哀愁のブエノスアイレス CLASSIC

たまにしか更新出来ないのに、お星様や拍手、本当にありがとうございます!
TopazLoveは色々と噛みしめてしまうので後にして、先にこの二曲の感想を書いておきたいと思います!

○「哀愁のブエノスアイレス
もう、凄く凄く大好きです、この曲・・・!!!

私はもともと、明菜ちゃんや薬師丸ひろ子さん、高橋真梨子さんの歌が大好きなので、もう、ありがとうございます!という感じです(笑)

題名や作詞、作曲者を見ただけでもう、凄く期待していたのですが、キンキさんの歌声が、期待していたより更に良く合っていて、とても幸せな気持ちで聴いています。

この系統の好きな世界観の曲を、好きな人たちの歌声で、リアルタイムで聴かせてもらえるのって多分初めてだな、って思ったら、物凄く嬉しくて。しかもキンキさんの歌声で。

私にとっては、SAND BEIGE-砂漠へ-、水に挿した花、Wの悲劇、素敵な恋の忘れかた、Mr.サマータイム、異邦人、とか、そんな歌達を思い出す感じの曲です。ちょっとノスタルジックな感じがする。

キンキさん、こういう歌が芯から似合ってらして、そりゃあ私はキンキさんを好きになるわけだな、って、今更、凄く納得してしまいました(笑)

ということで前奏なのですが、前奏からしてもう大好きです。
ちょっと不穏で、冷たい空気を感じて、異国情緒があって、物悲しさも含まれているような音。

そこから、光一さんのちょっと硬質な、乾いた声で「カテドラル」という単語から曲が始まる。
カテドラル、聖堂のことなんですね。
頭から異国の、それもあまり知られていない単語なんだけど、そこに「鐘が鳴る」と続くから、ああ、鐘があるような建物なんだ、とすんなりイメージ出来る。
実際、意味が聖堂、と知った時、ああ、そんな感じだろうな、って思えますもんね。凄い。

「カ」テドラルの「か」ねが鳴る、で、硬い響きの「か」が強調されるから、この時点でもう、少し硬い、乾いた雰囲気が出る。
そこに、「夕映えの街角」とまた情景を足す。

夕映え、夕日を受けて照り輝く街角。鐘が鳴り、聖歌隊の少年たちの歌声も聴こえてくる。
この歌声が「風になる」っていうのがまた、良いなって思います。

漂ってるんじゃなくて、風になっている。

風って、動きが連想されるものだと思うのですが、聖歌隊の少年達は恐らく動かずに歌っているはずなので、この主人公が動いている、ということだと思うんですよね。

この三行の歌詞だけで、情景と共に、主人公が歩いて移動していることまで浮かんでくるように感じられます。

そして、ここで、剛さんの、水が多く含まれているような声が入ってくる。

光一さんの乾いた歌声で淡々と情景が歌われ、その情景に気を取られず歩いているような気配が出されて、そこに、剛さんの水気のある歌声で「君」の影が現れる。

この対比がもう、二人組の醍醐味・・・!って感じますし、お二人の声質の違いがよく活かされてるなあ!って感じます。

もう二度と帰らない宝石の日々、に硝子の少年が連想されたりもしつつ。

夕映えの中、照り輝くなかに、君の「影」が駆けてくる。
夕映えの赤と影の黒、この明るさの対比がまた、歌声にも曲にも合っていて良い。

私の中では、歩いている主人公の向かい側から影が駆けてくるイメージです。
石畳だから、本来は硬い足音がするはずだけど、この影に足音はあるのかな。

そして、影が見えたところで、お二人の歌声でサビ。
「時の河を流されてゆく」って、私が剛さんに歌ってほしいと思っていた「Wの悲劇」のサビの歌詞にも重なるので、まさかこんなところで、って感動しました(笑)
あの曲はその後、「流されていく」終わりかけの恋でしたが、この曲はもうずっと前に終わった恋なんですよね。
だから、流されていくのは自分じゃなくて、「まぶしすぎる心達」。

愛に生きる怖さを知ってしまった主人公が、青いダイヤモンドのような心を、まぶしいと感じながら眺めている。
河を流れていく青いダイヤモンドの情景も、それを留めようとせずに、流れていくのを静かに見送ることも、美しいな、って思います。

燃えるような赤い宝石ではなく、透き通った宝石でもなく、青いダイヤモンドなのは、青春だった、時が経った、ということなのかな。怖さを知らなかった、という意味での青さでもあるんでしょうね。
まだ若いから、柔軟性がなくて、ダイヤモンドのように硬かった頃。

心達、と歌うサビで、お二人が声を合わせるのがまた、歌詞に合ってて凄く良いな、って思います。
より深みが出る。

しかも、この主人公にとっては、あそこまで愛したのは一度だけ、って歌うんですよね。
流石キンキさん、物凄く重いし、その一度に凄く囚われている・・・(笑)

二番がまた、良いんですよね。
光一さんみたいな美しい人に、人生のピークである夏を終えて夢が消え、秋を迎えた自分はありふれた男に変り果てる、って歌われるのは、独特の色気が出るな、って思います。

しかも、そんなありふれた男に「変り果てて」しまった自分の頬を、過去であろう「そこ」から打ちなよ、と言う。
この「打ちなよ」がまた上手いな、って思います。

打ってくれ、と願うわけでもなく、打て、と強く叱咤されたがってるわけでもない。
打ちなよ、には、どこか諦めのようなニュアンスがあるような気がします。
秋を迎えたことを自覚した諦め。
諦めているからこそ、恐らくそんな諦めを許さない「君」に対して、打ちなよ、とどこか投げやりな言い方をする。
この諦めも、ちょっと乾いた感じがあるんですよね。光一さんの歌声に合う。

そして、街の灯に対して感傷的になる面を剛さんが歌う。
ここも、光一さんと剛さん、それぞれの声質に合ってるな、と思います。

街の灯を見て、輝いている等ではなく、涙を燃やしているようだ、って感じる感性も凄いですよね。
この感覚では、涙はただの水分ではなく、燃えるものなんだなあ。

しかも、涙だけじゃなくて、悲しさや悔しさを集めながら燃やしてる。
感傷的な感情を全てかき集めるようなこの部分が、剛さんの、どこか暗さを含んだ、水を多く含むような歌声に合っているなあ、と感じます。それこそ、涙をも含んでいるような、感傷が似合う歌声。

そして、夕映えの時間を終え、街の灯が灯る夜を迎えたことも表現されている。
これは、夏を終え秋を、あるいは冬を迎えた主人公とも重なるように感じます。

そんな夜に灯る街の灯への感傷から、過去を見るサビに繋がる。
夜を迎えようとする自分の、人生における灯になるであろう日々。

それが「叶わぬ夢ばかり見てた」時期。
見てたよね、と語り掛けるのは、夕映えに出会った君の影なのかな。

今もあの日の声がするし、今も君の影を見る。

そこから、ふと我に返って見る、星の下の窓明かり。
星の下、っていうのがまた、高さが出ることで歌の世界が広がって凄いな、って思います。
街の灯も、星も、窓明かりも、今、違う光りかたをしている。

でも、時の河を流れていってしまった眩しい青いダイヤモンド、宝石の日々の輝きはもう二度と帰らない。
だから、星の下の窓明かりも哀しく見えて、瞳にしみる。

そして、ここに来て、最初で最後に主人公が自発的にすることが、君の名前を呼ぶことなんですよね。

ここまで、君の影は「駆けてくる」し、「打ちなよ」だし、時の河を流されてゆく心達は止めないし、追いかけないし、凄く受動的なんですよね、この主人公。

でも、二番のサビで初めて能動的に、「君」の名前をそっと呼ぶ。
しかも、「天使たちに訊くみたいに」。

私、この曲に関しては、若い頃に終わって別れた恋で、彼女が今どうしてるかは分からない、という感じなんだと思っていたのですが、天使たちに訊くみたいに、と言われると、亡くなってるのか、っていう気もしてきます。
最初から聖堂、とか聖歌隊、っていう単語が使われてるし、天使に尋ねるように名前をそっと呼ぶ、って言われると、そういう意味でももう二度と帰らない日々なのか、って。

それとも、もはや受動的な自分には彼女がどうしているのか確かめる術は、天使たちに尋ねるくらいしかない、ということなのか。

天使たちに、彼女が幸せであるかどうかを尋ねる、とか、そういうニュアンスな気もします。
能動的に動けない自分としては、最早「神のみぞ知る」に近い心境、みたいな。

「汚れ知らぬ頃の恋が僕に生き方を問う」っていうのも、どちらにもとれる気がするんですよね。
彼女は亡くなったけど自分は生きている、だから生き方を問われているのか。

それとも、それこそダイヤモンドのような日々が、自分がまだ汚れず美しくいられた頃の象徴だから、今がこれで良いのかと問われている、ととるのか。

私は、この曲に関しては、彼女は生きているだろうけど今どうしているかは全く分からない、という状況な気がするのですが、歌ってらっしゃるのはキンキさんだからな、みたいな感情も捨てきれないでいます(笑)

一番は今から過去に目線が向かい、二番は過去から今に目線が向かう。
そして、また過去に目が向かったサビを重ねることで、哀愁と郷愁が満ちた曲になる。

凄く綺麗な流れの歌詞だなあ、と思います。
大好きです。

そして何より、この曲、キンキさんの歌声とよく合ってるんですよね、曲も歌詞も。
私、女性でこの系統を歌われる好きな歌手の方は沢山いますが、男性でこの系統の曲が映える歌声を持ってらっしゃる方ってあんまり思いつかないんですよね。

そういう意味では、キンキさんが稀有な歌声の持ち主だという事に、改めて気が付いたみたいな面があります。

しかも、一人じゃなく二人組で、こんなに郷愁と哀愁に満ちた曲が似合うって凄い。
とってもロマンティックで、ドラマティックなことだなあ、と思います。

この系統の曲が似合う歌声を持つ、しかも美しい男性二人組って、そりゃあ、今まで沢山の男性陣がキンキさんに対して、ああいうロマンに溢れた曲や歌詞を書くはずだなあ、ってしみじみ感じました。
お二人の雰囲気や関係性だけでなく、ただ単に歌声の魅力でもあるんだな、って。

それから、この曲、自分にとって、思い出深い曲にもなりました。
沖縄で一度、人が沢山いて祖母が休んでいる時に、散歩にでも行っておいで、と言ってもらって、家の周りを散歩したのですが、ずっとこの曲を聴いていたんですよね。
別世界にいるような気持ちになって、とっても癒されていました。
意外と、沖縄の不穏な曇り空の下、両側をさとうきび畑に挟まれた道を歩いていても、凄く雰囲気が出ました(笑)

曲の力で、そしてキンキさんの歌声の力で別世界に連れて行ってもらって、少しの間、好きな世界に浸らせてもらえることが、こんなに大きな癒しに繋がるんだな、っていう発見があって、その意味でも印象深いです。

○CLASSIC

CLASSICに関しては、穏やかに聴けるな、というのが第一印象だったように思います。

他の三曲のインパクトが強かったぶん、ある意味、気楽に(笑)聴けるというか。
曲も歌詞も、どちらかというと軽やかで、イメージとしては、お花屋さんとか、ケーキ屋さんとか、そういう爽やかで可愛らしい感じがします。

お二人の歌い方も、さらっとしている気がして、力を抜いて聴ける曲でした。

なんだかもう、哀愁のブエノスアイレスが好きすぎて、感想の量が露骨に違うのですが(笑)、四曲それぞれ、色が違って良かったです!

ということで、TopazLoveとMVの感想も少しずつ書いていきたいと思います。