仕方のないこと

暗い話をぐだぐだ書くし、結局自分語りかよ!って話になっちゃったので、下げますね。


最近、いじめの話題を耳にして、本当にやりきれない気持ちになってます。いじめっていうのはどこにでもあるし、どの子供もいじめる可能性、いじめられる可能性を持ってると思ってるので、それを防ぐためにはどうしてあげればいいんだろう、ってことも思うけど、何より、どんなにきつくても、辛くても、簡単に「学校に行かない」っていう選択肢を選ぶことって出来ないよね、って感じて、泣きたくなる。

私は小学校2年から5年まで東京に居たんですけど、その時に通っていた小学校が物凄く荒れてたんですよね。目の前で、同じクラスの男の子が、別の男の子の顔を殴って、鼻の骨を折ったり、他の男の子が、下の学年の子の前歯を折ったり、っていうことがちょくちょくあったし、言葉使いも、私を含めて、皆凄く悪かった。

よくある話ですけど、暴力的な子は家庭が複雑であることが多くて、そういう子達から始まった暴力は、どこまでも連鎖していくんだな、っていうのを肌で感じました。問題の無さそうに見える家庭で育った子も、すぐに暴力に慣れて、それがあるのが当たり前になる。だけど、暴力的な子達が、他の子達と違う、ってことは全然無くて、偶に他人に褒められると、凄く照れながら、嬉しそうな表情をしていたのをよく覚えてます。その様子を見て、幼いながら、悲しくなりました。どうしようもないんだなー、って感じて。

ただ、私は、子供は天使だ、なんて一度も思ったことがありません。小さい子と遊ぶのは好きだし、愛おしいな、とも思うけど、純粋無垢だとは思わない。そう言える大人は、自分が子供だった頃、よほど周りをよく見てなかったか、自分が子供だった頃のことを都合よく記憶してるかのどちらかだと思う。子供は皆、身の毛がよだつ程残酷な部分を持ってるし、大人が考えてるよりもずっと物事を良くわかってるし、ずるいし、頭が回るんですよね。

それは、全然悪いことでも、直さなくちゃいけないことでもなくて、人間はそういう生き物なんだから、仕方ないんだけど、大人は、自分の中のそういう、えげつない部分をコントロールして、出来れば意識しないでいられるような方法を、子供に教えてあげないといけない。そうやって、社会でやっていけるように、ある意味、「洗脳」してあげないといけないんだと思ってます。「自分は基本的には良い人間のはずだ」って思いこませることで、おかしなことをしないようにしてあげる。それが教育なんだと思ってる。

少なくとも、私が受けた教育はそうだったと認識してます。で、そう教育してあげないと、とか書いておきながらアレなんですけど、私は、そういう教育になじめないほうだったんですよね。道徳の授業とか、国語の教科書に載ってる話とか、私は、「これは優しさじゃない」「これは親切とは違う。自分勝手なだけじゃん!」って感じた話が沢山あったけど、これが道徳で、皆これは良いことだ、って感じるよね?っていう前提で授業が進んでいく。自分の感覚とは違う「社会で良いとされていること(道徳)」を自分の中に取り込むように、って刷り込まれていくように感じました。それが、凄く気持ち悪かった。

だから、ってわけでもないと思うんですけど、以前も書いたように、私は小6はほとんど学校に行けなかったし、中学1、2年もほぼ登校出来ませんでしたけど、もう、本当に辛かったです。毎日が。全てのことに申し訳なくて、笑っちゃいけない、具合悪くないといけない、何も楽しんじゃいけない、外に出ちゃいけない、っていう感覚が抜けないんです。皆学校に行っていて、ちゃんと成長して社会に役立つ人間になろうとしてるのに、私は行けないんだから、罰を受けないといけない、みたいな。

義務教育、って親が子供に教育を受けさせる義務、っていう意味での義務、っていう言葉なんですけど、私は、両親が義務を果たすのを妨げてしまってる、って感じて、それも辛い。負い目、というか、罪悪感が本当に大きくて、一日一日がしんどかった。太陽の下を歩けない、申し訳ないから、っていう感覚を今でも思い出すことが出来ます。

本当に、人からしたら大げさだって笑われそうなんですけどね。悪いことをしてる、っていう感覚が抜けないんです。友達だって、皆、嫌でも行ってる、行くことが出来てるのに、私は出来ない。わがままで、どこかおかしくて、弱いんだろう、学校にも合わせられないなら、社会に適応することも出来ないに決まってる、学校は社会の縮図なんだから、学校で駄目なら、他でも駄目だ、って思い詰めてた。

実際、日本では、学校に行く以外にどうすればいいのか分からないんです。海外には、ホームスクーリングか、学校か選ぶことが出来て、実際にホームスクーリングを選ぶ人が多い国もあるんですけど、日本は違う。

フリースクールはありますけど、フリースクールを出た後、勝手が違ってまた困る。し、私はフリースクールとはご縁が無かったので、行かなかったんですよね。家で、たった一人で、ぼんやりと「もう駄目だ、どうしよう」って考えて終わる一日、って今思い出してもぞっとします。自分がどんどんおかしくなっていくのが分かったんですよね。人と、それも同年代の人と触れ合わないと、やっぱり子供は歪むし、成長出来ない。まあ、私だけかもしれないけど。

それに、周りの人は、善意で「学校に行かないと。」「皆行ってるんだから、甘えちゃだめだよ。」とか、「将来、会社に採ってもらえないよ。学校行った人と行ってない人だったら、学校行った人を採るでしょ?」って心配してくださって、それに「すみません。頑張ります。」って笑顔をつくって返すのもしんどかった。

私が行かないって選んでるんだから放っておいて、って思う時と、私が選んだわけじゃない、私だって普通に行きたい、って思う時があって、もう、ぐちゃぐちゃでした。
いつも暗い顔をして、眠ってるか、ぼんやりしてるか、の子供を見る両親は辛かっただろうな、と思います。

二人とも、私があまりに憔悴してるのを見て、すぐに、「いいんだよ、学校なんか行かなくて。生きてれば。」って言ってくれて、コスモスを見に連れ出してくれたり、食事に連れ出してくれたりしたので、私は、他の多くの不登校の子とは違って、親と戦うことはせずに済んだんですけど、だからこそ、余計に後ろめたかったんですよね。申し訳なかった。とにかく。あらゆることに、あらゆる人に申し訳なかった。

ただ、学校に行かない、っていうそれだけのことが、何年も、本当に苦しかった。今も、自分の弱点だと思ってる。少なくとも、人に言いたくはないです。学校に行ってて、行かない、ってことを考えもしなかった人からすると、やっぱり得体のしれない、良く分からない人だと思われてしまうみたいなので。

だから、どんなに辛くても、学校に行くしかない、他の選択肢なんて無いんだから、っていう子のことが、ほんの少しだけ分かる気がします。結局、学校に行くしかないから、私は大学に来たのかな、とも思うし。だから、「学校行かなければいいのに、良いんだよ、酷いいじめをする奴がいるなら、行かなくて!」とは言えない。マイナスが大きすぎて。精神的なことというより、実際問題、普通に見てもらえないことも多いですから。

学校に行かない、っていうのは物凄くストレスが大きい。お家の人の考え方によっては、出来ないだろうとも思う。だけど、それでも、自分を守ることが一番だよ、って思います。確かに苦しいし、先は見えないし、正直、もう死んじゃえば楽になる、って思う瞬間も結構あったけど、それでも、私は、どうしても辛いなら、一応の選択肢として考えてみてもいいと思う。私は行かなかったけど、フリースクールもあるし、最近は、そういう子たちのための高校もいくつかあるし、昔と違って、「不登校」っていう言葉は社会に知られてるし。おすすめはしないけど、考える価値もない選択肢じゃない。生きるか死ぬか、ってとこまで来たら、ずっとじゃなくても、とりあえず休んでみてもいいと思う。それから、自分の将来が狭まることをどう思うか考えてみて、決めたらいいんじゃないかな、色々。出来たら、そこは覚悟を決めて、それでもいい、自分で選ぶ、って思って学校に行かないことを選べたら、後で「自分で決めたんだから」って思えて良いと思う。

うん、あまりにも疲れたり、明らかに理不尽な扱いを受けたりしたら、一度そこを離れるしかないんだと思う。甘えであっても、弱さであっても。運悪く、たまたま、普通に行くことが出来なかっただけで、そこから先は、自分でどうにかしていくしかない。私も不安なんですけどね、先は。履歴書見てどう思われるんだろうなー、とか、手に職つけるしか無いかな、とか考える。でも、学校に行かなかったことを後悔したことは一度も無いんです。あれは、本当に、仕方なかった。何といわれても、私には出来なかった。だから、後悔のしようがない。

あー、ここまで書いたのに、消したくなってきちゃった!(笑)
まとまりもないし、何が言いたかったんだ、って記事になっちゃってるし、もしかしたら、消すかもしれません。