ROSSO E AZZURRO

原点回帰って大事ですよね、ってことで、まずはこれから書こうと思います。

情熱と静寂、ってことで「赤と青」(で良いんですかね?発売時のことをほとんど知らないので、自信が無いんですけど)。

剛さんの中で、色、特に赤っていう色はずっとキーワードであり続けてますよね。
血の色であり、生命の色だから、剛さんが惹かれるのも分かる気はします。
剛さん自身がエネルギーがあって、生命力もある方だから、赤っていう色に負けないんだろうな、とも思う。

それから、剛さんって言えば紫で、これも剛さんらしいなあ、って思います。赤い色、情熱だけじゃなく、静寂も取りこぼさない。激しい一方で沈み込む、みたいな両極端さがある剛さんには、赤と青を混ぜた紫がよく似合うな、って思います。

そして、この二色、赤と青がキンキさんお二人それぞれのイメージカラーだ、っていうのもまた面白いですよね。剛さんは赤と青、そして紫っていうこのラインと縁があるんだろうなあ。ちょっと言葉はアレですけど、因縁深い、って言っても良いのかもしれない。

初めてこのアルバムを聞いたときのことはよく覚えてます。私、一度に最後までは聞けなかったんですよね、このアルバム。それは別に、切実過ぎて可哀そうで、みたいな感覚じゃなくて、なんというか、恥ずかしい、っていう感覚に近かった気がします。あまりに丸ごとさらけ出されてて、直球過ぎて、「いや、ちょっと待って、待って」みたいな感覚になったんですよね。ある意味、無防備に来られすぎて、ちょっと受け止めきれなかった。

とにかくこの人はピュアすぎる!って思いました。精神的に潔癖すぎるし、汚れることを受け入れなさすぎてることに唖然とした、って言ってもいいくらい。確か、18歳にもなってなかった私がすれすぎてたのもあるとは思うんですけど、とにかく、23歳かな、くらいの剛さんが取り繕ってなさすぎることに面食らった覚えがあります。私の剛さんに対する、「この人大丈夫?」って感覚は、ここから始まってる気がするくらいです(笑)

今、20歳でこのアルバムの歌詞を読んでも、やっぱり、23歳でこれを出した剛さんは恐ろしいくらい真っ直ぐだな、って思います。私からしたらもはや「ありえない」って感じるレベルです。

そして、歌声がまた生々しいんですよね。ダイレクトに、気持ちのほうが先に伝わってくる感じがある。上手さよりも、声よりも、何よりも先に気持ちが来る感じ。

どういう環境にいて、どう生活したらこんな風に真っ直ぐ育ってこれるんだ、って思うくらい、色々なものに折り合いをつけない潔癖さがある。これは剛さんが芸能界ってところに小さい頃からいたこと、周りの人、剛さん自身の性質や経験、沢山のことから成り立つ奇跡みたいなことだな、って思いました。そして、剛さんの凄いところは、未だにそのある種の潔癖さが色濃く残ってるとこですよね。これは本当に凄いと思うし、剛さんが芸能界っていうところで生き続けてるからこそ成り立つことじゃないかな、ともぼんやり思ってます。

全体的に見て、自分を、自分を含めた沢山の人を鼓舞して、怒って、その中で希望のある未来を見ようとしてる歌詞だな、って思います。それから、嘘や愛情、っていうのがこの時すでにテーマになってるのも興味深い。

あと、やっぱり、濃いですよね。一曲一曲の世界観、言葉の選び方、重ね方、どれも濃い。剛さんは言葉を重ねたがるとこがある人だよなあ、って私はずっと思ってるんですけど、それは、それだけ想いをちゃんと伝えたい、ってことや、溢れ出てくるものが多い、気持ちが強い、ってこともあるんでしょうけど、不安だから、っていうのもあるんじゃないかな、って思います。伝わるか不安だから、何度も重ねる。

そういう、激しさと不安定さが同居してるアルバムだと思います。

あ、それと、興味深い、というかこれは唯の私の趣味なんですけど(笑)、女性詞が良い。自分を委ねるのはあなた「だけ」で、あなたには心を尽くすし、命を差し出すことすら怖くない。あなた以外は、社会も何もかもが敵、絶対負けない。みたいな、あなたに対しては情が深い面、敵に対しては気が強くて激しい面、どちらも全力なんですよね。そして、総じて、相手の「あなた」は、多分、女性ほど気持ちや思い入れが強くないんじゃないかな、って感じます。相手の男性の、女性に対する気持ちを読み取れる部分が本当に少なくて、女性のほうの一方通行っぽい。そういう意味で、剛さんっぽいよなあ、って感じます。

それから、このアルバムの特徴だな、って思うのは、剛さんがちゃんと愛情を求めてるとこです。愛情を切実に求めてることを、直球で歌ってる。
「僕から 生まれる いくつもの僕を 何よりも 誰よりも
好きと言ってほしい 何も飾らずに 愛して あなたで 愛して」
って、これほど切実な歌詞もそうそう無い気がします。初めて聞いたときは、ここまで全身で求めて、与えられなかったらこの人どうなっちゃうんだろう、って思いました。
予防線を張らなさすぎてる感じ、自分の想いに必死過ぎて、愛されないで傷つくことを想定することを忘れちゃってる感じがして、それほど求めてることにグッと来たのを覚えてます。

自分の全てを、素のあなたで愛してほしい、ってある意味究極ですよね。
こういうことをあんな声で歌って、愛されることを求めてた剛さんが、「愛は求めちゃいけない、捧げるものだから」っておっしゃるんだもんなあ。これは本当に、大人になった、とかそういうことじゃない気がします。満たされたから、っていうなら、愛を求めちゃいけない、ってとこには辿り着かないような気がするし。
だからこそ、やりきれないというか、切ないなあ、って私みたいなのは思っちゃいます。どうなんだろうなあ、剛さんの愛は難しいなあ!(笑)

2002年、ってことは11年前になるんですかね、その時に剛さんがソロを始めてくださって良かったなあ、って思います。剛さんの場合は特に、その年齢だからこそ、その瞬間、その時の歌声だからこそ、より濃い色を持って、深く輝く、っていう作品や歌詞が多いと思うので、20代前半からやってくださって、作品にしてくださって良かった。

そして、剛さんの作品に出会えたタイミングが今で良かったなあ、とも思います。これは光一さんにも言えることなんですけど、多分、お二人が今の年齢で、今のお二人を知ってる時点から遡る形じゃなかったら、ここまで好きになってないんじゃないかなー、って思うんです。私はもともと、20代前半の芸能人にほとんど興味を持てないので(って言っても、それ以上の方でもそんなに興味を持てないことのほうが多いんですが)、同世代のアイドルさん達も「頑張れー!」って感じなんですね。

なので、多分、同世代だったら、キンキさんとは縁が無かっただろうな、って思います。私が好きで、「応援してます」って言える芸能人の方はほぼ全員、自分より10歳以上年上なので、その点でも良かったです。年齢は自分の意志でどうこう出来るものじゃないから、運が良かった。

そういえば、ロッソ関係で思うのは、今の剛さんに溺愛ロジックを歌ってみてほしいな、ってことです。悪趣味かもしれませんけど(笑)

30歳を超えた男性がああいう歌を歌う、っていうのはもう、若いうちに自分で作った人にしか許されないことだと思うので、ちょっとやってみてほしいです。物凄く色っぽくなるのか、物凄くおしゃれになるのか、それとも剛さんらしく予想外な感じになるのか。気になります。

ということで、とりとめのない話になってしまいましたが、ずっと思ってたことを書けて満足したので(笑)、上げちゃいます。