三つ子の魂百まで

やっと、メール関係のことがきちんと出来た(はず)なので、14日、15日にコメントいただいたお二方にメールさせていただきました!
もし、届かないようでしたら、ご連絡いただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。

それから、昨日の記事に、お星様ありがとうございました!緑色のお星様まで!
ありがとうございます。

タイトルの「三つ子の魂百まで」っていうのは、今日、両親と話をしててしみじみと感じたことです。三つ子どころか、私が0歳の頃の話をしてくれたんですけど、私は、四六時中唸ってる子供だったらしいんですね。「そんな子供怖い!(笑)え、赤ちゃんってそんなものなの?」って聞いたんですけど、私以外の子供をよく知らないから、分からない、って言われました(笑)

四六時中唸ってる子供・・・。暗い・・・・。私が知ってる限り、子供ってそんなに唸ってない気がするんですけど、どうなんですかね?
まだ言葉を話せないから唸ってたんでしょうけど、一体何に対してそんなに唸ってたんだろうなあ。何が嫌だったんだろう。

それから、とにかく泣き方が激しかったらしくて、もう命がけ全力!!って感じで泣いてたそうです。しかも、物凄くしつこく!(笑)

父に言わせれば、「ここで全身全霊で泣ききったら死んでもいい!!!」みたいな、全てをかけた物凄い泣き叫びかただったらしくて、話を聞いてて、そこまでいくとちょっと引くなあ・・・、って我ながら思いました。疲れて声が途切れたのかな?って思ったら、ただ息継ぎしてただけで、息継ぎ後に、また物凄い大声で泣き叫びだす、みたいなしつこさだったらしくて、その執念深さがもう怖いです(笑)

でも、何かこう、今の自分に通じる部分がある気がして、やっぱり生まれつきの性格ってあるんだろうなあ、っていう諦めみたいなものを感じました。

今も気持ち的にも、割と唸ってるし、物凄くしつこいし、恐ろしいくらい執念深いし、私、今泣き叫ぶ!みたいな気持ちになったら全力で(精神的に)泣き叫ぶし・・・、ってこうやって書き連ねると本当に自分に対して引いちゃうので、もうやめます(笑)

この流れで書くのもアレなんですけど、剛さんの「街」を久しぶりに聞いて、やっぱり剛さんって根っこは全然変わってないな、って本当に思いました。剛さん独特の優しさの質みたいなものとか、戦うって意識とか、愛情と時代の関係性を気にしてるとことか。びっくりするくらい変わってないというか、ぶれてない。

街、というかロッソについては長くなりそうなので、また明日にでも書きます!でも、堂本兄弟の感想も書きたいんだよなあ・・・。うーん、気分で考えます!しばらくは時間があるので!

でも、これだけ今日書いておこう。剛さんって、基本的に告訴者だよなあ、って思います、最近。告発者じゃない。

物凄く簡単にまとめちゃうと、告訴は被害者や被害者関係者が訴える、告発は誰がしてもいい、っていう違いがある、って言っていいと思うんですけど、剛さんは常に告訴者だと思う。基本的に。

自分が強烈に中心にいて、自分自身が(愛情が欠けてることや、傷つけあうことばかりあることに心を痛めつけられる、という意味も含めて)被害者で、あるいは被害者の関係者で、だからこそ、強い意志を持って、自分自身で訴えてるし、批難してるし、どうにかしたい、って話してる、っていう感覚がある。

誰かの代理で話したり、訴えたり、責めたりしてるんじゃない。だからこそ、強いし、生々しくなる。独特の力を持つ、って感じがします。

当事者意識があるというか。そして、変えないといけない、っていう意識も強い気がする。諦めないというか、妥協しないというか。

やっぱり、「被害者」と「その問題に関心を持ってる人」、あるいは「問題に対して、ただ意見する人」「その問題に直面したときだけ考える人」ってもう、圧倒的に被害者のほうが気持ちの入れようも、焦燥感も、糾弾する思いの強さも大きいんだと思う。剛さんはそういう意味で、やっぱりどこか被害者っぽい色があって、だからこそあんなに責めてるし、訴えてるんじゃないかなー、って感じます。

被害者意識があるように見える、とかっていう訳でも無いんですけどねー。時代が、愛が、人の力が、って大きすぎることを歌ってるのに、それがぼんやりしてこない、むしろ、物凄く濃くなるのは、やっぱり剛さんがただの傍観者でなく、当事者だから、それも、被害者側だからなんじゃないかなー、と思います。他人ごととして嘆いてるんじゃなく、当事者として怒ってるみたいな感じがする。

そして、そこが剛さんの魅力の一つなんだろうな、って思います。shamanipponでは、人の力を取り戻そう、的な(ざっくり言いすぎてすみません!)ことがコンセプトだったけど、あれも「取り戻したほうが良いから取り戻そうよ☆彡」っていうノリじゃなくて、根っこにはやっぱり怒りみたいなものがあるよなあ、って感じました。現状に対する怒り、というか憤りかな。それを昇華しての穏やかさや美しさ、優しさを含んだ音楽だった気がします。だからこそ剛さんの曲は良いんだよなあ、って思う。ちゃんと自分のこととして憤ったうえでの物であるように聞こえるものが多いから。

私は、他人のために、っていうエンターテイメントより、自分の内から込み上げてくるものを基にしてる作品のほうが好きなんですよねー、多分。

そういう意味でも、やっぱり、自分の内から込み上げてくるものを吐き出し続けて、唸ったり泣き叫んだりしてた「三つ子の魂百まで」なのかなー、ってちょっと思います(笑)