カバー話

今日は結局12時から4時半までしか寝れなかったので、今結構眠いんですけど、でも今日までは起きていたいな、って感じなので、これだけ書いて寝ます。

昨日は、もうひたすら剛さんとキンキさんの曲を聞いてました。
最終的には何も聞かなかったんですけど、気を紛らわせたいときは剛さんの声に持って行ってもらいました。『空』をリピートして、『Family』聞いて、『いのちの最後のひとしずく』聞いて、それから、Coccoさんの『ジュゴンの見える丘』を聞いて。

悲しみはいらない、と歌ってくれる歌だけど、今からはこの悲しさを抱えていかないといけない。いらない、とは言えない悲しさを知った日でした。今日はそういう日になるんだな、って受け入れた曲になった。

カバーの話に入ります。剛さんの、カバーはしたくなかった理由がもう、凄い言いたいこと分かって、やっぱり剛さんは良いな、って思いました。なんていうか、剛さんの根本的な、物事に対する、あるいは人に対する、人が作ったものに対する感覚って正しいな、って思う。私の感覚的に正しい、って感じるとこに近いんですよね。

剛さんの声自体が好きな私としては、どんな曲でも嬉しいんですけど、やっぱり気になるのが選曲ですよね!!

やっぱり眠いので、剛さんだけでなく光一さんにカバーしてもらいたいな、って暖めてた曲達のことも書いてみたいと思います。

私の趣味的に、女性の歌が多いです。なんでかなー、やっぱり日本人は男性に女性をやらせるのが好きなのかな、歌舞伎もそうだし、とかちょっと大きな流れのせいみたいなこと書いちゃいますけど(笑)

なんですかね、宝塚もそうだけど、やっぱりどっちも持つこと、両極端のものが一つの存在になることに魅力があるのかなー。私、光一さんに対してはあんまりそういう魅力を感じないんですけど、多分、光一さんの見た目がお綺麗すぎるからだと思うんですよね。そういう意味での醍醐味みたいなものが無いというか、あまり、メリハリとインパクトが無いんですねー、光一さんに女性的なことされても。歌でも仕草でも何でも。
そんなに、ハッとさせられるほどのインパクトが無い。やっぱり、アンバランスさって大事なんだろうなー。同じ理由で、女顔系のジャニーズさんはやっぱり、そのままが一番魅力的だな、って感じます。その綺麗さに余計な手を加えちゃったほうが、何か勿体無い!って思っちゃう。

って、深夜だからって自分の趣味をさらけ出しちゃいました。
明日からまた、楽しく書いていきたいと思います!

そして、明日多分、また書くけど、光一さん、今日からですね。
どうか、お怪我の無いようにお気をつけて、頑張ってください!
私も、今年こそは!博多座に行きたいです!!

おやすみなさい!