美しく在る為に

そして、このカバさん間近な中で書くのもアレだな、って思ったんですけど、広い意味で剛さんの曲の事を書く、ということで、ちょっと書きたいな!って思います。


誕生日からこっち、本当に、剛さんの曲に出会えて良かったな、って思うことが多いです。誕生日の日は、朝一で「くにのうた」を聞いて、よっし、頑張るか、21歳、まだまだ、傷つくことを恐れずに、って思いました。どんだけ力入れて生きてるんだ、って感じなんですけど(笑)
でもやっぱり、あれはほんっとにテンションが上がります。剛さん特有の、渦巻く、どこか不穏で凶暴なものを、一気に力に変えてる感じが、あのアルバムの中では一番強いと感じるからかもしれません。私は多分、その不穏さ、ため込んでため込んで爆発させる感じのエネルギーに反応してるんだろうなあ。そういう意味では、剛さんは本当に好みです。

それから、誕生日のラストには、長い付き合いではあるんですけど、あまり誕生日という日が多分、好きではない(詳しく聞いたことがないので分からないんですが)友達から、もう凄く凄く嬉しい、思わず泣きそうになったくらいの、初めての誕生日おめでとうメールを貰ったんですけど、日付が変わるギリギリのところで、それを読んでるときに聞いていたのは「きみがいま」でした。
本当に、あの日は凄く嬉しくて、そういう日に聞くあの曲はもう、宝物みたいに響くな、って思いました。自分は間違ってなかった、って思えたというか。
まあ、そんな日は、年に何日も無いんですけど(笑)

そして、高熱が出て、一応、両親にメールで連絡を入れて、あまり動けもせず、じっと一人で寝ていたときに、やっぱり結構「頼れる人は自分以外、誰もいない!」っていう気持ちになったんですけど、その時に聞いたのは剛さんの曲でした。多分、誰か助けてくれ、っていう気持ち+ゆったりした曲じゃないと聞けない、っていう時は、剛さんの曲を聴きたくなるんだろうなあ。
元気になりかけのときは、キンキさんの曲も聞きたくなりました。

で、今日ちょっと書きたいのが、「美しく在る為に」です。あれやっぱ名曲すぎる。剛さんの全てが詰まってる気がする。弱ってるときに聞くともう、号泣でした。
あの曲の繊細さ、ギリギリのところで、無理矢理道を作る感じ、もう大好きです。剛さんの他人への優しさと潔癖さが全部出てる気がする。美しい。

一番最初にハッとするのは、やっぱり「あたしが悪いなんて云わせないの」です。もう、この歌詞、本当に好きです。
追い詰められて、全部自分のせいにされて、自分でもそう思おうとして、でも、それを受け入れる余裕すらないくらい苦しくなったときって、本当にこう思うし、こう言いたくなる。私が悪い、っていうことにしてあげられるときって、ある意味、まだ余裕があるんですよね。それを受け入れても普通に過ごしてられるくらいには、自己肯定感があるときじゃないと、「私が悪かったんだよね、ごめんなさい」って言ってあげられない。私が悪い、っていうことにしてあげたらもう崩れる、自分しか自分を守ってくれないんだから、っていうとき、「私が悪いなんて言わせない」って、自己防衛の最終手段として、思わずにいられないことがあるよな、って思います。

私が悪い、っていうことにするのなら、もう無理、自分を責めて責めて、もう立ち上がれなくなる。自分でも、自分が悪い、って思ってるからこそ、余計。だから、崩れないようにギリギリのところで、せめて自分だけは「私が悪いんじゃない」って思わないと立ってられない、生きてられないって思う時がある。
そういう時はやっぱり、強く叩きつけるように、「あたしが悪いなんて云わせない」って言いたくなる。普段は「そうだね、あなたじゃなくて、あなた達じゃなくて私が悪いね」って受け入れてあげられても、弱ってるときは無理なんですよねー。云わせない、ってことは、そんなこと聞きたくない、聞いたらもう立てない、ってことでもあるんじゃないかな、って思います。ここまで行くと、勝手に考えすぎなんでしょうけど(笑)
ここを聞くと、昔、学校に行けなくて、祖母に始まる身内から、ほとんど関わりのない他人まで、色々な方に、色々言われ続けたのを思い出すんですよね、多分。だから、ここに弱いんです。
剛さんの、こういう言葉を、こうやって歌詞にして「自分の歌詞」として世に出せるとこ、本当に凄い。その追い詰められたギリギリ感、凄く分かるけど、やっぱり、普通は誤解される言葉なんじゃないかな、って思います。好感は持たれない言葉だと思う。

でも、剛さんの場合、それにすぐ、続くのが「あなたが憎いなんて云う筈がないの」なんですよね。
剛さーん!!優しい!!
私が悪いんじゃない、でも、あなたが憎いわけじゃない、しかも、「云う筈がないの」って、いう言い回しがまた。
私が悪くないなら、貴方が悪いのか、だからあなたが憎いのか、っていうと、そんなこと「云う筈がない」。
でも、そうなら、じゃあ何が悪いのか、なんでこんなに苦しくて、こんなことになっちゃったんだ、って、人はやっぱり理由を求めてしまう。苦しければ苦しいほど、犯人捜しをせずにはいられなくなる。誰も悪くない、なんて綺麗事じゃおさまらないことは沢山ある。

その時、剛さんの場合は、私が悪いんじゃない、でも、貴方が憎いのでもない、って、自分と相手は責めないんですよね。じゃあ、どうなのか、って言ったら、その直後に続くのが、
人はいつも、美しく在る為に勝手だったもの、ですもんね。だから仕方ない。人はいつだって勝手なんだから、だから仕方ない。
剛さんが、自分も相手も責められなくて、そこでなんとか、無理矢理探した犯人がそれなんだもんなあ。誰も悪くないんじゃない。でも、特定の誰かが悪いわけでもない。今に始まったことじゃなくて、人はいつも勝手だったんだから。
しかも理由が、「美しく在る為に」なんですよね。優しさとか、労わりとか、正しさとか、そんなものの為じゃなくて、「美しく在る為に」、っていうのがまた。まさに身勝手で、でも、一番納得できる感じ。あー、剛さん好きだ・・・!って思わずにはいられないです。

そして、その身勝手な美しさというものにも価値をおいてるからこそ、その後に、冷たさや、あるいは温もりだけが全てじゃない、ってくる。

それから、「心の皮膚を剥ぐ 大丈夫 まだ優しい色です」っていうフレーズも好きです。
心の皮膚を剥いで色を見る、っていうギリギリ感。皮膚の下がまだ綺麗かどうか、自信は持てなくて、不安に思ってる感。単純に「剥ぐ」っていう単語からくる痛そうな色。

そしてまた、欲張ることを悪とする感じ。欲張りな花は咲かない、何故なら、相手と向き合うことで、素敵が食べてしまうから、っていう、向き合う相手への幻想や憧れに近い、正しいものであるという信頼。
そこからの、「信じる力」や「清い抵抗」は繋がる、っていう主張。凄い流れだよなあ、って思います。
「清い抵抗は繋がるわ」って本当、どれだけ純化したいんだ、っていう感じですよね。先へ先へと、清い抵抗を繋げようとする潔癖さと必死さ。
これを歌詞として歌って、世に出そうとする精神が好きだな、って思います。
苦しむことや自己憐憫なんて誰でも出来るし、誰もがしてることなんでしょうが、剛さんのはさらにその先に這いずっていこうとしてる感じや、どこか攻撃的な姿勢があって良いな、って思います。
一言で言うなら、好みだな、って(笑)

そして、ぼんやり思うんですけど、この曲は何となく光一さんを思い出します。私が剛さんのソロ曲を聞いて光一さんを思い出すのって、多分これだけなんですけど。何となく。

ということで、バーッと書いちゃいました!いまいち、「あたしが悪いなんて云わせないの」の好きさ加減と理由を上手くかけた気がしない上に、いつも以上に偏った感じで書いちゃったので、さげます!