので、それとはまた違った魅力があるだろうカバーアルバムについては、そんなに、どうしても生で聴きたい、っていう思いはありません。あくまで、今のところは、ですけど(笑)

もともと私は、イベント事やライブに参加したい、限定品が欲しい、っていう思いが薄いほうだ、っていうのもあるんだと思います。何でだろうなー、私も見たい、私も欲しい、っていう感情が薄いんですよね。「限定イベントあるんだー、そっかあ、皆さん、楽しんでくださいね!」とは思うけど、自分が行けなくても、特に気にならないことのほうが多いです。なので、舞台と、剛さんの歌は、かなりの特別枠です(笑)
それでも、行けないならあっさり諦められる、というか、そんなに残念ではないんですけど、よくよく考えたら、あまりにも無理だからな気がしてきました。こうやって書いてたら。頑張れば行ける、っていうくらい、時間なり予定の空きなりがあったら、心揺れるのかもしれないなあ。今は、自分の中で物事の優先順位がはっきりしてるからこそ、特に残念ではないのかもしれません。

それにしても、感謝してる人を一人連れてこい、っていうのはまた、剛さんらしい難しさですよね(笑)
いや、普通はそんなに難しくないのかな、どうなんだろう。
私だったら、もし応募するとしたら、どうしたかなあ。感謝、かー。心から感謝出来て、しかも、その気持ちを重くなく伝えられる人って誰だろう。思いつけない。

恋人や奥さん、旦那さん、が一般的なのかなあ、やっぱり。

軽く言えるような感謝の場合は、その場に連れて行くのに、相手が気後れしないでいてくれることは少ないような気がします。「友達」としか言えない関係だと、重すぎるし、下手したら引いちゃうんじゃないかなー。誘うほう、誘われるほう、どちらも、よっぽど素直で、ピュアで、綺麗な人達じゃないと。

そして、私の頭に浮かんだ子だと、お互いに重すぎる気がします。恐らく、一番大切に想ってるし、親しくしてきてる人なんですけど、それでも、というか、だからこそ、感謝という言葉は重すぎるし、意味合いが変わってきてしまう。多分。何ですかね、普段使う意味、そして、恐らくここで用いられてる意味での感謝っていうのは、ある意味、お手軽すぎるように感じてしまう気がします。私達の間で感謝と言うなら、それは相当重い、慎重に扱わないといけない言葉になってしまう。少なくとも、こういう使い方をする言葉じゃなくなってしまうと思います。神経質すぎるのかもしれないですけど。普段、割と乾いてるところがお互いにあるから、きっと、感謝という言葉を使うときは本当に、重たくなる。そして、そういう重い使い方をしないと、恐ろしく薄っぺらで、嘘くさい、虚しいものになってしまう。

恋人、夫婦、友達、それ以外なら、やっぱり家族なのかなー。実際、家族に心から感謝出来る幸運な人って、どれくらい居るものなんだろう。申し訳ないけど、私は無理です。それを口に出すような残酷なことは一生、しないつもりでいますが、尊敬、感謝、という気持ちを心の底から持つことは、きっと出来ない。
義務に似た思いで、恩を感じたり、情を感じたりすることは勿論ありますし、何かしてもらったら、ちゃんと心から、お礼の言葉を口にしてはいるんですが、それと感謝や尊敬、という想いは、私にとっては、全くの別物なんですよね。人でなしで申し訳ないけど。

皆さん、どうされるんだろうなー。知り合いの、仲が良いファンの方同士で応募する、っていうのが一番ありそうなパターンだな、って思うんですが、どうなるんだろう。そして、剛さんはどんなパターンを望まれてるんだろう。

本気で感謝出来る、特別な人かあ。周りの人で、応募できそうな人を咄嗟に思いつけないあたり、私は多分、剛さんの感性とは根本的に合わないタイプなんだろうな、って、今回だけでなく、よく思うんですよね、実は(笑)

そして、光一さんに対しては、そういう感覚を覚えたことがありません。大体、あ、分かる分かる、ってすんなり思ってますし、共感してる気がします。だからこそ、光一さんに対しては、興味は特には持たないんですよね。引っかかりや、疑問が無いからこそ、さらっと流しちゃうことが多いというか。たまーに、こんな事を言ってしまうのはおこがましすぎるんですが、これは同族嫌悪なんだろうか、っていう感覚があるくらいです。

それに対して、剛さんって私にとっては、違和感の塊なんですよねー。共感することもあるし、そういう場合は、ほんっとうに深く共感することが多いんですけど、基本的には、違和感の塊です。それなのに、剛さんの歌は物凄く好きで、引きずり込まれますし、剛さんのことも凄く好きだし、応援していてストレスを感じたことがほぼ無いので、我ながら不思議です。光一さんに対して、というか、光一さんのお仕事内容や、ご自分の使い方に関しては、ストレス、って言ったら大げさなんですが、うーん、って感じることがあるので、そこら辺も不思議です。ある意味、バランスがとれてるのかもしれないんですけど(笑)

気が付けば、もうあと一週間で、初SHOCK観劇です。私は、舞台というものに対する思い入れが、他の物より圧倒的に大きい、っていうことを自覚してるので、そういう意味で、結構怖いです、今。何を感じるんだろうなー。まあ、とりあえず、光一さんが実在の人物だってことをしっかり感じられたらそれで一つ、目標クリアかな、とも思うんですけどね!(笑)
そうか、光一さんを見ることになるのか・・・、寿命が縮んでしまいそうです(笑)

剛さんのカバーアルバムもそうですが、今の時期はひたすら、「期待しすぎない、期待しすぎない、ニュートラルな気持ちで!まるで初めて、光一さんや剛さんの活動に触れるような新鮮な気持ちで!」って自分に言い聞かせてます。自分のめんどくささが全開になるのが、まさにこういう所だな、って、物凄く感じます(笑)
なんだろう、この「無駄」としか言いようがない感じの自分とのやりとり。それだけ好き、ってことなんだろうなあ。

こんな風に思い入れが強くなるので、本当に好きで追う人達、って、キンキさんがラストな気がします。他の人のことをよく知ったり、好きになったりするだけのガッツと気力と時間が無い。もともと、そんなに、他人に興味を持てないタイプみたいなので、キンキさんと藤原竜也さん、好きな歌手さん数人、くらいでもう手一杯、十分なんですよね。人で追うのは、後は、蜷川幸雄さんくらいなんじゃないかな(笑)

今日も、着地点も決めないままに、つらつらと書いちゃいました。
文章を書くと、落ち着いて良いです。

そういえば、私は筋肉がつきにくいタイプなこともあって、武道をやってるようには全然見えない、ってよく言われます。雰囲気的にも、いかにも大人しそうに見えるみたいで。なので、きっと、アイドルであるキンキさんのことが、こんなに色々と考えるくらい好きだ、って言ったら、また驚かれるんだろうな、ってたまに思います(笑)
一応、ここには、知り合いに読まれても困らないようなことしか書いてないつもりなんですけどねー。他人のことを書くときは特に、私のことは分かっても、それでもその人には辿りつけないように気を付けて、変えるところは変えて書いてるつもりではいます。

さて、明日もバイトで、明後日からは授業と体験入部が始まります。明日は、何か本を一冊でも読めたら良いなあ。しっかり休もうと思います!