終戦記念日

15日は過ぎてしまったんですけど、後で自分が、今年の終戦記念日には何を考えたか、振り返ることが出来るように、書いておきます。

戦後もう65年以上経って、戦争体験の継承っていうのが問題、というか話題になっていますよね。私達より少し下の世代までが、戦争について直接聞くことが出来る最後の世代なのかな、と感じます。

私にとっては、満州から帰ってきた父方の祖母の話が、身内から直接聞いた、唯一の戦争体験の話です。満州から日本に船で帰ってくるとき、亡くなった人は、船から海に投げていたそうなんですけど、その際、死人が船を追ってこないように、っていう意味で、三回、グルグルと船が回ることになっていたんだそうです。おまじないみたいなものだったんでしょうね。日に日に、船が回る回数が増えていったのが怖かった、と祖母は言っていました。

これを聞いたのが、確か、小学校6年生くらいだったかな。夏の夜、隣同士で布団に横になっているときに、つぶやくようにして話していた声を覚えてます。戦争の話を聞いたのは、その一度だけです。

沖縄のほうは、身内に亡くなった人が多いこともあって、ほとんど聞いたことがありません。母や叔母から、伝え聞くくらい。やっぱり、何年かに一度会う孫、曾孫に、死体の上を謝りながら走ったことや、戦中、戦後、どん底で苦労したことを聞かせたくない。それに、自分も身内を亡くしたときのことを思い出したくない。その気持ちもよく分かるので、戦争の話を聞かせて、と言ったことはありません。

ただ、去年亡くなった曾祖母は、いつも明るくて、笑顔が素敵な人だったけど、最期まで、毎年、夏が来ると塞ぎこんで、亡くなった人達のことを少しでも話すと、目に涙を浮かべてました。いつも、いつも。90歳を超えていた彼女が、ずっとそんな思いを抱えて生きていたことを、私はしっかりと覚えていたいです。

それから、継承には色々な形があるな、って思うのが、「原爆を許すまじ」という歌に関してです。
題名通り、
「故郷の町焼かれ 祈りの骨埋めし焼け土に 今は白い花咲く 
ああ許すまじ原爆を 三度許すまじ原爆を 我らの町に」
っていうのが一番の歌詞で、凄く淋しいメロディーの曲です。私はこの歌を、母から教わったんですね。そして、母は、中学校の修学旅行で海を越えて行った長崎で、バスガイドさんが歌うのを聞いて覚えた、って言うんです。聞いたのはその一回だけだけど、数十年経った今でも覚えてるそうで、その話を聞いたときは、「こんなことがあるんだなあ。」と驚きました。そして、その歌が娘の私に伝わって、私も、教わってから何年も経ちますけど、やっぱり覚えてる。私達は原爆とはほぼ無関係だけど、この歌に込められた悲しみは分かる。直接じゃなくても、伝わっていくことはあるんだと思います。

そして、原爆に関しては、今年も、石垣りんさんの『挨拶』という詩を読み返しました。これは確か、中学校の教科書に載ってて知ったんだったと思います。
今まで読んだ詩の中で、一番印象的だったし、スッと入ってきた詩で、戦後65年以上経った今だからこそ、余計に迫ってくる言葉たちだな、と感じます。しかも、説教臭くも、押しつけがましくもない。

この詩は、これからも教科書に載っていてほしいし、こういう内容の詩によって、戦争の悲惨さを伝えるだけでなく、今の自分と関連付けて考える機会を子供達にあげてほしいな、って思います。

石垣りんさんの詩は、『崖』という詩も、短いのに、強い力があって、好きです。石垣さんだからこそ書くことが出来た、一度読んだら忘れられない詩。沖縄の万座毛に行くと、必ず思い出す詩です。
女たちは、まだ一人も海にとどかない。

これからも、せめて年に一度だけでも、きちんと、昔、大きな過ちがあって、それによって苦しんだ人達、亡くなった人達がいたこと、今も苦しんでいる人達がいることを想っていきたいです。