明日

9月半ばになって、夜風がもう、完璧に秋の匂いになったなあ、って感じます。秋の夜風が一番好きかもしれない。

明日から、後期授業が始まります。
前期は授業と部活だけだったんですが、後期からはバイトが入ってくるし、部活も大会に向けて厳しくなるし、勉強会にも行くつもりだしで、少し大変になるだろうけど、どれも楽しく、頑張っていきたいと思います。全部、自分がやりたくてやっていることなので、そういう意味では、ほとんどストレスは感じないんですけど、疲れすぎないように気を付けながら、日々を過ごしていきたいです。

それから、明日は部活内での選考会があるので、ちょっと緊張しています。選ばれたい、というよりは、とりあえず、自分の中でドロドロと渦巻いてるものを正しく力に変えて、迫力のあるものをしたい、出来るだけ納得いくものをしたい、というのを目標に、頑張ってこようと思います。

話は変わるんですけど、昨日今日と、キンキさんの「ごめんなー!お前な!」「俺もごめんな。」を思い返しては、ちょっと目頭を熱くし、『ありがとう』と『ごめん』の違いを考え、何故他人が他人に、それも軽めに、ごめん、って告げるのを見てここまで心揺さぶられてるのか不思議に思う、ってことを繰り返してました(笑)

やっぱり、身内感かなあ。「ごめんなー!」の後の「お前な!」がなんかこう、物凄く近い感じがしてグッと来た。っていうか、私は元々、偶に光一さんが剛さんのことを「お前」って呼ぶのが好きなんですよね。素な感じがして。これで、「ごめんなー、剛!」って言われてたら、もうちょっとネタっぽくなった気がする。

それに、ありがとう、って割とすぐ言えるんですよね。思ってなくても、とまでは言わないにしても、思いが弱くても、口にするのに抵抗が無い言葉だと思う。良い言葉だから。誰に対しても使える言葉だし。

でも、ごめん、って自分に否があった、何かした、っていう前提があって、それをちゃんと認めてないと、とっさには口に出せない言葉な気がします。しかも、ごめん、って許してもらえることを前提に口に出す言葉だと思うんですよね。本当に酷いことをして、許してほしい、って言うのもおこがましいな、って感じたときは、謝ることすら失礼だって感じる。ごめん、って口に出すのは、どこかで、相手は許してくれる、って思ってるときだと思う。なので、色々と、相手は許してくれるっていう前提で成り立ってるんだなあ、キンキさんは、って感じました。

キンキさんの場合は、あっちゃんとたかみなの場合と違って、これからも続いていくだろう、っていう関係性だから余計に、響いたんだろうなあ。「これまで」ごめん、じゃなくて、「色々」ごめん、っておっしゃってたから。何となく、これからに繋がる「ごめん」に聞こえました。偶に、こうやって言葉にしあうことって本当に大事だと思う。

自分には全く関係ない人達の言葉のやりとりでこんなにしみじみする、って我ながら、アイドルファンは不思議だなあ、って思います(笑)

でも、不意にこういう感情をくれる人達だから、キンキさんのことを大事に思うんだろうし、こういう暖かい驚きかたってなかなか出来ないから、キンキさん好きだなあ、って改めて感じました。なあなあになりすぎない、って凄いと思う。

明日から、剛さんは平安神宮での公演ということで、素敵な、剛さんらしい公演になりますように。行かれる方は楽しんできてくださいね!