ハルカナウタ

最近、何故か改めて気になって、よく聞いています。
お二人とも、まず、声が若いですよね。当たり前ですけど!(笑)
私は、Jアルバムを沢山聞いてきてるので、結構新鮮な気持ちになります。


この曲、歌詞が凄く好きです。面白い。
この歌詞は剛さんっぽいな、って感じるパートを剛さんが歌ってらっしゃるのがまた、聞いていてグッときます。

特に、「手をつなぐよりも先に誓いを立てなくちゃ」は剛さん!って感じます。何でだろうなー。剛さんは、なんだかんだ疑わずにはいられない、というか、他人でもなんでも、何かを信じることが難しいタイプの人に思えるからなのかな。

手をつなぐよりも先に、誓いを立てなきゃいけない。逆に言えば、誓いを立てられるような人でないと、手をつなぐことはできない。それくらい、手をつなぐっていうことへのハードルが高いんだな、って感じる歌詞です。

それから、「もっと強くなって もっと確かめなくちゃ もっと弱さや 愛や 真実 知らなくちゃ」も剛さんっぽい。

この、「もっと」を重ねる感じとか、確かめないといけない、知らないといけない、って言葉たちは、どちらも、疑っているからこそ出てきてるように思います。ちょっと強迫観念っぽいというか。

確かめる、ってことは、多分、ある程度の答えは出てるんですよね。それでも、その答えが正しいかどうか、もっと強くなって、もっと確かめずにはいられない。そして、もっと弱さだとか、愛だとか、真実だとかの、答えなんてないものについて、答えはなくても、知ろうとせずにはいられない。

剛さんは愛と同じように、嘘もテーマになってる気がします、って確か以前もチラッと書いたと思うんですけど、そこが、私は好きです。愛だけじゃなくて、それの裏返しの嘘だとか、疑いだとかが透けて見える。だからこそ、剛さんのおっしゃる愛っていうものには、独特の切実さと重たさがあるように感じます。

そんな剛さんが、愛を求めてどこにたどり着かれるんだろうな、っていうのを見たくて剛さんを応援してる、ってところも結構あるんですけど、剛さんは本当に予想がつかない方向に行かれるので、それがとても面白いです。

最近、特にそうか、ここなのか、って思ったのは「きみがいま」です。ぼくはきみのことを「信じてあげる」し、ぼくのことを「信じている」。そして、ぼくらは「信じてきた」。最後には「ぜんぶすべて信じていい」って言う。だけど、きみとぼくが登場してるはずなのに、『ぼく』のことを『きみ』が信じることについては、何も言及がないんですよね。一方通行。これは、ある意味、『ぼく』の『きみ』に対する愛情表現としての「信じてあげる」ことを歌った歌なんだろうなー、って思います。『「信じてあげる」っていう愛情』についての歌に聞こえるというか。

リアルに、愛されるより愛したいのか、それとも、求めることは怖いのか、考えないのか。それこそ、求めてはいけなくて捧げたいのか。求めないのは、傷つくかもしれない、っていう疑いがあるからなのか・・・って、私は剛さんについては暗く暗く考えすぎなんですよね!なんでか!すみません、剛さん!

でもまあ、剛さんのこういう所が気になるし、好きだから仕方ないんですけど。曲解しすぎだよな、って自分でも思うんですけど、なんでかそういう風に見えてしまうときがあります。

宇多田ヒカルさんの、「Can You Keep A Secret?」に、「信じよう 駄目だよ まだ疑えそうだもの」っていう歌詞があって、そこを聞くたびに、剛さんっぽいな、って感じます。信じない、って訳ではなくて、信じよう、でも駄目だ、まだ疑えそうだから、って相手をよく見ようとする感じがして。

剛さんには、ただ疑うんじゃなくて、信じたいけど疑ってしまう、でも信じたい、だから人をよく見る、っていう面があって、そこが剛さんの魅力であるように感じます。

そして、そういう面がある剛さんとずっと特別な関係を続けてきている光一さんは凄いな!って思いますし(剛さんみたいなタイプの人に見られ続けるのも大変だと思う)、例え光一さんという人がいても、そして、沢山の人に愛されていても、そういう面を持ち続けずにはいられない剛さんが切なくもあり、そういう面が好きでもあり、です。

あー、深夜に酷いことを(しかも、多分、ただの思い込みを)書き連ねてしまいました。
おかしいな、こんな感じになるはずじゃなかったんですけど(笑)

一応、下げておきます。あくまで、私にはこんな風に感じられる、っていうだけです!