今日は、家の近くの山に登ってきました。海の次は山か!って感じなんですけど(笑)
天気が良く、気温も丁度良くて、ありがたかったです。

私にとって、山に登るのって物事、というか期間を区切る儀式みたいなものなんですよね。明日は大学の入学式なので、どうしても今日、今までの上手くはいかなかった日々に区切りをつけたかった。

今までにも何度か、もう区切りをつけよう、と思って山に登って、これで全てを終わらせたことにしてまた新しく頑張ろう、って気持ちになってました。でも、結果として、区切りをつけたって私自身が変化したわけじゃないので、何度も上手くいかなくなりました。

なので、今では、人間が・・・って言ったら駄目か、私が、何かのきっかけで劇的に変化して、全ての物事が上手くいくようになる、なんてことは無いんだ、ってよく分かってます。でも、やっぱり区切りをつけたかった。今まで何度やっても上手くいかなかったから、これからも上手くいかないかもしれない、だから、新しい挑戦をしたくない、とかっていう言い訳をしないですむように、上手くいかなかった日々に、自分で区切りをつける、というか区切りを作る。

私にとって、区切りをつけるのに最適なのが登山なんですよね。ただ、登山、っていってもそんなに凄い山じゃなくて、往復2時間程度の山なんですけど。
普段は前に進むのに足しか使わないけど、山では手も使わなきゃいけません。そして、それが凄く新鮮なんです。「あ、足だけでは進めないときは手も使えばいいんだな。」って気が付く。それに、登山中って、足元が安全かどうかだけに集中しないといけないから、頭が空っぽになるんです。ひたすら上を目指す。呼吸は苦しい。普段は意識しない心臓が痛いくらいに脈打つ。その時間が、なんだか心地良いんですよね。まさに、生き返る、っていう感覚。「生きてる実感がない。」っていう人は山に登ればいいんだと思う。

それくらい、ただの生き物としての自分になれるし、変な言い方ですけど、自分に体があることを思い出すんです。そして、自分の体を意識すると、なんだか元気がでるんですね、不思議と。自分で思ってるよりも、私は動けるんだってわかると、力がでる。

山の頂上からの景色はそんなに好きじゃないので、普段は本当に、頂上に立つために頂上に向かう、っていう感じなんですけど、今日は頂上にある神社にお参りしてきました。自分ではどうすることも出来ない、周りの人の幸せや健康をお願いして、自分のことは「こうしますから見守ってください。」というだけなんですけど、人間とは別のものに対するからこその改まった気持ちになって良かったです。神様って、こちらの言い訳を全く聞いてくれなさそうだからこそ、身が引き締まる。

そして、下りきったときに、というか一山越えたときに、「ああ、これで一つ終わらせた。区切りをつけることが出来た。私は私のままだけど、これでまた新しく頑張れる。」って素直に思えたので、山ってところは不思議です。なんでしょうねー、これが自然の力なのかな。やみくもに進むことで、楽になっていく。全てを抱えて、それでもその重みに負けずに進むことが自分には出来る、と思える。

それから、山は、挨拶ルールみたいなものがあるのも好きです。登山者って、すれ違うときは必ず挨拶を交わすんですよね。子供からお年寄りまで。私自身は、一人で山に入るので、基本的には一人で黙々と進むんですけど、たまに笑顔で「こんにちは」って言いあえると、少し元気になります。小学生のときに読んだ、阪神淡路大震災を題材にした本で、おばあちゃんが孫に「笑うとゆで卵一個分の元気が出るんだよ。」って教えていて、それが未だに妙に記憶に残ってるんですけど、それを思い出します。確かに、ゆで卵一個分くらいの元気が出る。そして、意外とゆで卵一個分の力って大きい。

というわけで、今日は良い日でした。ちゃんと区切りをつけることが出来て安心したし、全部抱えて、むやみに自分を怖がらずに進む覚悟もちゃんと出来たと思うので、明日からまた新しく頑張ります。