相談すること

昨日は、久しぶりに慌てました。

今、部活の卒業記念品の部旗を、何故か私がお店に発注したり連絡したりして作っているんですよね。卒業もしないのに(笑)

いやあ、最後くらいは、こういう仕事に関わらないぞ、と思って、「皆に任せる」って言ってたんですけど、最後のところで、ギリギリになっても誰も動かなくてですね!

他の同期は、大体の人が就職が決まっているか、卒業しないかなんだし、やってくれるはず、と思っていたのですが、大学側の許可を貰わないといけないこともあって、結局、私が動くしかなくなって。

こんなことなら、最初からさっさとやっておくべきだったなあ、と思いつつ、最後の御奉公、という気持ちでお店側とのやりとり等々を済ませて、デザインも決めて、発注まで終わらせたんですけど、昨日になって、まさかの、監督の許可を取っていないことが発覚してですね・・・!

発覚した瞬間に「終わった・・・」と思いました(笑)

最初は任せる気だったので、部活関係者への連絡等には関わっていなかったんですけど、「部旗を作って良い許可は得た」って言ってた子の「許可」に、まさかの監督が含まれていなかったらしくて。
もう、だいぶ慌てましたけど、とりあえず監督に御連絡して。

監督は凄く良い方で、色々と気遣ってくださるので、とりあえず、このままいけることになって安心したのですが、本当に、自分が当然と思っていることでも、ちゃんと確認をしないといけないし、基本的には、責任者を決めて誰か一人がやったほうが物事は上手くいくよな、って改めて感じました。

今回は、その子以外の同期は皆、話の流れからして許可を得ていると思っていたし、同期内のやりとりも「監督は御存知である」という体で進んでいたのですが、その子は「どうりで会話が噛み合わないと思っていた」ということで。

「いや、言って!違和感を覚えたらすぐ言おう!!」という気持ちにもなってしまったのですが(笑)、自分が途中から動くことになった場合は、一度全てを整理して確認するべきだったんだな、と、報告、連絡、相談、という物の大切さを改めて噛みしめました。

本当になー、最後まで「誰かがやるだろう」の「誰か」になり続けたなあ、と思います。
多分、やらないといけないことがずっと放置されているのが我慢できなくて、例え自分が面倒なことをやらないといけなくなってしまってでも、速やかに義務を終えたくなってしまうんですよね。

それでいて、菩薩のように「いいのよ、好きでやってるんだから」という気持ちにはなれずに、
「私は!今!就職活動で手一杯なんやけど!!!どうして!今こんなこともしているのかな?!」
みたいな気持ちにうっすらなってしまっているので(笑)、まだまだ修行が足りないな、と思います。

結局、動くことを最終的に決めたのは自分であって、同期の誰かが悪いわけではないんだぞ、と自分を戒めたいです(笑)

ということで、就職活動的な話なのですが、ほとんどの下調べは、とりあえず終わらせました。

最初は、なんでも良いし、そもそも自分に選ぶ権利など無かろうよ、という気持ちが強すぎたのもあって、どこから考えれば良いのやら、という感じだったのですが、とりあえず、考えるべきところがある程度ハッキリしたというか。

意外と、とりあえず受けられる(らしい)幅が広いとなると、やっぱりここは気にするべきか、あちらも気にしておくべきか、とか色々思いますし、万が一、人がかなり足りないらしいここに拾えてもらえて勤めたとして、その後どうしていこうか、とかって考えますけど、よく考えたら、ほとんどの仕事は潰しがきかないですもんねー。

そして、多分、全ての仕事は、やってみないと分からないんだろうなあ。
自分の場合は、会社を選んでどうの、というより、大きなくくりの選択からして博打感があるというか(笑)、取った資格関係で働こうとすることも含めて、どこも博打っぽいところがあるので、結局は、もう勘というか、どこに御縁があろうと、あるいは無かろうと、少しでも望むほうへ望むほうへ、頑張っていくしかないんだろうな、と思います。

とは言いつつ、先々のことも一瞬、考えてしまうんですけどねー。
考えたって仕方がないんですけどね!
選ぶのはこちらではなくて、あちら様のほうなんだし!(笑)
ただ、そうは思いつつ、、一人っ子なので、両親とのこれからの事とかもやっぱり考えます。
当たり前ですけど、お金に関しては、考えずに済ませられないですよねー。

とりあえず、目が悪い叔母にふいに付き添うことになった北海道旅行が明日からなので、旅行中、気配りをしつつしっかり楽しんで、英気を養って、帰ってきたら、ある程度絞り込んだ方向で、すぐに動き出したいと思います。
あと3日もしたら、腹が決まりそうだし。

悩むのもあと少しだな、っていう時って、感覚でなんとなく分かるようになるものなんですね。
最近は、悩み疲れて出口が近くなる感覚が、なんとなく掴めてきたような気がします。

挫けて立って、挫けて立って、の繰り返しだからなんだろうな。
辛いという気持ちに耐性が少しついただけでも、自分の十代は無駄じゃなかったな、って思います(笑)
辛さにも、ある程度は慣れることが出来るんだなあ、って。
実際、昔は死ぬほど辛かったようなことが、慣れたことで、歯を食いしばれば耐えられる、っていうくらいに感じられるようになっている気がして。
感性が鈍くなっただけかもしれないんですけどね!(笑)


そして、こういう時につくづく思うんですけど、私、人に相談することが苦手なんですよね。
小さい頃から、他人に、自分の事について、「どうしたらいいかな?」っていう相談をしたことがないように思います。
両親に対してでも、仲の良い友達に対してでも。
何だろうなあ、自分のことは自分だけで決めたいんでしょうね、きっと。
相談する、という発想がそもそも、あまりない。
私の場合は多分、根が傲慢なんだろうなあ、と思います。
謙虚さが無いというか(笑)

でも、なんでか、相談されることは多いんですよねー。最近で大きかったのは、同期の女の子から就職について「自分で決めきれない、分からない、どうしよう」って相談されたやつなんですけど、だいぶ困惑しました。
結局、彼女は県庁に受かって、この春から公務員になることが決まったので、良かったね、と色々と安心したんですけど。

あの時は、大事なことだから、と思って、ファミレスで5時間くらい付き合ったんですけど、なるほど、相談する人っていうのは、決めきれない人なのかなあ、って感じました。彼女の場合だけなのかもしれないんですけど。

私は、自分が人に相談をすることが出来ないので、相談される時も、一体何を求められているのか、って困惑することがあったんですけど、決める要素を示してほしいのかなあ、ってこの前、感じました。
どうなんですかねー、男の子に相談される時は特に、何を言ってあげれば、って思うんですけど、意外と、聞いてもらえればそれで、っていう感じなのかな。


そうそう、相談と言えば、キンキさんはお二人とも、むやみやたらと人に相談する、というタイプではなさそうなイメージがあって、そういう雰囲気があるところも好きだな、って思います。
実際はどうなのか分からないですけど(笑)

何ですかね、相談に限らず、むやみやたらと人を頼る、ということをしなさそうなイメージがあります。お二人とも。
細々としたことじゃない、自分に関する大きな決断をするときや、何かを乗り越えないといけないときに、力を貸してもらえそうな人を探すことはあっても、頼ることが出来る人を探しはしなさそう、というか。

それは、お互いに対してもそうなような気がします。
決して、信用してないとか、そういう事ではなくて、頼ることへのハードルをお互いに下げない、根っこの部分では軽々しく甘えない、というか。

すぐに頼らない、なんなら、一番最後まで、ギリギリまで頼らない、くらいの感じもあって、それがお二人の関係性のかっこいいところでもあるような気がするんですよねー。

うん、キンキさんの関係性は、微笑ましかったり、優しかったり、っていう部分も大きいんですけど、それでいて、簡単に、というか、あからさまな形で「支え合っていこうよ☆」とはならない、かっこいい部分もあるような気がします。

そして、多分、その部分が魅力の大きな要因でもあるような。
「支え合おうよ」っていうスタンスでいるほうが簡単だし、きっと楽でもあるんですよね。
お互いの事を分かっている気にもなるし、把握できるような気にもなるし、心強い面もあるだろうし。
でも、簡単にはそうはしない、ならない。
そこが、関係性の温度が温くなってしまわない秘訣の一つでもあるのかなあ、と思います。

キンキさんの関係性って、もう出会って25年くらい経つのに、ぬるま湯っぽくなってない気がするよな、なんでかな、凄いな、っていつも思うんですけど、多分、お互いに対して依存しないから、っていうのもあるんじゃないかなー、ってぼんやり思います。

お二人共が他者に依存できない性質なのか、あるいはお互いに対しては依存しないのか、どっちか分からないですけど。

キンキさんの場合は、二人組だし、剛さんの御病気のこともあるしで、お若い頃は特に、下手したら共依存関係になってもおかしくないくらいの要素が満載だったような気がしますが、そこには陥らずにここまで来ていますよね。
きっとそれは、剛さんと光一さんだったからこそだろうなあ、って感じます。
リアルタイムで知らないので、勝手な想像でしかないんですけどね!

とりあえず、今のお二人は、勿論、支え合ってきた自覚はお二人ともおありでしょうし、何かあったら助け合う、という精神もおありでしょうけど、お互いに積極的に手を出して、いかにもな、見えやすい形での「支え合い」をしてきた、あるいは今後しよう、みたいな雰囲気は全然無いように見えます。

そういうところが、良いなあ、って思うんですよねー。
多分、二人組にも関わらず、互いの支えを必要としすぎたり、依存したりする雰囲気が無いことが、お二人のあの、ふと乾いた感じとか、もどかしいような距離感とかに繋がっている面があるような気がします。

依存しないからこその掴みどころのなさ、というか。
そして、そんなキンキさんが、依存心や、支え合っていこうぜ精神みたいなものとは無縁のところで、ふとフォローしあったり、情を滲ませたりされているのを見ると、なんというか、綺麗な瞬間を見たような気持ちになるんですよねー。
なんだか、それこそ、真心からの物のような気がして。

依存でもなく、だからといって情が浅いわけでも決してない。
という感じ、独特だな、面白いな、って思います。
そして、キンキさんって、友達っぽくもないんですよね(笑)
この、「キンキさんはなんだか友達っぽくはない」と自分が感じる理由も、今度つらつらと考えてみたいな、って思います(笑)

ということで、相談の件から思いがけず脱線しましたが、明日から、寒さと足元に気を付けて、叔母と行ってきたいと思います。
叔母は、親戚の中でもかなり好きな人なんですよねー。
芯が強い、っていうタイプの人なんだろうと思います。見習いたいです。
こんな機会もそうそう無いだろうから、楽しんできたいと思います。
おやすみなさい!