少年を殺したのはどの愛か。

長年のキンキファンの方はやっぱりこれだけで何の話かピンとくるんでしょうか。

この三日間、久しぶりに親戚と一緒に過ごしてきました。私は一人っ子かつ祖父母にとっては唯一の女の子の孫なので、皆に本当によくしてもらって、愛して育ててもらったんですけど、愛情ってありがたいけど疲れます。正直。こう思っちゃう自分がひどいな、と嫌になりますけど。
心底ありがたいんだけど、両親、2組の祖父母、親戚と皆に良くしてもらって気にかけてもらうと、本当に息苦しいんですよね。期待に応えてあげなきゃ、元気のいい、理想通りは無理でも、理想に近い娘であり、孫娘でいなくちゃ、喜ばせてあげなくちゃ、と思ってしまって。皆大事だから傷つけるわけにはいかないし。私にとっては愛されることって少し苦痛で負担です。贅沢を言っているとわかってはいても。

そんな感じなので、「少年を殺したのはどの愛か」ってもうめちゃくちゃ好きなキャッチコピーです。キンキさんが15歳でやったドラマ、人間・失格のキャッチコピー。脚本は野島伸司さん。

これはかなりドギツイ苛めの話だし、刺激的な要素を詰め込めるだけ詰め込みました!みたいなドラマですけど、ただ過激なだけじゃなくて、愛されることの悲劇を描いてる作品でもありますよね。愛されているから幸せだとは限らない、愛されているから救われるとは限らない・・・までは剛さんのファンとしては言いにくいんですけど(笑)

愛情に殺される、っていう感覚がわかるな、と思うんです。あの話でいうと父親は間違いなく誠を愛してたんですよね。義理の母親も決して誠を嫌ってはいない。留加も(純粋に愛情と言い切っていいのかは微妙だけど)誠に好意を寄せていた。誠は愛情に無縁な少年では無かった。それなのに、誰も彼を救えなかったし、結局誠は死ぬしかなかった。むしろ、愛されているのがわかっていたからこそ誠は心配をかけまいと頑張ったし、頑張ったからこそあの屋上まで追い詰められた。そこがあの話の一番辛いとこだと思う。愛されることは素晴らしいことのはずなのに、愛されたせいで幸せにはなれない誠と留加。

誠が追い詰められたのは留加に好意を寄せられたからでもあるし、もっとさかのぼれば新見が留加を愛していたからっていうのも大きいんですよね。
あの話には愛していたからこその憎悪や嫉妬、愛していたからこその悲しみ、愛してるという執着までを愛情に含めると愛情しか存在しなくて、主要人物の間には無関心の冷たさ、みたいなものはない。誠と両親の間はもちろん、誠と留加の間にだって確かに(両者の愛情の質は違っていても)行きかう愛情があったのに、誠の死後の反応からしても、皆の誠への愛情が失せたわけではなかったとわかるのに、それでも救えなかった。最期まで愛し愛されていたはずなのに、むしろ愛されたからこそ誠は死んだ。
「少年を殺したのはどの愛か。」
誠自身の周囲への愛情を含めた沢山の愛情の間違った化学変化の結果なんだろうなと思う。
だからこそ救われない。

愛情は素晴らしい、尊いものだとされてる世の中で、「愛情は善でも万能でもないし、逆に愛情に文字通り死ぬほど苦しめられることもある」とキラキラした15歳のアイドルを使って、金曜日の22時に放送するドラマで突きつけてくる野島さんが、私は好きだなと思います。

しかも苛める側の少年役と苛められる側の少年役は同じ事務所で一緒に仕事をしてるアイドルのコンビだっていうね・・・。これはまたキンキさんのことを書く時に触れると思うけど、今振り返るからこそ余計にくるよね。同性愛設定もすごいけど、光一さんが差し出す手を信じて掴むことができずに首を振って剛さんは落ちる、って酷すぎるだろ・・・。差し出した手を剛さんに掴んでもらえない光一さんと光一さんを信じることができずに落ちていく剛さんとかもう・・・。

あと、このドラマでの収穫の一つはサイモン&ガーファンクルを知ったことです。「冬の散歩道」が本当に好き。キンキさんを好きになったことで知らなかった音楽を知ることが出来るのは嬉しい。