剛さん、今年も平安神宮公演が決まったんですね!
おめでとうございます!
今は気持ちが弱っていることもあって、もはや、剛さんが歌ってくださることが決まった、というだけで嬉しいです。
本当に、剛さんに関しては、毎日どこかで祈るように歌っていてほしい、その歌声をこの世界の空気に溶かしてほしい、と思っちゃうくらいの気持ちがあるんですよねー。

祈るように歌ってほしい願望みたいなものがあるぶん、平安神宮公演はやはり、決まるだけで嬉しいです。

今年は8月終わりということで、念を込めながら申し込みたいと思います。
来週はMステに御出演ということで、アルバムとDVDの発売も近いんだなあ、と楽しみです。

先週今週は思いがけないことが多くて、予想もしていなかったことって沢山起こるよな、と感じていました。

昨日も、本当は熊本に行くつもりだったんですけど、就活中の後輩の子から連絡が来て、二人で会ってきて。
そちらはそちらで、私には伝えたい、と思って連絡をくれた気持ちが嬉しかったし、大事に思っている子なので、一緒に過ごせて良かった、と思っています。

そして、そうかと思えば、私より先に父が、仕事で一週間、熊本に行くことになって。
明日からの一週間なので、帰ってきた父の話を聞いて、どんな活動に参加するか等、また検討したいと思います。

それから、先週は初めて、短期でとった料理教室に行ってきました。
今日も行ってきたんですけど、「なるほど、こうすると良いのか」と学ぶことも多くて、楽しかったです。
そして、教室の場所もあるのかもしれないのですが、頭の天辺からつま先まで手入れされている、といった感じの女性ばかりで、凄いな、綺麗だなあ、と見惚れました。
皆さん、なんだか、触れると壊れてしまいそうなくらい綺麗にされていて。
そういう意味でも、別世界に触れるような楽しさがありました。

そして、今日までずっと、蜷川さんが亡くなったことを引きずり続けています。
それもあって、事務所での時間を乗り越えられているような気がするくらい。

そうそう、仕事に関しては、やはりまだまだ分からないことも多いし、少人数なこともあって色々と難しくもあるのですが、とりあえずなんとかやっています。

今はまだ、あまりにも分からないことが多すぎて、どうこう思う余裕も無いくらいなんですけど、一昨日の夜は久しぶりに、理由もないのに泣けてきて、「ああ、やっぱり、そんなに意識してないけど、日々不安なんだろうなあ。そりゃあ、そうだよなあ。」と他人事のように思いました(笑)

と言っても、ほんの数分、涙数滴くらいだったので、スッキリする程泣けたわけでもないんですけどねー。

でも、他を知らないから、というのもあるかもしれませんが、仕事だから、という前提があれば、辛いのも、理不尽なのも、親切とは無縁なのも当たり前だし、それに耐えるのも当たり前だよなあ、と感じるんですよね。
反面教師と言うか、自分は今後、どこであろうと、目下の人に対してこんな対応はしない、とかって思えもするし。

そう思えるからなのか分かりませんけど、一度も、行きたくないとも思わず、今日こそは、明日こそは、と思っていられるので、とりあえず一日一日、なるべくミスをしないように頑張っていきたいと思います。

そもそも、三ヵ月したら一度話し合う、というルールがあるらしくて、そこでかなりの数の人を辞めさせているみたいなので、とりあえず、そこまでやってみるしかないんですよねー。
自ら辞める人も辞めさせる人も、どちらも多いみたいで、なんとなく分かるな、と思います。
今の正直な気持ちとしては、どっちでも喜ぶな、という感じです。
続けてくれと言われても、辞めろと言われても喜べる。
色々な条件や先々のことを考えると、余計。
駄目だと言われたら次を探すしかない、というだけの話ですもんね。
とにかく、一日、一日、頑張りたいと思います。

ということで、蜷川さんの件なのですが、やっぱり、蜷川さんと「葬儀」という言葉の組み合わせの違和感が凄くて。
上手く理解できないままでいるのですが、藤原さんの弔辞に、お二人の19年間を改めて思いました。

そもそも、他の方は亡くなった日のうちにコメントを出してらっしゃったんですけど、藤原さんは、事務所が「コメント出来る状態ではない」と発表していて、次の日に出たコメントも、なんとか絞り出した、という感じの文章だったんですよね。

それだけでもう、そうだよな、藤原さんはそうだろう、と思いました。藤原さんが蜷川さんを失うって、そういうことだよな、って。

小栗さんも吉田さんも、弔辞ななかで藤原さんのお名前を、お二人らしい文脈で出してらっしゃっていて、そのことにも、胸を掴まれました。

藤原さんと蜷川さんの、互いと刺し違える覚悟さえありそうな関係性を見てきた方だもんな、とふと思って。
藤原さんと蜷川さんは、一度も、向き合うことを疎んだり、互いから目をそらそうとしたりしなかったように見えたんですよね。それくらい、怖いくらいに真っすぐ、時には取っ組み合うようにしてやってこられたように思います。

小栗さんも吉田さんも、お二人らしい弔辞でした。
小栗さんと蜷川さんの関係、吉田さんと蜷川さんの関係、それぞれの俳優さんと蜷川さんの関係性は、全然違うものなんですよね。
それが、蜷川さんの御人柄であり、細やかさであり、俳優さんと向き合おうとされる意思の表れだな、と感じますし、そういう方だからこそ、あそこまで慕われるんだろうな、と思います。

小栗さんにしろ、藤原さんにしろ、下手したら孫くらいの世代なのに、蜷川さんはちゃんと喧嘩をしてらっしゃったんですよね。上から押さえつけるんじゃなくて、ちゃんと言い合いをしたり、喧嘩もしたりしてらっしゃった。
俳優さん達は皆さん、蜷川さんの悪口を楽しそうにおっしゃるし(笑)、本当に、人間らしすぎるくらい人間らしい方だったな、と思います。

そして、今回、ぼんやりと思っていたよりもずっと多く藤原さんが取り上げられていて、色々な映像や写真を見ましたが、お二人で笑い合ってる写真は特に良い物ばかりで、お二人が過ごされた時間を改めて思いました。

本当に、藤原さんが蜷川さんを失うなんて、こんなに残酷なことがあるんだな、と思います。
藤原さんの弔辞を聴くと、音声だけなのに、蜷川さんを失う苦しさや悲しみや、それこそ親を慕う子のようなひたむきな敬愛の気持ちが伝わってきて、変な感想ですが、ああ、蜷川さんは本当に、藤原さんを素晴らしい俳優に育てられたんだな、と感じました。

感情をあんな風に声に、言葉に滲ませることって、意外と、出来る人は少ないよな、と思って。
ああいう声を出して、ああいう言葉を使える、というだけで、藤原さんは蜷川さんの理想の結晶の一つなんじゃないか、と思います。
ひたむきで、感情と声、言葉がリンクしていて、透明な叙情があって、それでいて良い子ちゃんになるわけでなく、愛情が前提の憎悪、喜びが前提の苦しみを語ることが出来る。
私の勝手なイメージですが、藤原さんは、そういう意味で、蜷川さんの理想の役者の精神が具現化した形の一つであるように感じます。

だから、藤原さんはある意味、一番、悲しむ必要が無い人なのかもしれない、ってふと思うんですよね。
なんだろうなあ、蜷川さんの演劇への、役者への精神を見たければ、藤原さんを見れば良い。
藤原さんの中には、蜷川さんの結晶があるんだから、みたいな気持ちになって。

蜷川さんに対して読まれた弔辞と、報道関係の方の質問に答えてらっしゃった時と、声も、話し方も違って、それもまた、ああ、あれは藤原さんが蜷川さんに対して話すときの話しかただったもんな、あれが最後の、あの話し方を聞く機会だったのかもしれないな、と感じました。

蜷川さんと藤原さんの関係性は、本当に特殊で、どこを探しても見つからないようなものだったから、羨ましい、と思う方も沢山いらっしゃるでしょうけど、藤原さん御自身は、どれだけ蜷川さんに特別に思われていたかを、実はいまいち、分かりきってらっしゃらないような気がして、それもまた、お二人らしいな、と思うんですよね。

互いの思いを物凄く理解しているし、ある種の責任のようなものを互いに対して背負っていたし、互いにとっての自分の存在みたいなものに対して自覚的であったのに、それが甘えには決して繋がらず、緊張感のある関係を最期まで保ち続けたのが。

藤原さんは、自分はそんなに褒められたことがないから、と、蜷川さんに褒められる役者さんを羨ましく思う、っておっしゃるんですけど、蜷川さんは、藤原さんに対しては、どんなに良くても、もっと良くなる、と思って満足しないからこそ、ああいう指導だったんだと思うんですよねー。
勝手な感想ですけど。

蜷川さんと仕事をした数の多さや、藤原さんへのハードルの高さ、何より、19年間もあんな関係性を保ち続けることが出来た、というだけで、蜷川さんの藤原さんへの期待、というか、希望のようなものを感じます。
実際、蜷川さんは藤原さんに関して、「絶対に良い俳優でなきゃ困る」っておっしゃってたんですよね。「困る」。
しかも、その「良い俳優」っていうのが、「頭が良くて、世界の文学も知っていて、世界中で起きていることもちゃんと感受していて、そういうものがどこかで生き生きと人に伝わる演技をして」っておっしゃるんですよね。

ハードルの高さが凄まじくて、きっとファンの誰よりもずっとずっと藤原さんに求めるところが高いのは蜷川さんだよな、って思う位です(笑)

でも、そうやっておっしゃるということは、藤原さんにはその素質がある、それくらいの俳優になることが出来る、って思ってらっしゃったんですよね。それだけでもう、グッとくるのに、その上、蜷川さんは、「世界の人が、日本の藤原、新作やるらしいからちょっと見に行くか、って率先して日本に来るような役者になってほしい」っておっしゃってて。

もう、最高級の理想の高さで、こんな風に思われながらやってた、と思うと、そりゃあ、藤原さんと蜷川さんは、あそこまで深い関係性になるよなあ、と思います。

そして何より、御自分が世界に出て戦ってらっしゃった蜷川さんが、藤原さんには、日本に世界の人を呼べる役者になってほしい、と思われた、というのが、ああ、自分が歩いた道のその先を藤原さんに歩かせたい、と思われていたのかな、って感じられて。本当に、蜷川さんの火の大きな継ぎ手、守り手の一つは、間違いなく藤原さんなんじゃないかな、と感じました。

それから、亡くなる前日、藤原さんが急にお仕事がお休みになって、お見舞いに行けたというのも、まるで、蜷川さんが藤原さんを待ってあげようとされたようで、お二人らしいように感じました。

今は純粋に、藤原さんのお仕事を、今後も見ていきたいな、と思います。
藤原さんにとっても、これからはきっと違う意味での苦しさもあるでしょうけど、だからこそ、今後、どうなっていかれるのかを見たい。

そして、藤原さんの弔辞を聴いてからは、ほぼほぼ剛さんの「電」しか聴けないくらいの勢いで、よく「電」を聴いています。今の気持ちに、本当に本当に合っていて。
藤原さんの弔辞を聴いてからは、余計に。
剛さんがこの曲を出してくださったことに心から感謝していますし、稀有な歌声と感性が、どちらも備わっている、ということを、改めて、奇跡のようなことだよな、と思っています。失う哀しみや、痛切なまでの愛情を込めた思いを、あんな風に歌声に溶かし込めるというだけで、剛さんは歌い手として、本当に稀有だし、優れている人だと感じて。

やっぱり上手くまとまりませんでしたが、今の気持ちを残しておく意味で、あげておこうと思います。
おやすみなさい!