アイドル

今日、アルバムを聞きながら、「やっぱり剛さんって、ずっとアイドルやってきた人なんだよなあ。」って唐突に思いました。

今の剛さんは、自分自身のことに関しては一区切りつけた、っていう感じがするんですよね。自分の苦しさや悲しさについての葛藤は一通り終えて、おそらく、何らかの答えみたいなものが出たんだろうな、って感じる。

剛さんみたいに、「自分の」苦しさが根っこにある歌を歌ってきた方にとっては、そこからがある意味、迷いどころというか、勝負どころだったんじゃないかな、って思います。何を表現したいか。自分のこと以外に、切実に、魂込めて歌えるようなことがあるのかどうか。で、剛さんは、人や社会や命、ようは「自分を含めた他人」に、的を広げたように見えます。(『街』とかを考えると、初期からそういう要素はあったんでしょうけど、あそこら辺はまだ、やっぱり「自分の」苦しさに基づいたメッセージだった気がします。)

今のコンセプトって、精神的にはボランティアに近いんじゃないかな、って思うんですよね。捧げる、って剛さんはよくおっしゃいますけど、まさにそんな感じで、今のメッセージ、というかコンセプトって、剛さん的にはほとんどメリット無いんじゃないかと思う。

自分のことなら、吐き出すこと、歌うことで自分で自分を癒してるんだろうな、って思うけど、不特定多数の他人の意識の持ち方(直観を重視する、とか)って、剛さんには直接は関係ないんですよね。ファンが剛さんの歌に救われたって、剛さんには間接的な喜びしか無いだろうし。それなのに、剛さんはあんなに一生懸命、というか、真っ直ぐなんですよね。

それで、なんであんな風になれるのかなー、って考えたら、やっぱり剛さんが十代の頃から、沢山の人を「他人」じゃなくて、「自分の、もしくは自分たちのファン」として目にする機会が多かったからなんだろうな、ってとこに行きつきました。ずっと求められてきた人だから、ああなれるんだと思う。まさに使命感ですよね。若い頃から、沢山のファンを抱えてきたからこその使命感。この前の「音楽と人」では、使命感は薄れてきた、みたいにおっしゃってましたけど、やっぱり根っこには使命感があるんじゃないかなー、って思います。

自分の、もしくは自分たちの作品を買うファンがいる、っていうだけじゃなくて、ライブ会場で、多いときは五万人以上の人を実際に目にしてきた、っていうのは、相当大きいだろうし、若い頃からそれを繰り返してきたのは、アイドルだからこそのことだと思う。

それを考えると、やっぱり剛さんって、アイドルなんだよなあ、って感じます。求められてきた人、そして、苦しい思いをしながらも、人前に立ち続けてきた人なんだな、って。アイドルだからこそ、ああやって、顔も名前も知らない他人に向けて、ああいう歌詞を、真摯に歌えるんだと思う。自分を求める人がいる、自分の歌を求めてる人がいる、だから、歌えば必ず誰かに届くっていうのを、無意識のうちに確信してるように見える。その感覚が身体に染みついてる、というか。そこが、剛さんの歌の力だな、って感じます。