40年

今日で、沖縄返還から丸40年です。
この時期によく聞く、返還、とか復帰、って言葉に、いつも、ちょっとした違和感を感じます。もともと、沖縄が日本であったのって、ほんの短い間だけだったから。

それに、小さい声で言うけど、私が知ってる限りでは、沖縄の人には、本土(本州のことです。内地、とも言いますけど)が、というより、本土の人が好きでは無い人が結構いるんですよね。戦争を経験した世代の方にとっては特にそうですけど、アメリカも日本も同じなんです。自分たちのところに勝手にやってきて、自分たちを戦争に巻き込んだ、「理不尽で得体の知れない外の人達」だっていう感覚が強いし、正直、今でも、自分たちを「日本人」っていうより「沖縄の人間」だと意識してるように見えます。去年知り合った沖縄の子が言うには、今でもその感覚は根強いらしくて、本当は内地に来たくなかった、って言ってましたし、結局、彼女は沖縄に帰っていってしまいました。

私は、沖縄の血が半分入ってますけど、ほぼ内地で生きてきた人間なので、初めて自分が沖縄の人達に恨まれる、というか憎まれる側でもあるんだ、って意識したときはなんとも言えない気持ちになりました。内地の人達は、沖縄を「海の綺麗な観光地」として捉えて親しみを感じているけど、沖縄の人達にとって内地の人は、結局は「よその人」「大和人」でしかないんですよね。沖縄について考えると、いつも複雑な気持ちになります。外から見るには近すぎるし、内から見るには知らなさすぎる。

ただ、これからも知っていかないといけない、覚えておかないといけない、と思います。私の親戚の名前も、平和の礎に彫ってあるんですよね。あの字を見た時に、「ああ、こういうことなら、やっぱり勉強しないといけないな。」と思いました。あれが血の力なんですかねえ。会ったこともない、写真すら残っていない女性を、血が繋がっているから、っていうだけで身近に感じてしまう。そして、知らないと、覚えておかないと、と思ってしまう。人は何でも忘れてしまうから、せめて血が繋がってる人間だけでも、記憶しておいてあげたい、と思うんですかね。大地に染みついた悲劇は消えようがないんだよな、って、平和の礎を見に行くたびに感じます。空と海があまりに綺麗で穏やかで、本当に虚しくなる。知ること、覚えておくこと、間違えないこと。それだけは出来る自分になりたい。